潟洲町青春記◎福高剣道部と私 下枝 堯 new

   

 
剣心一如—福高剣道部と私  下枝 堯

 博多祇園山笠が終わり夏休みに入ると、高校剣士の一大行事「玉竜旗争奪高校剣道大会」が開催され、日本全国から福岡に集い熱い戦いを繰り広げる。この大会は5人制勝ち抜き戦で、一人で対戦校の剣士を打ち負かすこともできるユニークな大会である。戦前は福日大会として旧制中学の強豪が出場、福中も3回優勝した歴史あるもので福高剣道部にとって最大の目標であった。

 私は二年生で副将、三年時大将として二度出場。高二時は15回生・大将入井(現教士八段)、村中、16回生・青木、水田、17回生・今泉、加藤の7名で参戦、シード校の東筑高を破り準々決勝まで駒を進め強豪長崎東高と対戦、接戦の末敗れベストエイトで終わる。

 三年時は、16回生・青木、森、17回生・今泉、加藤、木下、18回生・神野で臨みシード校の宮崎農高を撃破勝ち上がり、再び長崎東高と対戦した。試合は両校互いに譲らず大将戦となり、私は超高校級と評判の敵大将と十数分に及ぶ激闘の末引分け、代表戦となり、今泉が鮮やかな胴を決め前年の雪辱を果たした。続く対戦は親善戦で交流のあった明善高、これには難剣の選手に翻弄され敗退、ベスト16で涙した。

 福高剣道部は、当時の第二体育館を幔幕で二分し卓球部と共有していた。稽古中ピンポン球が良く飛び込んできたものである。この体育館は女子の体育授業が土足で行われていたので、剣道部員は毎日剣道場とすべく、床の砂を掃き雑巾かけをした後に激しい稽古を重ねた。

 一年時は同期部員も多かったが、勉強に専念したいと次第に一人去りまたひとり去っていった。退部した者も初段は取得したと思う。結局、卒業まで在籍は青木壮治、森敏、松嶋卓爾、岩切勲、そして私の5名が残った。指導者には、福岡県剣道連盟より富重淑郎先生を迎え基本を叩き込まれた。顧問は倉富長閑先生(シャンシャン)で、宮崎市で開催された九州大会に個人出場した時は同行願った。

 毎夏休みには、志賀島の安曇磯興先輩(町長)のお世話で「海洋訓練所」の施設で合宿を行った。暑い最中の稽古は辛かったが、何と言っても毎晩の若い先輩方の学生生活、東京での話を聞くのが面白く夢を膨らませたものである。その影響もあったか早稲田に進学、4年間剣道主体の学生生活を送った。

 毎年7月上旬に玉竜旗支援カンパを兼ね、首都圏在住の剣道部OBOGが集う。今年はコロナで中断して久々の開催、福岡からの参加もあり母校の活動状況、参加者の現況報告、そしてそれぞれの玉竜旗大会の思い出、自慢話を肴に愉快な時を過ごした。現在はこの大会も男子、女子と二つの大会となった。さて、今年はどこまで勝ち進むか、結果が楽しみである。

 

◎玉竜旗高校剣道大会とは

 玉竜旗高校剣道大会は、《全国高等学校剣道選抜大会》、《全国高等学校総合体育大会剣道競技大会(インターハイ)》と並ぶ高校剣道界3大大会の一つ。1916年(大正5年)に、西日本新聞社の前身福岡日日新聞社が主催となり《九州学生武道大会》の名称で福岡県下15校の参加で開催したのが始まり。5人制団体勝ち抜き戦(抜き勝負)によるトーナメント戦で、毎年7月に福岡県福岡市で開催、熱戦をくり広げている。

左は2025年(令和7年度)のポスター

 

 

 

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