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い つ か ら か  銀 翼 に 恋 し て

      2016/06/21

下枝 堯

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初の国産ジェット旅客機、空へ

昨年の11月11日、国産初の小型ジェット旅客機MRJ(Mitsubishi Regional Jet)が名古屋飛行場から飛び立ちました。戦後の長い空白を乗り越えてYS-11が初飛行して以来、国産旅客機としては実に53年ぶりの出来事でした。ジェット旅客機MRJ21962年当時、国際航空ではDC8、B707、CV880といったジェット旅客機がすでに就航していましたが、短距離離着陸性能に優れたターボプロップ旅客機の誕生は日本の空に希望の火を灯しました。

目に焼き付けた「銀翼に日の丸」

東京オリンピック前夜、私たちが高校時代の出来事です。そのころ、稀に福岡空港に進入する飛行機が福高上空を飛ぶことがあったのを覚えていますか。
現在では、福岡空港滑走路の南北両端に計器進入着陸装置が設置されていますからこのようなことは殆どありませんが、ある日、体育の授業中に昭和天皇ご搭乗の日本航空CV880ジェット機が福高の真上を飛行したことがあります。物心ついたころから見る飛行機といえば板付基地に飛来する星のマークの米軍機ばかりでしたから、銀翼に描かれた日の丸の赤さは強烈で、今でも鮮明に覚えております。

剣道に明けくれた学生時代

子供のころから、パイロットになり空を飛びたい夢を持っていましたが、それもいつしか薄れ剣道にのめり込んだ高校、学生時代でした。大学4年の夏、けんどう下枝剣道の親善試合で台湾を訪れることになり、那覇から台北まで乗った飛行機が日本航空のCV880ジェット機。初めての飛行経験は、ふんわりとした感じでしたがすっかり空の魅力にはまってしまいました。

運命の糸に導かれパイロットの道へ

学生生活も残すところ数か月となった1967年の暮れ、新聞に掲載された「日本航空操縦士訓練生募集」の広報が目に留まりました。全くの偶然です。応募要項を熟読すると、身体要件を含め自分も資格を満たしていることがわかり受験を決意し応募。当時は裸眼視力1.0以上(現在は矯正視力1.0以上)が必須条件で試験場にメガネの学生は皆無、珍しい光景でした。しもえださん試験項目は多岐に亘り、小型訓練機での飛行試験結果も適正ありと判定され合格。1968年5月、操縦士訓練生として日本航空に入社、パイロット人生が始まりました。

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