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町屋からの眺め 6 夫婦恵比寿など

      2018/01/17

 

 もう師走。年をとると考えを実現する実行力が弱るので、時間のたつのを早く感じるそうだ。遅れる時計は見る人間にとってはゆっくりしているが、時計本人にしたら、世界がどんどん進んでいくので焦っているに違いない。一年過ぎるのがとても早い。生まれ年の酉年もさらっと過ぎていく。

 さて、博多の師走は櫛田神社の「夫婦恵比須(めおとえびす)祭」ではじまる。12月2日と3日のお祭りが恵比須会館で催行され善男善女で賑わう。全国にエビスさんをお祀りするお宮は無数にあるけれど、夫婦のエビスさんはとてもめずらしい。ネットで検索しても、人吉に九日町夫婦恵比寿神社という小祠があるくらいだ。

 お櫛田さんの夫婦恵比須神社も小さいけれど、こちらは板張りの拝殿がちゃんとある。まんまえには夫婦銀杏もあってめでたい。博多松囃子の三福神は、福神(寿老人)・恵比須・大黒で、恵比須さまはもちろん夫婦恵比須だ。だから三福神と言いながらじっさいは四柱の神様というのがおもしろい。

 さて、エビスのおおもとは、古事記・日本書紀にある。古事記の記述はこうだ。(福永武彦訳『現代語訳古事記』河出文庫、をさらに意訳してみる。)

 イザナキノミコトが柱を左から、イザナミノミコトが右から廻って、出会ったところで子を生むのだが、柱を廻り出会ったところで声を掛けあった。

イザナミ「まあ、なんとすてきな男」
イザナキ「おお、なんと素晴らしい女。だけど、女のほうが先にものを言うのは良くないよ」
 イザナキとイザナミは寝所にはいって御子を生んだ。その御子は水蛭子ヒルコだったので、葦船に入れて流した。次の御子もだめだった。それで、やり直すことにして、柱を廻って男から声をかけることにした。

「おお、なんと美しい女だ」
「まあ、なんてすてきな男」
そうして生まれたのが日本の国だった。

 

 一方の日本書紀は、本文はちゃんとした結婚ができるのだが、「一書アルフミに曰イワく」として10の別の話を書いている。その最初の話が、古事記とよく似た話になっている。

〈一書アルフミに曰く、天神アマツカミ、伊弉諾尊イザナキノミコト・伊弉冉尊イザナミノミコトにかたりて曰わく、
「豊葦原トヨアシハラの千五百秋チイホアキの瑞穂の地クニあり、汝行きて脩シラすべし」
とのたまひて、すなわち天瓊*戈アメノヌホコを賜う。ここに二の神、天上浮橋アメノウキハシに立たして、戈ホコをさしおろして地を求む。因ヨりて、滄海アオウナハラを画カキナして、引きあぐるときに、すなわち戈ホコのさきよりしたたり落つる潮シオ、結コりて嶋となる。名づけて淤能碁呂オノゴロ嶋という。二の神、かの嶋に降りまして、八尋之殿ヤヒロノトノを化作ケタつ。また天柱アメノミハシラを化竪ケタつ。陽神オカミ、陰神メカミに問いてのたまわく、
「汝が身に何の成れるところか有る」
とのたまう。こたえてのたまわく、
「わが身に具ナり成りて、陰ミの元ハジメというものひと処あり」
とのたまう。陽神ののたまわく、
「わが身にまた具り成りて、陽ヒの元ハジメというものひと処あり。わが身の陽の元をもて、わが身の元に合わせんと思欲オモう」
と、云爾シカイウ。すなわち天柱アメノミハシラを巡らんとして約束チギりてのたまわく、
「妹イモは左より巡れ。われはまさに右より巡らん」
とのたまう。既にして分かれて巡りて相遇アいたまいぬ。陰神、すなわち先ず唱えてのたまわく、
「妍哉、可愛少男を」
(あなにゑや、えをとこを)とのたまう。
「妍哉、可愛少女を」
(あなにゑや、えをとめを)とのたまう。
ついに為夫婦ミトノマグワイして、まず蛭児ヒルコを生む。すなわち葦船にのせて流しやりてき。次に淡洲アワノシマを生む。これまた児コの数にいれず。故カレ、かえりて天に上り詣でて、つぶさにそのありさまを奏したまう。時に天神アマツカミ、太占フトマニをもて占合ウラう。すなわち教えいでてのたまわく、
「婦人タワヤメの辞コト、それすでに先ず揚げたればか。更に還カエり去イね」とのたまう。すなわち時日を占定ウラえて降アマクダす。故カレ、二の神、改めてまた柱を巡りたまいぬ……(岩波文庫を元に、読みやすくした)

 ということで、陽神は左から、陰神は右から巡って出会ったところで、男から口を開いて、みこを生んだ。大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)・淡路洲(あわじのしま)・伊予二名洲(いよのふたなのしま)・筑紫洲※(つくしのしま)・億岐三子洲(おきのみつごのしま)・佐渡洲(さどのしま)・越洲(こしのしま)・吉備子洲(きびのこしま)。これで、大八州国(おおやしまのくに)ができた。

 

 女神から声をかけて子を生んだところが、古事記では「水蛭子」、書紀では「蛭児」が生まれた。それで、葦船で流した。蛭子はエビスとよんで名字※になってもいる。
 のちに、漁師の網にかかったり、海岸に漂着した神が祀られるようになったとき(寄り神;よりがみ)、それは葦船で流されたエビス様ではないかということになったのだろう。さらに、江戸時代に七福神信仰が起こると、大黒様はえびす様の父親だということになって、いっしょに祀られることも多い。

 ヒルコということで、エビスは足が萎えているといわれる。また耳も遠いという。それから、「えびす三郎」という言い方がある。三郎は三番目の男の子だが、記紀の「最初の子」はエビスだ。これでは筋が通らない。

 日本書紀の一書アルフミの第十書には、蛭児が三番目に生まれたことが書かれている。
 陰神がまず唱えて子をお生みになると、はじめに淡路洲、つぎに「蛭児」、つぎに海原・川・木・草、の順に天地創造となる。そして、二神は、「すでに大八洲の国と山川草木を生んだ。天下アメノシタの主キミたる者を生まなくては」 ということで、日の神「天照大神アマテラスオオミカミ」*を生み、つぎに月の神「月弓尊ツクヨミノミコト」を生み、「つぎに〈蛭児〉を生む。すでに三歳になるまで、脚猶アシナオし立たず。故、天磐瓊樟船にのせて、風のまにまに放ち棄つ」。そしてつぎに素戔嗚尊をお生みになった。

 以上の部分からいうと、エビス様を「三郎」と呼ぶのもわかるような気がする。
はじめ淡路洲、つぎに生んだ蛭児と重複するのだが、日の神・月の神のあとにまた蛭児をお生みになった。これなら3番目だ。
 あるいは、蛭子は葦舟で流されたのだが、のちに寄り神となって再生し、祀られることになったとき、イザナキ・イザナミの二柱のあとにお生まれになった神だからということで、三郎と呼ぶようになったのかもしれない。

 エビスから話はかわるが、有名な「黄泉平坂ヨモツヒラサカ」のエピソードの中に、いきなり「安曇連アズミノムラジ」の名が出てくる(岩波文庫48頁)のも興味深い。

 イザナミが亡くなったので悲しんだイザナキは黄泉平坂まで逢いにいく。そこから逃げ帰って、わが身の汚らわしいものを洗い去ろう、といわれて、
「筑紫の日向の小戸※の橘の檍原に至りまして、御祓除えたまう」(つくしのひむかのたちばなのおどのあわきはらにいたりまして、みそぎはらえたまう)

 

 そして、上瀬カミツセは流れが早すぎる、下瀬シモツセは流れが遅い、といわれて、中瀬ナカツセで汚れを洗いすすがれた。それで、いろんな神様をお生みになられ、上瀬・中瀬・下瀬の三区分、さらに潮の上・潮の中・海の底の三区分、それぞれに合計九神が出現、3を聖数とする氏族によって伝えられたものとも考えられる(岩波文庫の脚注、49頁)。

 ここで突然、安曇連アズミノムラジという氏族の名が出てくる。
「底津少童命・中津少童命・表津少童命は、これ安曇連等が所祭イキマツる神なり」
 これは岩波文庫の48頁で「日本書紀巻第一 神代上カミノヨノマキ」に出てくるのだ。ここまで、こんな具体的に氏族名はでてこない。これは興味深い。安曇という名は、いまでも志賀島の志賀海神社の世襲宮司のなまえだ(志賀島では宮司のことを殿さまというらしい)。安曇氏はここから全国的に広がっているといわれる。長野県の安曇野、渥美半島のいわれなんかもそのはず。

 また3の聖数に関連して、「宗像の三女神」も登場する。天照大神が素戔嗚尊のヤンチャにあきれて、天の岩戸に隠れ、神々の宴会で再生して、兄弟仲直りの誓いを立て、そこで生まれたのが、田心姫タゴリヒメ・湍津姫タギツヒメ・市杵嶋姫イツキシマヒメという宗像の三女神だ(64頁)。

 この三女神は、京都御苑にも祀られている。藤原北家ホッケの祖・藤原冬嗣フユツグが桓武天皇の許しで、京の東西ふたつの市イチ*の守護神として勧請したという。元慶4年(880)のことだ。『日本三代実録』に載っているのだけれど、読み下し本の上巻はあるのに肝心の下巻が見当たらない。年末大掃除をしなくては。

 

※…瓊=音;漢音ケイ・呉音ギョウ
1)たま。に(玉、特に赤い玉の意の古語) 
 ア)「玉で作った・玉を散りばめた・玉のように美しい」などの意
 イ)さいころ
難読;瓊音(ぬなと)・瓊脂(ことろてん)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・瓊矛(ぬぼこ)        
(広辞苑より):瓊野路は「ところてん」で出すのが早いかも。

※筑紫洲…九州のこと。筑紫が筑前・筑後の地域をあらわすようになるのは、大宰府時代に成ってあとのこと。

※エビスと呼んで名字に…蛭子能収というタレントさんがいる。本来は漫画家だが、タレントになる前に、浅草の小さな旅館で麻雀を打ったことがある。メンツは私のかみさんと知り合いの女性。私も含めて3人はど素人で習いたてだった。蛭子さんは「すいません、すいません」といいながら、安い手で上がり続け、とうとう完勝だった。麻雀ではないが福岡市の競艇の記念レースをテレビで中継するときにゲストで呼ばれ、その日のギャラを全部すって帰ったという話も聞いた。えびす信仰とはなんの関係もないけれど、話の種に。

※天照大神…本文に「此の子ミコ、光華ヒカリ明彩ウルワしくて、六合クニの内に照りとおる」とあって、源氏物語の光の君誕生の描写に通じるようだ。

※筑紫の日向の橘の小戸…日向=福岡市西区東半、室見川(支流に日向川)以西。小戸=福岡市西区小戸。(原本現代語訳〈39〉『日本書紀・上』山田宗睦訳・ニュートンプレス刊)。近くに日向ヒナタ峠もある。

※東西ふたつの市…東の市西の市(ひがしのいち・西の市)、東西両市ともよばれ、古代の都に置かれた官設の市場。平安京にも置かれた。貨幣経済を浸透させるため、貞観永宝をつくったときだったか、官人や女官に銭をもたせて買い物をさせた記録があったはずだが、どの本か忘れた。民間では長く物々交換が行われたようだ。

 

 

 

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