遊びをせんとや生まれけん 第1章new

   

第一章 誕生から小学校・中学・高校まで  市丸 幸子

プロローグ

「平家物語」の冒頭部分をもじってみた。

 
満洲へ満洲へ

 私は1945年6月30日、満州国で生まれた。満州国とは、1932年から1945年まで中国東北部(現遼寧省、吉林省、黒竜江省)と内モンゴルの一部に存在した国家である。

  1931年9月18日に日本軍が起こした満州事変をきっかけに、現地に駐屯していた関東軍が満州全土を占領。関東軍主導のもと満洲は中華民国からの独立を宣言し、翌年3月1日に満州国が建国された。首都は新京(現吉林省長春)におかれ、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を元首として迎えた。

 

 

◆満州国首都新京・大同通り

 日本政府は、この大陸政策の要として、「満洲へ満洲へ」の掛け声のもと若者の満洲移住を推進した。主な対象となったのが、親から農地を相続できない農家の次男坊以下の男子で、父市丸博はまさにそのど真ん中であった。

父と母のなれ初め

 両親は福岡県宗像郡(現宗像市)東郷町・釈迦院という小さな村の農家の出。父は四男二女の末っ子、母は三男三女の同じく末っ子。二人は幼馴染である。
戦前の旧民法では、農家の田畑は長男がすべて受け継ぎ、その他の子供たちは、自力で職を見つけるなり嫁に行くなり、ほったらかしであったという。母は看護婦になりたかったが、家が貧しく学校に行かせてもらえなかったと聞いた。昔の女性は可哀そうだなあ。
余談だが、母は中洲の玉屋デパートに勤め、三角形の間取り中央に柱があり、柱の下部に不気味な黒いしみがある部屋(今でいう事故物件)に、友人と住んでいたそうだ。安かったらしい。

 両親がどんな経緯で結婚し、父がいつ何歳の時に満洲にわたったか、今や知るすべもない。きちんと両親に尋ねなかったことが残念でならない。
二人は、親兄弟や親族が寄ってたかってめあわせた夫婦とでもいえばいいのか、昔はそんな感じで結婚が決まっていたという。

 そんなこんなで、満洲にわたった父のもとへ母は嫁いでいったのだが、そのとき「行くな」と止めた男性がいたらしい。ずいぶん大きくなって「内緒だけど」と母が話してくれた。不思議なことに、母に父とは別の恋人らしい人がいたことが、私は嬉しかった。
 それからまた時が経ち、弟にこの話をしたところ、「そんなことはない」とムキになって否定した。同じ子供でも、母に対する思いは男の子と女の子では違うんだなあ。

 つづく

 

 

 

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