Nederland dreamin' オランダ点描④

      2019/09/16

 

 

 

 

フェルメールの生誕地――古都・デルフトへ

 8月14日朝7時、ホテルのレストランで朝食。お客は少ないし、料理の質・量ともに申し分なく、満足。窓の外の高級商店街を眺めながらのんびりした気分でナイフとフォークを動かす。9時前、ホテルを出発。デン・ハーグ中央駅でデルフトまでの往復切符を買う。2人で€8.8(890円)。

◆左:デン・ハーグ中央駅ホーム/デルフト行きの表示  右:オランダ国鉄の車輌

 デルフトはデン・ハーグとロッテルダムの中間に位置し、フェルメールが生涯を送った小さな町。運河が縦横に走り、白地に青の彩色で美しい模様が施された「デルフト焼」で知られる陶器の町でもある。  準急で16分。デルフト駅前が大規模工事中。目的地は駅の反対側なので、延々と歩く羽目に。それでも途中、フェルメールが17世紀に「デルフトの眺望」を描いた場所の近くを通り、思いがけずフェルメールと同じ目線で当時とあまり変わらぬ風景を楽しむことができた。400年近く街の景色は変わっていない。

◆左:フェルメールがデルフト眺望を描いた場所 新教会が見える(右上も同じ)。 右下:デルフト眺望・写真撮影不可のためデジタル複製画の写真。

 マルクト広場の入り口のチーズ屋で、民族衣装を着た女性店員と写真を撮る。試食が美味しく、スモークチーズを買う。€9.4(950円)。

◆民族衣装を着たチーズ店の店員と

めぐる運河と橋がおりなす美しいデルフトの町並み

◆南北約2km、東西約1kmという旧市街エリアは、散歩するように観光するのにぴったり。

37点の作品を残したフェルメール43年の生涯を偲ぶ

 11時前、マルクト広場に面したフェルメールの宿屋にほど近いフェルメールセンターへ。2007年4月に開館したばかり。フェルメールの町にフェルメールの作品は1点もない。その代わりに37点全作品のレプリカがパネル展示されている。再現されたアトリエなども見ることができる。フェルメールゆかりの地巡りの地図をもらう。

◆左からフェルメールの宿屋跡、フェルメールセンター、フェルメール作品のパネル

 生家と「ハウス・メヘレン」からフェルメールの2点の風景画のうちの一つ「小路」のモデルと思われる辺りを経て東門へ。近くのベンチに腰かけて、水辺の風景を眺めながら昼食。外で食べると一段と美味しくなる。大きな船が通る度に、運河に架かる橋が動き、道行く人は橋が戻るのを待つ。

◆東門

◆大きな船が通る時、運河に架かる橋が動き、人は橋が戻るのを待つ。

歴代のオランダ王族が埋葬された新教会

 マルクト広場に近い新教会へ。130年かけて建造された後期ゴシック様式の教会。17世紀製造のカリヨンを備えた高さ108.75mの鐘楼は1396年から100年かけて造られ、町のシンボルとなっている。フェルメールの「デルフトの眺望」にも描かれている。2008年7月に娘や孫と来た時に登った。390段の螺旋階段。汗をかき息を切らしている私を尻目に、小学1年生の孫は涼しい顔。デン・ハーグやロッテルダムまで見渡せる。地下にはオラニエ家歴代の人々の墓がある。

◆新教会鐘楼から眺める360度のパノラマは絶景。天気が良い日には、デルフト旧市街の彼方に、デン・ハーグやロッテルダムまで見わたすことができる。

◆新教会の内部

完璧な左右対称形、デルフトのランドマーク――市庁舎

 新教会とマルクト広場をはさんで向かい合っているのが13世紀建造の市庁舎。1618年に焼失したがすぐに再建された。焼け残った塔がバロック様式、再建された部分はルネサンス様式と2つの様式が混在している。マルクト広場の中央には国際法の父とよばれるヒューホー・グロティウスが自著を持った銅像が立っている。

◆写真左:マルクト広場 中央に見えるのが市庁舎、右に立っているのがヒューホー・グロティウスの像 右:マルクト広場で祝福を受ける新婚カップル

◆デルフト市庁舎 窓の赤い鎧戸が印象的。現在も市庁舎として機能しているため、内部は見学できない。

◆市庁舎のファサード かつて繁栄を極めたデルフト黄金時代の歴史を物語る。

娘家族とデルフト焼工房を見学

◆優雅な「デルフト焼」の器に目を瞠る妻と娘と孫

 運河に面した工房は、繊細な絵付けの見学や陶器の展示を予約なし無料で楽しめる。日本語の説明書もある。ギフトショップでは気に入った作品を生産者価格で買うことができる。色付きの風車の絵皿(直径20㎝)が€84(当時のレートで14300円)。記念に求める。

◆左からデルフト焼の工房「デ・デルフセ・ボウ」外観、工房の内部、記念に買い求めた風車の皿

 孫が店の人がくれたパンを運河から上がって来た鴨に与える。催促する鴨に手を噛まれ、逃げ回っていた。

◆孫と工房前の運河

 年間の水位変化が2~3㎝の運河の水面は、道路から5㎝くらいしか離れていない。道ぎりぎりまで水面が迫っている。柵がないので、年に何台もの車が運河に落ちるという。運河には白い蓮の花がそこここに咲いている。オランダの街歩きは楽しい。

◆デルフトの運河に咲く蓮の花

 デルフトの窯業は、東インド会社によって輸入された中国や日本の陶器をもとに、デルフト独特の手法で発展していった。17世紀後半の最盛期には30以上もの工房があったが、現在、伝統的な手作りの製法を守っているのは2ヶ所のみ。

荘厳なステンドグラスに圧倒される旧教会

 旧教会は、デルフト最古の教会。1240年頃創設された。内部にはフェルメールや顕微鏡を発明した生物学者レーウェンフックなど、多くの著名人の墓がある。運河沿いに建つ75mの塔は近くで見ると分からないが、離れるとかなりの角度で傾いていて驚く。

◆デルフト大火災や火薬庫の爆発事故など、たび重なる災害で大きなダメージを受けたが、近隣の市町村の募金により、見事な復旧を果たした。

◆旧教会鐘楼

◆左:旧教会内にあるフェルメールの墓石 右:デルフトの街角では、いたるところにフェルメールの作品パネルを見ることができる。

オランダ建国の父・オラニエ公暗殺の地

 「プリンセンホフ市立博物館」では、フェルメールの時代の絵画やデルフト焼、銀器を観る。15世紀に修道院として建設され、1572年から住居としていたオラニエ公ウィレム1世が1584年凶弾に倒れた。今でも2階に上がる階段に弾痕が残っている。

◆館内にはオラニエ公や対スペイン戦争(80年戦争)に関わる資料、オランダ王室歴代の肖像画などが展示されている。

 夕方4時にはデン・ハーグに戻る。

 

北海に面したシーサイドリゾート――スヘフェニンゲン

 2012年8月15日朝9時デン・ハーグのホテルを出発。真夏でも風が冷たい。トラムに20分も乗るとスヘフェニンゲンの「クアハウス」に着く。南仏のリビエラやイギリスのブライトンを思わせる王宮風の巨大な豪華ホテル。森鴎外も滞在したことがある。付近にはショッピング街や劇場、水族館、カジノ、レストラン、カフェがびっしり軒を連ねる。かつては素朴な風景が広がる小さな漁村だった。オランダ人の大好きなニシン漁の本場でもある。

◆ビーチ沿いにそびえ立つ、五つ星ホテル「クアハウス」が存在感を放つ。

 北海の海岸へ。海水は冷たい。ドイツ人を主体にヨーロッパ各国から人々が訪れるオランダ1、2を争う夏のリゾート地も朝は閑散としていて、広く清潔な砂浜は人の姿もまばら。貝殻の模様がきれいで、妻は貝拾い。

◆左2枚:人影もまばらな海水浴場 右:北海の波打ち際で、妻は夢中で貝拾い。

 11時にはデン・ハーグに戻る。

 

 オランダ語の発音は日本人には特に難しい。孫がもどかしそうに何回も教えてくれるが、半母音が多いうえにやたらと摩擦音が出てきて、さっぱり区別がつかない。
 Scheveningenはカタカナでは『スヘフェニンゲン』になるが、「スケベニンゲン」と言った方が通じる。私は、駅の窓口で切符を買うときは、紙にオランダ語で書いて見せるようにした。片道か往復か、1等車か2等車か、大人何人か、日帰りかなど。これなら何も言わずに買える。自動販売機があるが、現金は使えず、クレジットカードはアムステルダムなど大都市を除いて地元のカードしか使えない。

 

 

 

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