Silent majority

      2019/05/01


 

 

 sachiko ichimaru 市丸 幸子
 

Silent majority.

遠い記憶の中に一つの広告があります。アメリカのアーリントン国立墓地に眠る戦死者たちの無数の墓標を写した写真に、キャッチフレーズはSilent majority.戦争の不条理さと、命を落とした若い戦士たちの無念の思いを伝える内容で、ベトナム戦争末期のものだったと思います。私が広告を目指すきっかけになった新聞広告でした。(実際の写真はモノクロです)


 

 

 

silent majority(サイレント・マジョリティ)とは「物言わぬ多数派・静かな大衆」を意味し、国民の多くがここに属しています。
一方その対義語としてnoisy minority(ノイジー・マイノリティ)という言葉があり、「声高な少数派」と訳すことができます。その主張に道義的裏付けは乏しく、「声の大きさ」に任せて騒いでいるだけというケースも少なくありません。

最近ネットの普及に伴い、広告表現や公共機関の広報などに対して、ほんのわずかな隙や言葉尻をあげつらって攻撃し、発信した側もクレームに恐れをなして即消去するという傾向にありますが、どうなのでしょうか? 逆にその表現を「楽しい、斬新で面白い、心に響いた」と受け取った(?)大多数のマジョリティの気持ちを置き去りにして良いものでしょうか?

このままでは国民が互いに監視してチクリ合う、窮屈で創造性のない社会になりかねません。広告や広報の発信者の皆さんも、検討を重ね自信をもって発表したのであれば、一部のクレームだけに耳を傾けるのでなく、堂々と初心を貫いて欲しいですね。

 

 

 

 

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