homage 絵のない絵本 1999文字のものがたりー嫌われ者の大統領

      2018/11/18

アンデルセンの「絵のない絵本」のスタイル(月が見ていたお話)を真似て書いた物語です。舞台や登場人物は架空のものでモデルはありません。

 

 

ある寒い夜のこと、私は大統領官邸の天窓から執務室をのぞき込んでいました。
そこには、ま新しいパソコンと格闘する大統領の姿がありました。

 

「カタカタ、カタカタ」大きな背中を丸めるように、「カタカタカタ…」
人差し指が一生懸命にABCを探しています。
マニュアルを睨みながら、もう1時間以上も何か文章を打ち続けているのです。

「クスッ」 私は思わず笑ってしまいました。
そんなに力を入れて、キーボードをたたかなくてもいいのになぁ~。
大統領が若い頃に習った、タイプライターとは違うんだからね・・・。

 

 

それからしばらくしたある日、街は大統領のうわさで持ちきりでした。
彼がまた、何か失敗をしたらしいのです。
就任以来やることなすこと、大統領の言動は非難のまとになりました。

「世界に対して、恥ずかしいですよね」 「一日も早くやめて欲しいと思います」.
きびしいコメントがTV画面から流れてきました。国民皆が口々に同じことを言うのです。

「なぜだろう?」と、私は思いました。
たまには褒める人がいても、いいんじゃないかな?

 

 

そんなことがあった少し前、私はある病院の一室を照らしていました。
そこには、幼いころに視力をなくし、角膜を提供してくれる人を待つ少年が
入院していました。

 

「ねえママ、またあの本を読んでよ」 
「あらあら、同じ本ばかり、そんなに面白いの?」
少年は、ある大投手の伝記を読んでもらって以来、野球が大好きになったのです。

「ママ、僕ね、眼が治ったら野球選手になるんだ!」
少年がいつになく興奮しているわけは、すぐにわかりました。

あの伝記の主人公の投手が、彼を見舞ってくれることが決まったのです。
モノクロームの病室の中で、少年のほほが薔薇色に輝いていました。

「あれっ?」 私は瞬きをして、目をこすりました。
病室はまっ白だというのに、そこにはまぶしいばかりの緑で覆われた
グラウンドが見えたのです。
それは、いつか眼が見えるようになったら、思いっきり投げて打って走って、
ファンの大歓声にこたえたいと夢見る少年の心の中の風景でした。

 

 

お見舞いの日、大統領につれられて、憧れの大投手が少年の病室を訪れました。
彼は世界記録をつくった記念のボールやバット、ユニフォームをプレゼントし、
少年をやさしく励ましました。

このできごとはニュースで伝えられ、国民の心を温めてくれました。
「気さくでやさしくて、本当に素晴らしい人ね」
「彼こそ、本物の人格者だね」 人々は口々にほめそやしました。

「でも大統領がじゃまだったわね、なぜ一緒にいるのかしらね?」
「どうせ、人気取りのパフォーマンスさ」
人々はやっぱり大統領の悪口を言うのを忘れません。

 

 

その日から、少年のもとに投手からの手紙が届けられるようになりました。
手紙は少年を励まし元気づけ、ときには笑わせて、最後はいつもこんな言葉で
結ばれていました。

「あきらめずに頑張れば、夢はぜったいに叶うものなんだよ」
やさしい手紙は、少年の手術の日までつづきました。

 

 

少年の手術は成功し、投手がお祝いに、もう一度少年の病室を訪れることになりました。
その日は桜も満開、窓から春風に運ばれて、花びらがベッドに舞いおりるのを、
私も胸いっぱいの感激で見ていました。

 

カメラのフラッシュを浴び、病院の廊下を歩いてくる投手と大統領。
お母さんが少年のヒーローである投手にかけより、お礼を述べる姿が見えました。
「長いあいだ温かいお手紙をいただき、ありがとうございます。あなたは息子に
眼をくださったも同じ、いのちの恩人です」

ここで投手からお母さんだけにそっと、意外なことが告げられました。
励ましの手紙は実は、投手に内緒で大統領が書いていたというのです。

二人は大学の野球部でバッテリーを組んで以来の親友で、今回のお見舞いも
少年が投手に憧れていることを知った大統領が提案して実現したことが
明かされました。

「さすがに、手紙を書いてくれとまでは言い出せなかったのでしょう」
投手は笑いながら、友人をふり返りました。
「こんな風貌ですが、彼はとても純粋でやさしいヤツなんですよ」

 

 

病室に入った投手は、今では誰よりも綺麗な瞳の持ち主になった少年に笑いかけ、
握手をしようと手を差しのべました。
付き添ってきた大統領も、思わず手を差しのべるのが見えました。

感動的な瞬間をとらえようと、フラッシュがたかれる中、少年はにっこりと笑い、
大人には見えない真実を見通す眼で二人を見つめ、迷わず大統領の
大きな手を握りお礼を言ったのです。

 

オロオロするお母さん、ザワザワと騒ぎはじめるマスコミ陣、満足そうに笑う投手、
顔をくしゃくしゃにして泣き出しそうな大統領・・・。

それからどうなったか、私にはわかりません。だって、涙で目の前がぼんやりして、
何も見えなくなってしまったからです。

 

 

 

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