バルト海クルーズと神秘の北欧4ヶ国の旅④スウェーデン編/フィンランド編

      2023/07/29

◆ストックホルム市街とサルツショーン湖

【プリントされたアナログ写真をデジカメで撮影したデジタル写真を使用しており、編集部で可能な限りの補正はしましたが、画質が通常よりも劣ることをご容赦ください。】

(いつものように、写真をクリックすることで、拡大写真を見ることが出来ます。)

 

 

 
 2000年9月2日、旅の9日目。曇り空だが青空ものぞく。ストックホルムも既に暖房が入っている。7時半朝食。好きなポテト料理はなかったが、今日も食べ過ぎてしまった。外に出てみたが、そんなに寒くはない。

 ストックホルムは、都市計画の専門家達が13世紀からの古い町並みをもとに、何世紀もかけて高い理想を掲げ造り上げてきた世界にも類を見ない近代都市のひとつで、その美しさには感嘆する他ない。人口は70万人。
 夏には1日20時間近く太陽が照り付け、公園の緑地には日光浴を楽しむたくさんの人の姿が見られる。スウェーデン人は自然を愛し大切にする。日常生活でも自然との関りを求め、週末になると近郊に所有する小さな菜園や鄙びた島の別荘に出かけ、樹々や水に囲まれて過ごす。

ノーベル賞受賞祝賀晩餐会が開催されるストックホルム市庁舎へ

 
 9時ホテルを出発。15分で市庁舎へ。中央駅の西側徒歩5分くらいの所にあり、水の都ストックホルムにふさわしい優雅で厳粛な気品を漂わせて、メラレン湖にその姿を映している。1911~23年に建てられ、ナショナルロマン様式、北欧中世風のデザインで宮殿を思わせる佇まい。高さ106mの塔、赤レンガ、ゴシック風の窓、ビザンチンスタイルの金色の飾り、さまざまな様式が見事に調和している。
 ブルーホールの大広間は中世イタリアを思わせるデザイン。高窓からの採光が厳かな雰囲気を醸し出し、音響効果が抜群でコンサートや式典に使われている。最も有名なのが毎年12月10日に開かれるノーベル賞受賞祝賀晩餐会。
 舞踏会広間として使われているのが黄金の間。1800万枚の金箔モザイクで飾られた豪華絢爛の壁面をもっている。ブルーホールと黄金の間は見学できる。

左)ストックホルム市庁舎 ノーベル賞祝賀晩餐会が開かれる 800万個の赤レンガが使われている、
中)議場、右) ブルーホール(青の間)ノーベル賞祝賀パーティー会場の上の階

◆市庁舎内黄金の間 ノーベル賞受賞者の舞踏会等が開かれる

左)ストックホルム市庁舎、右)市庁舎はメラレン湖畔 リッダー湾に面している

 バスで5分走行して、ストックホルムの中心に位置するセルゲイ広場へ。東側にノーベル賞の授賞式が行われるコンサート・ハウスがある。古代ギリシャ神殿風の柱列が印象的なブルーの建物。1926年に建設され、普段はクラシックのコンサートが開かれている。建物の前に立つブロンズの彫刻群像はスウェーデンの代表的彫刻家カール・ミレスの作品で、「オルフェウスの泉」。

 セルマ・ラーゲルレーヴは、女性で初めてノーベル文学賞を受賞したスウェーデンの作家。子供たちにスウェーデンの地理を分かりやすく紹介するために書かれた「ニルスの不思議な旅」の作者として知られる。

◆コンサートホール ノーベル賞授賞式の会場

 コンサート・ハウス前のヒュー広場では、青空マーケットが開かれている。野菜、果物から工芸品、セーターやマフラーを売る店、ニシンなどの焼き魚を商う店が並ぶ。露店のテントのカラフルな色彩が美しい。干しイチジク125クローネ(1,900円)、苺20クローネ(300円)、スモモ4個5クローネ(80円)を買う。苺をほお張りながらマーケットを巡るのも一興。

◆ヒュー広場の青空マーケット

 9時50分出発。市街を一望できる高台の展望台で写真ストップ。素晴らしい眺めを楽しむ。

 中世の香りを感じながら旧市街の石畳の路を行くと、タイミングよくトルコ軍楽隊の行進に出会った。勇壮な演奏を聴いて心が浮き立つよう。昨夜着いた時の印象はよくなかったが、明るい時に見ると情緒あふれる素晴らしい街である。スウェーデンも期待を上回る。妻が可愛いローソク立てを見つける。200クローネ(3,040円)。

左) ストックホルム市街とサルツショーン湖、右) ストックホルム旧市街王宮前 トルコ軍楽隊の行進

 旧市街ラム・スタンの北にある王宮は、13世紀の中頃に建てられたが、1697年焼失。57年かけて再建され、1754年完成。イタリア・バロック、フランス・ロココ様式の建築で、代々王室の居城として使われてきたが、王家の子供達にふさわしい環境へと、1981年に郊外のドロットニングホルム宮殿に移された。
 王宮のすぐ南にある大聖堂は、ストックホルム最古の由緒ある教会。13世紀後半に建てられた。改築、増築が重ねられ、1480年代に現在の大きさになった。イタリア・バロック様式。長い間国王、女王の戴冠式、結婚式などの儀式が行われてきた。
 高い尖塔をもつドイツ教会は、大聖堂の南ストール広場の南にあり、ハンザ同盟の商人達によって1634~48年に建てられた。何度も改築され、1887年現在の形になった。

左) 奥 大聖堂 1279年建造の市内最古の建築物 バロック式、
中) 中世ドイツ商人が集ったドイツ教会、右) 旧市街目抜き通り

 ストール広場(大広場)は、1520年、歴史に残る「ストックホルムの血浴」が起こった場所として知られる。デンマークのクリスチャン2世の侵攻に抵抗した後のヴァ―サ王の父を含む90余人の貴族、高官が断頭刑に処され、広場が血で染まった。

 広場に面して1776年建造の旧証券取引所がある。最上階にはスウェーデン・アカデミーがあり、毎年ノーベル文学賞の選考を行っている。

左) 旧市街目抜き通り、中) 旧市街ストール広場、右) 旧市街旧証券取引所

左) 芸人?と、中)、右) 旧市街王宮前 衛兵の交代

 12時15分出発。12時半、レストランへ。白ワイン40クローネ(610円)、ポタージュスープ(アスパラ入り)、ポーク、ポテト、ニンジン、コーヒーの昼食。

◆海賊船を模した水上レストラン

 2時、ドロットニングホルム宮殿へ。1662年建築が始まり、完成したのは1756年。イタリアやフランスの影響を受けたバロック様式風の建物で、北欧のベルサイユ宮殿ともいわれる。3階建て220室の宮殿内は写真撮影不可。白鳥が浮かぶ湖、緑の芝生、深い森に囲まれたクリーム色の建物はおとぎ話に出てくる宮殿そのもの。ユネスコの世界遺産に登録されている。バロック庭園、英国式庭園、1753年建造の中国の城Kina Slottがある。

左) ドロットニングホルム宮殿、中) 〃 メラレン湖畔、右) 〃 北のべルサイユ宮殿と呼ばれる

 樹齢200年の菩提樹の並木が素晴らしい。しかし、草原一面を覆うカナダ雁の糞には閉口。中国庭園の中国館へ。アップルパイ(妻はワッフル)とコーヒーで小休止。気温18℃、歩き回ると汗ばむが、じっとしていると涼しく、丁度いい気温。森を散策するなど、のんびりとした時間を過ごす。2人とも蚊に刺されて驚く。

左) 中国館、右) 中国館の庭でコーヒータイム

 4時50分出発。5時25分からデパートでフリータイム。妻が地下のスーパーで買い物。
6時25分に出て、各国の大使館街を抜け6時45分、バルト海クルーズのシリアラインの待合室へ。

 外人のグループが、並んで待っている我々を無視して長い列の前に出て、さっさと乗船してしまった。7時50分乗船。5階の海側のキャビン。2段ベッドで4人泊れる部屋を2人で使用。狭いがまずまずの部屋。乗船客1,600人。

◆バルト海クルーズシリアラインの船 この船でクルーズ

 8時、7階のレストランへ。北欧名物のスモーガスボード(バイキング)の夕食。混み合っていて、何回も並びに行くのは時間がかかるという添乗員のアドバイスを受け、皿一杯山盛りに料理をとって席に着く。ビールの後、白ワインを3杯。福井県から参加の72歳のご夫婦と大いに盛り上がる。食べ過ぎて満腹。

左)シリアライン スモーガスボード(バイキング)の夕食 ビール、ワインは飲み放題、
右) バルト海の夜風に吹かれる

 10時頃部屋に戻る。バルト海クルーズを楽しみにしていたのだが、暗くて窓の外は何も見えない。8階の免税店や4階のギフトショップを覗くも、欲しいものはない。
 シャワーを浴びると12時を回る。フィンランドとの時差は1時間。時計の針を進める。

 

 

 9月3日、旅の9日目。夜半、大きな音がして目が覚める。どこかに寄港したようだ。3時頃には、誰かがドアを2回ノックしていく。ほとんど眠れず。昨夜食べ過ぎて苦しい。
 5時45分起床。明るみ始めた窓からフィンランドの島々が遠くなったり、近くなったりするのが見える。どんより曇っている。ビデオの日時をフィンランド時間に合わせる。
 6時50分、7階のレストランへ。昨夜の過食で腹の具合が悪く、スクランブルエッグを少しとオレンジジュース、トマト一切れ、コーヒー半カップで済ませる。デッキに出るとやはり寒い。

 クルーズは食事をして寝るだけで終わり、7時50分トゥルク着。人口17万人のフィンランド第3の都市。フィンランドの西の外れにあり、スウェーデンに最も近接している。中世の初期、スウェーデンがフィンランド支配の基地にして、城や教会を建てた。1812年ロシアの皇帝アレクサンドル1世がヘルシンキに遷都するまでフィンランドの首都として栄え、後もスウェーデン文化圏の中心地となっている。スウェーデンの本土以上に古き懐かしいスウェーデンを感じさせてくれる。

 入国審査も何もなく、そのままバスへ。地元の人が、船のTax Freeの店で缶ビールなどを山のように買い込んで、迎えの車に積み込んでいる。8時13分出発。雲がたれこめ降ってきそうな感じ。膝から下が冷や冷やしている。

 とうとう雨が降り始めた。朝6℃だった気温が、8時には12℃に。日中は18℃まで上がるという。2分くらいで町の西外れにあるトゥルク城へ。
 13世紀後半、当時の支配国スウェーデンがフィンランドのために建築した石造りの堅固な城。数世紀に亘り要塞として使用され、16世紀に全盛期を迎える。城内は歴史博物館として公開されている。
 小雨の中、どっしり構える城を外側から見て回る。木造のパブ、ポート・アーサーがある。何とロシアの旅順のことだという。子供たちの間で、203高地潰しの遊びがはやったというから驚く。

 大聖堂の中に入り、日本人の現地ガイドからヨーロッパのキリスト教の歴史について、詳しい説明を受ける。聴いていて自分の知識不足が恥ずかしくなる。じっくり勉強したいもの。フィンランドで最も由緒ある大聖堂は1300年に建てられ、今でも教会活動に利用されている。石造りの塔は高さ101m。
 日曜の礼拝が10時から始まるのに合わせ、傘を差した市民が続々と集まって来る。ミサの開始を告げる鐘の音が荘厳に響き渡っている。

左) フィンランド・トゥルク城 石積みの城、右) トゥルク大聖堂内

 さらに市内を巡り、10時20分トゥルク観光が終わる。10時25分ヘルシンキに向けて出発。11時30分、ラナヤツ湖畔でトイレ休憩。ハマナスがきれいな花を咲かせている。美しい湖。

左) ヘルシンキへ向かう途中ラナヤツ湖畔で ハマナスの花が咲いている、右) ラナヤツ湖畔

 バルト海を隔てたフィンランドに渡り、森と湖の国を実感する。ヘルシンキの北東、湖水地方には無数の湖が広がっている。ムーミンもこの国で誕生した。

 帝政ロシア時代の1812年、トゥルクからロシアのサンクトペテルブルク(レニングラード)に近いヘルシンキに遷都。それ以来首都として、貿易港として栄えてきた。
 入り組んだ海岸線をもつ小さな半島の先に位置し、首都とはいってもさほど大きな町ではない。帝政ロシア時代のネオクラシカルな建築物と、スウェーデン領時代の名残の近代建築が微妙な調和を保ち、南欧やドイツとは異なる印象を受ける。

 フィンランドはスウェーデンに650年、ロシアに100年支配され、度重なる戦争で何度も国境線を変えられた。1917年ロシア革命と同時に独立を果たす。

 1時ヘルシンキ市内のレストランで、魚料理の昼食。まだ胃の具合が悪く、やっと食べる。2時出発。港の市場を見て、ウスペンスキー教会へ。北欧最大のロシア正教の教会。1868年ロシア人建築家によって建てられた。壁にはテンペラ画でキリストと12使徒が描かれている。優れた宗教芸術作品や装飾の美しさに思わず見とれてしまう。高台にあるのでどこからもよく見える。

左) ヘルシンキ市内 ギリシャ正教ウスペンスキー寺院、右) ウスペンスキー寺院内部

左) ウスペンスキー寺院からのヘルシンキ市内の眺め、右) ウスペンスキー寺院

 3時頃中心街北部のシベリウス公園へ。フィンランドの代表的作曲家ジャン(ヤン)・シベリウス(1865~1957)を記念して造られた緑の美しい公園。園のほぼ中央にステンレスパイプのモニュメントと御影石の上に置かれたシベリウスの肖像のオブジェがある。

左)中)シベリウス公園 ステンレスパイプのモニュメント、右) シベリウス公園

 中心街西部にあるルーテル派のテンペリアウキオ教会へ。岩の中にすっぽり隠れているので、うっかりすると見落としてしまう。1969年に完成した花崗岩の岩山をそっくり使った教会。天井の周囲を円形に切り取ったガラス窓から入るやわらかな光線が、粗い岩肌を照らし出し、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

◆テンペリアウキオ教会

 4時05分元老院広場着。ムーミングッズの店を覗いて、ルーテル派の総本山ヘルシンキ大聖堂へ。広さ3,000㎡の石畳の広場を見下ろすように聳え立っている。ドームが美しいヘルシンキの代名詞的な建物で、30年の歳月を費やして1852年に完成した。正面入り口はフィンランドの他の教会と同様、西側にある。
 中は巨大なドーム。椅子に座ってひと休み。疲れがたまっている。広場に面した大階段にはたくさんの人が腰をおろし、高台からの眺めを楽しんでいる。

左) ヘルシンキ大聖堂前の元老院広場、中)右) ヘルシンキ大聖堂

 広場の中央にはロシア皇帝アレクサンドル2世の像がある。周辺には市庁舎、ヘルシンキ大学、図書館などが建ち並び、重厚でクラシカルな雰囲気が漂う。ヘルシンキで最も古い歴史をもつ地区。

 4時55分出発。また雨が降ってきた。5時過ぎホテル着。ぐったり疲れてロビーのソファーに倒れ込むようにして座る。55歳にしてこれだけ疲労が激しいのに、70歳過ぎの人たちは皆元気で感心する。さすがに五つ星ホテル。静かで広々としている。

 フロントのコンピューターがダウンしたとかで、部屋に入るまで30分近くかかる。荷物を置いてすぐに出かける。両替所が中央駅の地下にあると聞いたのだが、いくら探しても見つからず。ホームに出て列車の写真を撮る。たくさんの人が行き交っている。地上に戻ると、そこに両替所があった。5千円と100スウェーデン・クローネ(1,520円)が、368.60フィンランド・マルカになる。スーパーを覗いたが、お目当てのキャンドルはなかった。また雨、それもかなり強い降りで急いでホテルに戻る。

左)ヘルシンキ中央駅のホーム p.m6:00 ロシア・サンクトペテルブルク行きの列車が出る、
中)右) ヘルシンキ中央駅

 7時ホテルのレストランで夕食。ビール330mlが25マルカ(450円)。高級ホテルなのにブッフェの内容はよくない。8時には部屋に戻る。今回、お土産の量は少ない方だが、小さめのスーツケースで来たので、妻は荷造りに知恵をしぼっている。ベッドに横になると同時に睡魔が襲ってきて、すぐ眠りに落ちる。

 旅の10日目、9月4日。6時40分起床。昨日と同じようにどんよりと曇っている。
 8時レストランへ。世話になった添乗員にお礼をしようという声が上がり、1人千円供出。これまで例がないので受け取らないだろうと思ったが、添乗員氏、すんなり受け取り驚く。

 午前中、フリータイム。近くの郵便局前から同行の一組のご夫婦とトラムに乗る。いっぱいだった乗客も次々に下りていく。昨日観光した大聖堂などを港の方から市内を8の字に1時間で一周する。8マルカ(140円)でいい観光になった。中央駅では地下鉄のホームにも行ってみる。地上に出たところで別れ、街の中央の細長いきれいな公園へ。しゃれた店が並び、可愛い人形やローソクを買う。雨が降る中を歩いていると、デパートに行き当たり、妻がナフキンとローソクを買って手持ちのフィンランド・マルカはなくなる。

左) ヘルシンキ市内循環のトラム 1時間で1周する、中)右) ヘルシンキ市内

フランクフルト経由で関西空港へ

 11時45分ホテルに戻る。濡れた衣類を乾かし、帰国の荷造りをする。昼食に果物を摂って、12時18分ホテルを出発。雨が降ったり止んだりしている。馴染んできたヘルシンキ市内から緑豊かな郊外を走り、12時45分空港着。

 北欧の女性は美しい。色白で、肌はきれいで、豊かな胸とお尻、すらりと伸びた脚。スタイルも素晴らしい。しかしそれも若いうちだけで、中年になると90何%かの人は巨体になってしまう……。免税の手続きをして、202.4マルカ(3,000円)が戻ってくる。使い残しのお金と合わせて、会社への土産にフィンランドのチョコレートと木彫りのカップ169マルカ(2,600円)を買う。

 ルフトハンザ航空3039便、窓側の並びの席がとれた。夫婦離れた席になった人も。妻と日程表を見ながら旅の想い出を語り合う。今回も素晴らしい旅だった。
 2時31分離陸。機はすぐ雲の上に出て、下界は厚い雲の下。前方の席で赤ん坊が激しく泣いている。3時に食事がでる。昼を果物だけで済ませたので空腹で、美味しく食べられた。お腹の具合もいつの間にかよくなっている。生のサーモンがとろけるよう。ドイツビールもいい。雲が晴れてバルト海がよく見える。ドイツも平坦な大地が続いている。4時33分フランクフルト着陸。

 フランクフルトも雨。大きな免税店があるものと期待していたが、店は小さく娘に頼まれていたプラダのバッグもない。北欧では一度もブランド品の店は見なかった。疲れてロビーのソファーに沈みこむ。添乗員が1人1人に挨拶して回っていた。
 黒人の楽団「ハバナ・ナイツ」の4~50人が全日空のロビーで歓声を上げたり、拍手をしたりして騒いでいた。

 6時42分、予定より30分近く遅れて離陸。窓側の並びの席。しばらく茶色やオレンジ色の瓦の家並が見えていたが、すぐに雲の下に隠れる。7時、白ワインを2本飲んで、夕食。ポークと魚料理の2種類をとって妻とシェアする。あとは眠るだけだが、眠れず。織田裕二の「ホワイトアウト」などの映画を観て過ごす。

 日本まであと2時間半、ハバロフスク近くを飛んでいる。下界が時々顔をのぞかせる。高度11,277m。
 日本海上空を順調に飛行。奥尻島から岡山を経て瀬戸内海上空を飛び、12時30分関空着。ムーッとする暑さ。晩秋から夏に逆戻り。暑さに慣れるまでが思いやられる。

- 完 -

 

 

 

 - コラムの広場