美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行④

      2023/07/29

【プリントされたアナログ写真を、デジカメで撮影したデジタル写真を使用しており、編集部で可能な限りの補正はしましたが、画質が通常よりも劣ることをご容赦ください。】

 

 2004年6月9日、旅の8日目。今日も快晴。旅日和が続く。7時前に朝食を済ませ、8時頃からホテルの周辺を散策。近くのウィーン西駅へ。ドイツのミュンヘン行きやスイスのチューリッヒ行きなど、国際列車が次々にホームを離れて行く。それらの列車に乗った違った旅を想像するのもまた楽しい。

◆ウィーン西駅プラットホーム

芸術の都・ウィーンを堪能

 8時半、13人が参加するオプショナルツァー「ウィーンの森半日観光」に出発。
 ウィーンの森は、アルプスの山並みがだんだん低くなって最後にドナウ川に落ち込む前の丘陵地帯。ウィーンの西南方の温泉保養地バーデンから北方のレオポルツベルクの丘まで長さ40kmにわたって三日月形にウィーンの西郊に広がり、市民の絶好の保養地になっている。森ばかりではなくいくつもの小さな町や村があり、牧草地やブドウ畑もあって、ワインの産地としても知られる。ワインの新酒を飲ませる農家風のレストラン「ホイリゲ」はこの辺りから始まった。

 バーデンは、古代ローマ時代から優れた温泉があることで知られる。1803年から1834年にかけてはハプスブルク家の夏の保養地だった。その後、王侯・貴族や芸術家らも訪れるようになり、高級保養地として、また著名人が多く集まる華やかな社交地として栄えてきた。モーツァルトやヨハンシュトラウスなども足しげく訪れた。
 バーデン(入浴するの意)という名のとおり、町には14もの源泉があり、ほのかに硫黄の匂いが漂ってくる。湯量が豊富で町には温泉ホテルや公共の温泉施設が整えられ、地元の人たちのみならず観光客にも親しまれている。

 ウィーンの森で最初に訪れたのが、シューベルトが「菩提樹」を作曲した家。今はホテルになっている。シューベルトの人形を真ん中に2人で写真を撮ってもらう。屋内に、シューベルト当時の家と広場に集う人たちを描いた絵がある。絵にある菩提樹と井戸がそのままの形で現在も残っている。菩提樹は2代目という。

左) 森の中の住宅地にあるシューベルトが「菩提樹」を作曲した家、
右) シューベルトの家でシューベルトの人形を真ん中に

左上) シューベルト当時の家を描いた絵、左下) 絵にある菩提樹の2代目、右) 絵にある井戸

 9時40分、ハイリゲンクロイツ修道院へ。1133年にバーベンブルク辺境伯レオポルト3世によって創建された、オーストリア最古のシトー派の修道院。1160年、ロマネスク様式の教会として完成したが、侵攻してきたトルコ軍によって破壊され、現在はロマネスクとゴシックが一体となった美しい建物に再建されている。

左) ハイリゲンクロイツ修道院、右) ハイリゲンクロイツ修道院 オーストリア最古の
シトー派修道院 ロマネスク様式とゴシック様式が一体となった建物

 修道院の内部は静寂に包まれ、美しい列柱が並ぶ回廊が続いている。南回廊に接した場所にある泉水堂(井戸)は初期ゴシック様式の部屋。色鮮やかなステンドグラスで飾られ、美しさと実用を兼ね備えている。キリストがゴルゴダの丘に向かう受難の物語を描いた絵をおさめる14の礼拝堂がある。

◆修道院入口

◆修道院中庭

◆修道院の回廊 ビデオ撮影をしているのは筆者

◆修道院の南回廊に面した泉水堂(井戸)

◆美しいステンドグラスに飾られた礼拝堂

◆修道院のステンドグラス


 

 10時半、バーデンから北に15km、ウィーンの森の南方にあるマイヤーリング女子修道院へ。皇位継承者ルドルフ3世と男爵令嬢マリー・ヴェッツェラがピストルで心中した悲劇の舞台として知られる。映画「うたかたの恋」(1936年)に描かれ人気を博した。心中事件の場所だった狩猟の館は、カルメル派の女子修道院に建て替えられ一般公開された。
周辺の草原にはポピー(ケシ)の赤い花が群生している。

◆マイヤーリング女子修道院

 11時過ぎ、深い樹木に覆われた緑の丘陵地帯にある高級住宅地の一角カイザーヒュッテで、ウィンナコーヒーとケーキのティータイム。2種類のケーキを2人でシェアして2倍楽しむ。様々な小鳥たちの歌声が降ってくる。森には鹿や猪が住むという。

◆ウィーンの森でのティータイム

◆ウィーンの森

 ウィーン市街への帰途、バーデンのヨーゼフ広場へ。古代ローマ時代より栄えてきた高級温泉保養地。ベートーヴェンがこの町に住み、「交響曲第九番」を作曲した。
 広大なブドウ畑の中を走るワイン街道を経てウィーンへ。

左) バーデンのヨーゼフ広場 古代ローマ時代から栄えた高級温泉保養地、右) ウィーンの森にあるブドウ畑

 王宮庭園にあるモーツァルト像へ。像の前の芝生には赤い花でト音記号が描かれている。

左) 王宮庭園にあるモーツァルト像とト音記号、右) モーツァルト像

 現在は博物館になっている新王宮、自然史博物館を外から見て回り、「ウィーン美術史博物館」に入館。ヨーロッパの美術館の中でも所蔵する絵画、美術工芸品のコレクションは最大級。1857年、ハプスブルク家の美術品を収蔵するために建てられた。

◆新王宮

◆ウィーン自然史博物館

◆ウィーン美術史博物館

◆ウィーン美術史博物館入場券

 ルーベンス、レンブラント、ブリューゲル(父)などの作品群を堪能する。お目当てのフェルメールの「絵画芸術の寓意」は日本に貸し出し中だった。

◆左) ウィーン美術史博物館入口、右) P.ブリューゲル(父)の「バベルの塔」

 2階ホールのカフェ「ゲルストナー」で3時のコーヒータイム。ウィンナコーヒーとウィーン名物のザッハトルテ(チョコレートケーキ)などを楽しむ。1.28ユーロ(1,800円)。

左) 2階ホールの天井、右) 2階ホールのカフェ「ゲルストナー」

 元気を取り戻して、市中の散策へ。先ず向かったのはオペラ座。オペラがオーストリアに伝わった17世紀から約400年にわたり、ウィーンオペラの歴史を受け継いでいる。杮(こけら)落としにはモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」が演奏された。第2次世界大戦中に爆撃を受けて全焼し、現在残るのは1955年に再建された建物。

◆オペラ座前で

◆オペラ座

 次に訪れたのはシュテファン大聖堂。大聖堂の正面は1230年代にロマネスク様式で造られ、後世の改変の手が加わらずに残っている。左右に聳える塔は高さ66m。ゴシック式の塔とは違って華やかな装飾は全くついていない。
 南袖廊と北袖廊の上にゴシック式の高い塔が設けられている。南塔は高さ137m。1433年に完成。市内外どこからでもよく見え、シュテッフル(かわいいシュテファン)という愛称で親しまれている。昔は火の見櫓の役をつとめた高さ73mの展望台までは、螺旋階段で登ることができる。展望台からの眺めはまさに絶景。北塔は高さ60mで未完成に終わり、16世紀中頃ドーム型の屋根が付けられた。

◆シュテファン大聖堂近くの市街

◆シュテファン大聖堂

◆シュテファン大聖堂

◆シュテファン大聖堂内部

◆シュテファン大聖堂南塔の72mの監視塔からのウィーン市街の眺め

 1683年侵攻してきたトルコ軍が遺棄していったたくさんの青銅の大砲を集めて鋳造された巨鐘がブンメリンと呼ばれ、何ともいえない柔らかな音色を響かせて、ウィーン名物の一つになっている。
 大聖堂で見事なのは屋根で、黄、緑、黒などの釉をかけた瓦により、雄大で華麗な文様が表されている。北側の中央には大聖堂の復興を記念する2羽の鷲が描かれている。

 24時間、地下鉄、トラムが乗り放題のチケットを買う。5ユーロ(700円)。
 早速、トラムに乗る。25分でリングを1周すると、ウィーン市内の主な観光ポイントを高い位置から座って眺められる。

◆街角の花屋

◆トラムに乗って リング一周25分

 6時、ブッフェ式のレストランに入る。オーストリア最後の晩餐。
白ワインのフルボトル、ウィンナーシュニッツエル、ポテト、サラダなどを楽しむ。薄味でなかなか美味しい。2人で18.2ユーロ(2,550円)とリーズナブル。

オーストリア最後の夕食 ビュッフェ式のレストランで  

 旅の9日目、6月10日(木)。快晴。6時45分、ホテルのレストランで朝食。ゆで卵、ハム、魚、ポテト、果物、ヨーグルト、オレンジジュース、コーヒーで満腹。

 ウィーン1/4日観光へ。昨日買った乗り放題の切符を利用して、地下鉄、トラムで市内を巡る。6月10日、オーストリアは聖体節の祭日にあたり、休日ダイヤでリング1周に昨日より10分長く35分かかった。
 宿泊したメルキュール・ウィーン・ウエストバーンホフホテルは駅のすぐ近くで観光には便利な場所だった。

◆地下鉄のホーム

◆ウィーンの宿泊ホテル 駅のすぐ前で便利

 9時40分ホテルに戻り、11時出発。11時36分空港へ。1時55分、オーストリア航空055便で帰国の途へ。

 6月11日朝8時18分、予定より8分遅れて関西空港着。

- 完 -

 

 

 

 - コラムの広場