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KARL MARX 生誕200年 マルクスあれこれnew 

   

 

カール・マルクス生誕200年

 今年、2018年は、カール・マルクスの生誕200年目の年だそうです。5月5日が誕生日で、1883年3月14日に亡くなっています。昨年は『資本論』第1巻の刊行から150年目でしたから、2年続けてマルクスが話題になりました。

 マルクスは、レーニンとちがって、社会科学者・思想家としてあいかわらず人気が高いようです。なんといっても、資本主義をまるごと解剖し、その没落の必然性を論証したのですから、いまの時代に懐疑的になる人は関心をもつのではないかと想像します。折角の年なので、マルクス経済学の話などできませんから、マルクス与太話をいくつか。

 

夢想的?な僕に友人がくれたもの

 高校3年の誕生日、小学校以来の友人から、本をプレゼントされました。表紙にひげづらのマルクスの顔がのっていました。本の題名は『唯物論の学習』、著者は寺沢恒信でした(この名前は大学に入ってからも出会ったことがあるので記憶に残ったらしい)。

 この本はマルクス主義の唯物論哲学を解説する本でした。とはいえ、この友人が、ぼくをマルクス主義者にしようとしたわけではなく、「君のいうことはいつも観念的、なんとかしろ」という友情からの贈り物でした。観念論に対して唯物論を、というのが理由だったのです。ちなみに、「観念的」という批判は「現実的でなく、夢想的」という意味でした。

 

1カ月のバイト代で手に入れた「資本論」!

 高校の卒業式のあと、文芸部の仲間と小旅行をしました。ヒッチハイクを主とすべきところ、つい面倒になって汽車旅となりましたが、その車中、3人でおしゃべりをしていたら、相席の中年男性が「みなさんは、マルクス主義者ですか?」と尋ねました。とんでもないです、と返しましたが、どうしてそう聞かれたのかわかりません。3人でなにか熱くなっていたのかもしれません。大学に入ったら『資本論』を読まなきゃといっぱしに思っていました。とはいえ、資本論を手に入れたのは、大学の2年生の夏休み、デパートで1か月バイトをして、もらった給料でやっと全巻購入しました。もちろん、いまでも手元にあります。

 

 

 

 

 ※参考画像(編集部注)

 大学の助手時代、お昼休みを使って、職員のみなさんと資本論の学習会をやりました。学生時代から世話になっていた用務員のおばちゃんたちも参加しました。そんな時代だったのです。ぼくが講師役でしたが、いまから考えると、冷や汗ものだったはずです。若さの特権でした。ついでに、特別講習ということで、勤務時間後、同世代の若い職員2人と読書会をしました。男性と女性の二人で、職場のみなさんから、この二人が仲良くなるチャンスを作ってやって、とひそかに頼まれてのことだったのですが、残念ながら不首尾に終わりました。余計なお世話でした。

 マルクスが生まれたのは、ドイツの南端、モーゼル・ワインで名前を知られるモーゼル川の下流の町、トリーアです。この5月には中国がマルクス生誕200年を記念して、4メートルをこえるマルクスの銅像をトリーア市に寄贈し、イベントが行われたようです。

 

僕だけの秘密の「マルクスGOODS」とは?

 トリーアのマルクスの生家をはじめて訪ねたのは1981年5月でしたが、ちょうど改修中でした。工事の職人さんたちにいろいろと話しかけていたら、「あなた、マルクスに興味があるんだったら、これもっていっていいよ」と言われたのが、修理の際中にでてきた古新聞です。もうくずれそうな、判読もほとんどできないようなものでしたが、喜んで頂戴しました。この機会に確かめたら、まだ、保存していました。

◆左:トリーアの街  右:マルクスの生家

 マルクスのグッズといえば、かれの学業成績表の写しをもっています。マルクスは、ベルリン大学(現在のフンボルト大学)で法学を学びましたから、成績表が大学に保存されていて、フンボルト大学法学部の先生からいただきました。これには、受講した科目について担当教授の寸評が記入されています。ドイツ法学史上、だれでも知っている教授がでてくるので「へえー」という感じです。

 

足元にご用心!

 フンボルト大学は、ベルリンの目抜き「ウンター・デン・リンデン」通りに面しています。門の両サイドにフンボルト兄弟(1800年のベルリン大学の創設時に大きな貢献をしたヴィルヘルムとアレクサンダーの兄弟)の像が鎮座しています。そこから建物の正面玄関に向かいます。玄関を入ると広間があり、装飾用の階段をのぼりつめた壁に、マルクスの有名なことばが刻まれています。「哲学者はこれまで世界を様々に解釈してきた。しかし、肝要なことは、解釈することではなく、それを変革することである。」

 ドイツ統一後、この壁に刻まれたマルクスのことばを撤去するかどうかが大学のなかで議論されました。というのも、これは東ドイツ時代の遺産の1つだったからです。別の例ですが、東ドイツのライプチッヒにあった「カール・マルクス」大学は、統一後この名前を変えました。

 フンボルト大学の学生たちの議論の結果は、とても機智にあふれるものでした。壁に刻まれたマルクスのことばはそのままにする、ただし、階段の段差の部分の一つ一つに、“Vorsicht” と書き込むというものです。玄関からながめると、段差の部分にVorsicht と書かれた階段をのぼって、マルクスのことばに行き着きます。Vorsichtとは、「どうぞご用心」という意味ですから、階段とマルクスをかけたわけです。

 

汝自身の道を行け

 大学を70歳で定年退職する際に、慣行にしたがって、大学に記念として残すために色紙を書くように言われました。少し練習をして書きました。「汝自身の道を行け。そして人々をして語るに任せよ。」 これは、1867年刊行、資本論第1巻の序文の最後にマルクスが記したことばで、もともとはダンテのことばです。ちょっと格好をつけるにはいいですね。

 

 

 

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