フィリピン ボランティア滞在記 7

      2017/11/26

 9月と10月は慌ただしい日々でした。一時帰国では久し振りの電車に少し違和感を覚え、逆にダグーパンのアパートに戻った時には安堵した気分でした。

 

アラミノスへの転居

 10月下旬から乾季で晴天が続きました。月末に現地代表からアラミノスへの転居の話がありました。ダグーパンのアパートの都合によるものでした。そちらのアパートを見て契約をし、11月7日午前に引っ越しました。荷物は旅行ケースと袋に詰めた物だけです。

 前に述べたことのあるビリーさんが運転する乗用車で移動し、スワル孤児院でもお世話になった職員のグローリアさんも手伝いに来てくれました。荷物を部屋に運び上げれば終わりです。お礼にアラミノスから突き出たルカップ岬にある有名なレストランで昼食を御馳走しました。代金は2,000ペソ余でしたが、私達が贅沢したうちの1つです。

 アラミノスはスワルからダグーパンとは反対方向の北西約20kmの地方都市で、緑も多く綺麗な町です。私達が盗難に遭った所です。

 アパートは3階建ビルで、1階は店舗と大家さんの住まい、2階に法律事務所がある外は全部がメゾネット式アパートでした。私達は3階に入居しました。冷蔵庫とテレビもあり、シャワーは温水も使え、洗濯機は中古(シャープ)を賃借りしました。ガスはどこもプロパンです。私達が日本から携行した炊飯器は事情があり壊れていたので、2、3日は鍋で炊きました。大家さんの奥さんのエイミーさんに相談し、あちらの製品を買って来てもらいました。570ペソの簡単なものでしたが、直ぐに慣れて焦がさず美味しく炊けました。蒸し器としても使え便利でした。

 ネットは法律事務所から無線で接続する約束でした。繋がると言うので3階に入居したのですが、駄目なので法律事務所入口横の待合椅子で送受することにしました。蚊が煩わしいので、夜は電池式の防蚊器を置きました。無線接続の設定には法律事務所の若い女性職員2名が手助けに来てくれて賑やかで楽しいことでした。

 

ウォーキング中に士官学校の学生に出会う

 スワルへの通いはバスです。アパートは大通りから少し引っ込んでいましたが、市場やショッピングモールもバス発着場も近くて便利でした。通り道にあるマクドナルドとフィリピン資本のジョリビーという2つのファミレスにも時たま寄りました。

 土・日曜日にはルカップ岬への道路を往復7~8Kmウォーキングし気持良い汗をかきました。戻ったその足でアパート前の雑貨店で棒アイスを買って食べたのも懐かしいことです。このウォーキングの時、たまたまルカップ岬に来ていた士官学校の学生に会えたのです。

 大家さん夫婦は大変誠実で親切な方々でした。静かで便利なこの町とアパートで穏やかに過ごさせてもらえたのは有難いことでした。

◆アラミノスのバス発着場です。毎朝ここまで歩いてきてバスに乗りました。切符はバスに乗ってから、車掌から買います。

◆いろいろとお世話になったグローリアさんです。スワルのCFF孤児院には夏に日本の大学生がワーキングキャンプに来ますから、グローリアさんも少し日本語を解しました。

 

クリスマスまでワクワクの2カ月間

 洋裁の指導はパンツ作りが一段落し、この頃からクリスマスに向けて色々な動きが出てきました。一つはクリスマス用デコレイション作りです。例年ある程度の注文があり皆さんが作り始めました。もう一つはクリスマスパーティーです。9割以上がキリスト教徒(殆どがカトリック)であるフィリピンでは年中で一番大事な時期のようで、11月になると色々のことが耳に入り目につきます。

 皆さんの一番の楽しみは各種のパーティーです。スワル市主催で女性の地域・職域団体のダンス競技パーティーに皆さんの組合も出場することになり、洋裁の手を休めてダンスの練習もするようになりました。9月と同じ縫製教室のパーティーも予定されました。この間にも小物の注文が入ったりして、皆さんあれこれと忙しくしながらも楽しく嬉しく過ごした2カ月でした。

◆縫製教室には、早くからクリスマスツリーが飾られました。

◆クリスマスデコレイション作りです。慣れた手さばきで作ります。

 

ダンス競技で着る「甚平」づくり

 洋裁指導はパンツ作りから「甚平」作りに移りました。と言うのが、スワル市のダンス競技では「日本らしい物を着て踊ろう」という意見が出て、作るのが難しくはない甚平がよいということになりました。採寸・型紙作りからという手順は同じです。他のことと並行して始まりました。

◆「甚平」の生地の裁断が始まりました。

◆写真右/「甚平」が1つ1つ出来上がって行きます。奥に見えるのはクリスマス用デコレイションです。

 私の方は、NISVA事務局に指導を受けながら商売の基本を助言しました。一方スワルの市場の中にPRショップを開くという市の話があり、予定場所のレイアウトなどを検討しました。ずっと後で実現した様子を知り大変嬉しく思いました。

 アラミノスに転居後の週日は毎日縫製教室に出掛けました。活気のある毎日で色々なことが進んで行きました。甚平も続々と仕上がり、一緒に踊る妻の物も含め全員分が出来上がりました。この頃のことです。組合が長く支払って貰えなかった代金を受け取れました。とても嬉しそうに小切手を見せて貰ったことを覚えています。

◆スワル市が催すダンス競技大会(パーティー)に向けて、洋裁の手を休めての練習にも熱がこもって来ました。

◆長く貰えていなかった代金を受け取れて、嬉しそうに小切手を手にした組合長Presidentと皆さん。42,000ペソという大金でしたが、細かな詮索はしませんでした。

 落ち着いて充実した毎日でしたが、私達に問題が生じました。アラミノスに転居した約1週間後に妻の父が倒れて入院しました。病状は次第に重くなるようで、長男夫婦がアラミノスに遊びに来る話も煮詰まっていたのですが中止しました。私達は年末一時帰国することにして、現地代表と相談しNISVA事務局長に報告しました。

 

国民的英雄 ホセ・リサール終焉の地――サンチャゴ要塞

 12月12日には現地代表の計画によるボランティア全員でのマニラ一泊旅行に行きました。日本大使館の担当領事にもお会いして御馳走になるなど思い出に残りました。

◆マニラ一泊旅行では、リサール公園にあるスペイン統治時代のサンチャゴ要塞を見学しました。写真左下と右下に見える足跡は、フィリピンの独立精神を高揚した国民的英雄のホセ・リサールが囚われていた位置から銃殺された位置まで歩いた軌跡を残しています。

 

縫製教室でクリスマスパーティー

 クリスマスが近づく16日には縫製教室でのクリスマスパーティーで盛り上がった1日を過ごしました。

◆縫製教室でのクリスマスパーティーです。御馳走が並びました。

◆プレゼント交換で貰ったものを試着してみて喜ぶお二人です。

◆カラオケで盛り上がっています。カラオケセットはレンタルです。

 

大ホールを沸かせた「甚平」ダンサーズ・チーム

 19日には市庁舎横の大ホールで大勢が集まるダンス競技の大パーティーに我がSual Sewers Association も参加しました。
 妻も加わり揃いの甚平姿で一糸乱れぬ?入場です。練習を重ねたダンスを披露しましたが、盛り上がった最中に市長さんが飛び込んで一緒に踊られるというハプニングも起こり、満場の皆さんから大喝采を浴びました。家族も含めた洋裁の皆さんと楽しい昼食をし、私達二人は午後早めにアラミノスに戻らせてもらいました。



◆写真上段左/お揃いの「甚平」姿でのGolden Sewersチームの入場です。  上段右/ダンスもたけなわとなって来ました。
◆下段左/突然、スワル市長が飛び込みで踊りの輪に入られ、大喝采が起こりました。  下段右/ダンスを終え席に戻った皆さん。

◆アラミノスの教会と付近のクリスマスイルミネーションです。(一時帰国の前々日に撮ったものです)

 

義父の病重篤のためボランティア続行を断念

 翌日の20日は一時帰国するので、荷物の用意や夕食を済ませて仮眠しました。23時頃に起きて旅行ケースの準備などを終え02:30頃に1階に降りました。既に大家さん夫婦が自家用車を用意して待っておられ、教会などに輝くクリスマスイルミネーションを眺めながら近くのバスセンターまで送っていただきました。優しいお二人に別れを告げてマニラ行きのバスは03:00過ぎに発車しました。

 帰国して会った妻の父は重篤な状態でした。内諾を得ていましたが、私達は勝手ながらボランティア活動を終わらせていただくことを願い出て承諾をいただけました。一旦フィリピンに戻り、色々の整理と関係者へのご挨拶をして日本に帰国することになりました。

 

 

 

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