「その時、君は?」【010】1964 Apr.1 防衛大学青春記  ①入校式

      2020/06/15

 

「寿禄会生0.9%の青春」というセンスあふれるタイトルのもと、竹田範弘君が綴った防衛大学回顧録を読まれた人は多いのではないでしょうか。
「0.9%」とは昭和39年に福高を卒業した449名のうち、防大に進学した者のパーセントで、私もわずか4名しかいないその一人です。

 竹田君は当コーナーの発案者とのことで、編集部から「阿部さんも同じ時間を共有された学友として、回顧録を書いてみませんか」とのお勧めがあり、書いてみることにしました。

 近年記憶は次第にあやふやとなり(笑)、頼みの写真も当時のものはあまり残っていないのですが、竹田君の志を100人の同窓生の皆さんに繋いでいくために、不得手な作文にトライすることとしました。外出自粛のつれづれにご笑覧いただければ幸いです。

※写真は一部ネットから拝借しました。

 

1964 Apr.1

「その時、君は?」【010】  阿部 保之

◆防衛大学校入校式・祝賀飛行(2018年)

1964 Apr.1 父から託された夢を受けつぎ、防衛大学に入学しました。

私が防衛大学を受験したのは、特に明確な理由があった訳ではありません。父に強く勧められてその気になりました。父は懇意にしていた元陸軍軍人(子息は福高OBで防大生)の方とのご縁で防大の存在を知ったようです。

両親は朝鮮からの引き揚げ者で、父は特に敗戦の悲惨さを体験していましたので、常々国防の重要性を口にしていました。又、父は若い頃軍人士官に憧れていた様で、私に自分の若い頃の夢を託したのではなかったかと思います。私は私で、どうせ国立大を受験するのだから腕試しに受験してみるのも良いかと気楽な思いで受験し、国立大の受験前に合格が発表されて、受験勉強から解放され、入校日まで極楽トンボの日々を送っていました。要するに、私が防大に入校したのは、申し訳ないことながら成り行きでした。

防大進学が決まり両親は、もちろん喜びましたが、その理由の一つは、口にはしませんでしたが、経済的理由だったのではないかと思います。私は三人兄妹弟の長男で両親はまだ二人の子供を進学させなければなりませんでした。

防大生は学生でありながら身分は「特別職国家公務員」ということで、入学金・授業料は無料、全寮制で生活費がかからない上、毎月俸給が支給されます。私達の頃は、月々約5~7千円の俸給が支給されましたので、有難かったのではないでしょうか。

貸与された制服に身を包み、防大生としての一歩を踏み出しました。

1964年4月1日、福岡からはるばる神奈川県横須賀市にある防衛大学に赴き、母と共に入校式に臨みました。当日は、正門の脇に受付が設置されており、合格者はそこで到着を確認され、時間まで到着出来なかった者は不合格になります。到着を確認されて、各々の所属が指定されました。

私は、223小隊(2大隊、2中隊、3小隊)ということになります。所属が決まったら、対番(たいばん)と言う2年生(陸上要員・Mさん)の世話係の案内で被服類等学生生活に必要な諸々の品物を受け取りに行きます。対番とは、新入生に一人ずつ2年生のお世話係が付き、防大での日々の生活のあり方からメンタル面でのケアに至るまで、親身になってお世話をしてくれる防大独特の教育制度です。

大学から貸与・支給される品々は制服(旧海軍兵学校生徒の制服を模したもの)、作業服、衣嚢(筒状の衣類入れ)、背嚢(リュック)、短靴(靴)、半長靴(戦闘用編み上げ靴)など。品物を受け取った後、医務室に行き再度身体検査を受けます。(合格後に不具合が出た者を調べるためでしょうか?)

無事身体検査に合格し晴れて防大第12期生となり、自分の部屋223小隊、8号室へ沢山の品物を抱えて向かいました。8号室には、既に私と同じ様に品物を抱えた同期が集合していました。

私達の時は、学生舎居室は、一部屋、4年生1名1年生7名計8名で使用していました。私達の部屋の4年生は、市村真一という、大分県竹田市の出身で見るからに、親爺!親爺!した4年生で(実際は面倒見が良い、親分肌の好人物)、私達は早速受け取ったばかりの制服を身に付けて、形だけの防大生になり入校式が行われる大講堂へ向かいました。

私達の時の校長は初代校長で槇智雄先生でした。槇校長は、防大が設置される際、時の吉田茂首相が懇意にしていた慶応義塾長小泉信三氏に推薦を依頼し槇智雄先生に決まったと言う経緯があります。(マナスル初登頂の槇有恒氏は槇先生の実弟)

◆防衛大学校初代校長 槇智雄先生の像

◆竹田範弘君と

入校式が終わって、校内を歩き回って次は、食堂で父兄を交えて昼食会です。ここで、小隊が異なる竹田範弘君と初顔合わせをすることになり、私の母を交えて一緒に昼食を摂りました。福高から一緒に防大に来た同期が居ると言うだけで心強く思ったものです。

つづく

 

 

 

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