美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行②

      2022/12/30

【プリントされたアナログ写真をデジカメで撮影したデジタル写真を使用しており、可能な限りの補正はしましたが、画質が通常よりも劣ることをご容赦ください。】

 

オーストリア最高峰・グロースグロックナーを見晴らすホテルで目覚める

 2004年6月5日、チロル地方ハイリゲンブルートの村で迎えた旅の4日目。雲は多いが心地よい天気。朝食後、出発まで時間がありホテル周辺の散策に出る。

 高山植物の花々が咲き乱れている。キリストの「聖なる血」を納めたヴィニツェンツ教会と点在する家々や、背後に聳える白く輝くオーストリア最高峰グロースグロックナー(3,798m)。眼前に広がる絵のように美しい風景に言葉を失う。青空も出てきた。
 妻がホテルのギフトショップでエーデルワイスの花をあしらったスカーフを買い、首に巻く。6.5ユーロ(900円)。

◆朝の散策 ハイリゲンブルートの村 後方はオーストリア最高峰グロースグロックナー(3,798m) 高山植物が咲き乱れている

◆村の教会と家々

◆雪山と民家と花々と

 9時半、出発。フィッシャータールの深い谷間を抜けて、アルプスの山岳氷河観光道路グロースグロックナー・ホッホ・アルペン街道を進む。山岳と氷河の雄大な眺めが車窓の右に左に現れる。道路は高山植物の咲き乱れるお花畑や湿原を通り、高原状の尾根を縫って走る。一帯はそれほど高くないが、緯度が北緯47度と樺太の南部辺りに位置し、気象条件は非常に厳しい。高山植物は雪解けを待って7月頃一斉に花を開く。

◆ホーエ・タウエルン山脈

 白銀の峰々が連なるホーエ・タウエルン山脈を車窓に見て、つづら折りの道を登り切ったところに展望台とレストランがある。10時、フランツヨーゼフヘーエ展望台へ。標高2,369m。巨大なパステルツェ氷河を抱く3,000m級の高峰が目の前に連なっている。展望台からケーブルカーで3分下るとパステルツェ氷河の畔に着く。長さ10km、面積30㎢でオーストリア最大。標高1,960m。

左) フランツヨーゼフへーエ展望台2,369m  中央の尖った山がグロースグロックナー 右上) 展望台からケーブルカーで氷河へ下る 乗車2~3分 右下)パステルツェ氷河をバックにオーストリアの少女

◆東チロル地方に聳え立つオーストリア最高峰のグロースグロックナー山(標高3,798m)

左)氷河とグロースグロックナーと連なる山々 右)真後ろに聳えるグロースグロックナー 頂上は雲の中

 雪と岩の山々と果てしなく続く氷河の雄大な眺めに圧倒される。氷河といっても万年雪のようにサクサクと柔らかい。新婚夫婦の奥さんがいきなりズボッと腰まで氷河に埋まって、周りを驚かせる。展望台下の草地にはコロコロよく太った野生のマーモットがたくさんいる。ウサギ大で、尻尾と後足で立ち、前足を胸の前に出す姿はリスに似て何とも愛らしい。
 地球温暖化の影響で氷河の上流での降雪量が減り、巨大な氷河の表面がかなり低下しているという。

左) 標高1,960m グロースグロックナーをバックに、右) コロコロと太ったマーモットを発見

 12時、展望台のレストランで、グロースグロックナーの峰を眺めながら昼食。山頂がよく見える。青空に光り輝き、眩しい。サラダと小麦粉、卵、チーズで作ったチロル風チーズ料理のケーゼシュッペル。おかわり自由。デザートはアップルパイ。白のグラスワインとアプリコットジュース、食後のコーヒーで8.7ユーロ(1,220円)。

 1時20分出発。グロースグロックナー・アルプス山岳道路を下る。全長48km、ホーエ・タウエルン山脈を縦断するヨーロッパ有数のアルペン道路。36ヶ所のヘアピンカーブがありスリル満点。最高地点は2,506m。

左) グロースグロックナー・アルプス山岳道路、ヨーロッパ有数のアルペン道路(全長48km) 中) 夏のグロースグロックナー・アルプス山岳道路 ※日経新聞2022年9月11日朝刊「TheSTYLE アルプスを駆けるオーストリア」掲載写真 右) 山岳道路が走るホーエ・タウエルン国立公園

 4時10分過ぎ、ザルツブルクのホテル着。小休止の後、6時半レストラン「3匹のうさぎ」へ。クリームスープ、チキン、ポテト、野菜のメイン。デザートはアイスクリーム。生ビール(大)と紅茶で5.3ユーロ(740円)。8時15分ホテルに戻る。

◆夕食 メインのクリームスープ、チキン、ポテト、野菜  

 

モーツアルトの青春の軌跡を訪ねて――世界文化遺産の街ザルツブルクへ

 6月6日、旅の5日目。8時半ホテルを出発。20分でザルツブルク市内へ。ザルツブルクはオーストリアで最も美しい古都の一つ。モーツアルトの生地として名高い。

 街の歴史はケルト時代に始まる。ケルト人は塩山を開発し、塩の交易で栄えた。町は各方面に向かう交通路の中心になってきたが、前15年ローマ人が進出。ローマ式の街道に仕上げ、塩をはじめとする商取引で繁栄する。

 ローマ帝国の衰退と民族大移動で町は寂れるが、700年頃東部アルプス地方にキリスト教を広める拠点になって再び町が生まれる。現在のザルツブルクの祖である。塩山も復活し、ドイツ語で「塩の城市」を意味するザルツブルクという町の名が生まれたのもこの時代のこと。

 8世紀中頃に現大聖堂の前身司教座聖堂ができ、カール大帝の進言で798年大司教座に昇格。その後ザルツブルクの大司教は世俗の王侯と変わらぬ政治・軍事上の権力を握り、広大な大司教領に君臨。大司教=君主の制度は1802年ナポレオンによって廃止されるまで続いた。この時ナポレオンに追放されたのが、モーツアルトを冷遇した悪名高い大司教コロレードである。

 ザルツブルクはヴァチカンの直轄領だったので教会が多いが、なかでも最も大規模な教会が司教座大聖堂。1181年ロマネスク様式で建築されたが、1598年に焼失。1614~28年バロック様式の現在の大聖堂が建てられ、1650年代に80mの2つの塔が加えられた。モーツァルトが洗礼を受け、カラヤンの追悼ミサが行われたのもこの大聖堂。

 ザルツブルクは雨の日が多く、傘のいらない日を天気がいいという。降っていた小雨があがり、晴れて太陽がまぶしい。市内観光はミラベル宮殿から始まる。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったところ。

 ザルツブルクの町を貫いて流れるザルツァッハ川(塩の川)の北側にあるミラベル庭園は、冬を除き、色とりどりの花が咲き競い、目が覚めるように美しい。あちこちにある噴水の水しぶきが太陽の光を受けて煌めき、真正面の岩山の上には壮大な城が聳え、誠に美しい。ミラベル(美しい眺め)という名がぴったり。
 庭園と園内にある宮殿が最初に造られたのは1606年。度々改築され現存しているのは18~19世紀にかけてのもの。

◆ミラベル宮殿

左) ミラベル庭園 後方丘の上にホーエンザルツブルク城が見える 右)映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地になったことでも有名

 ミラベル庭園のすぐ南、マーカルト広場に復元されたモーツアルト一家が住んだ家があり、モーツァルト記念館になっている。モーツァルト一家が移り住んだのは1773年。一家は2階の8部屋からなる住家を買い取った。広々として採光もよく、住み心地がよかったようだ。17歳から24歳まで住んだモーツァルトは、ここで多くの作品を生み出した。

 第2次大戦の爆撃で破壊されたが、日本の生命保険会社の寄付をきっかけに建物全体が完全に復元され、1996年記念館およびフィルム音響ライブラリーとして発足した。

 ヘルベルト・フォン・カラヤンが1908年4月5日に生まれた家が、ザルツァッハ川の右岸の中心地区にあり、記念プレートが架かっている。ザルツブルク音楽祭はじめウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ベルリンフィル、パリ管弦楽団などヨーロッパの主要な楽団の首席指揮者、芸術監督を務めた。

左) モーツァルト一家が1773~87年住んだ家 右) カラヤンの生家

 ミラベル庭園から城に向かって進むと、ザルツァッハ川畔に出る。たくさんの塔が立ち並び、岩山の上高くに城が聳える旧市街の全景が見渡せる。見事な眺めである。川畔に画家が自分の作品を並べ、のんびり販売している。

 旧市街には古風な家々が軒を並べ、1階はみな商店やレストラン、カフェになっている。所々に小さな広場があり、家々の間をトンネルのようにアーケードが貫き、散策していて飽きることがない。
 ザルツァッハ川は上流の氷河が削ったアルプスの石灰質の岩が微粒子となって水中に浮遊しているため、白っぽく見える。

左) ザルツブルク旧市街 後方丘の上に建つのがホーエンザルツブルク城 右) ザルツァッハ川(塩の川)とザルツブルク旧市街

左) ザルツァッハ川前の画家 右) ザルツァッハ川

 旧市街を貫くゲトライデガッセの通りは、ザルツブルクの下町の中心。歩行者天国になっていて、両側の家々から突き出る鍛鉄製の中世風の看板を眺めながら歩くのは楽しい。文字が読めなくても一目で商売が分かる。

左) 旧市街のメインストリート ゲトライデ通り、右) ゲトライデ通りの看板

 通りの少し先にはハーゲナウアー広場に面してモーツアルトの生家がある。旧市街の中でもとりわけ古い時代の家々が残る一角である。

 

 

 

 

 

 ◆モーツァルトの生家

 屋根裏部屋までいれると6階建てで、600年ほど前にできたと伝わる。両親と姉のモーツァルト一家は4階に住んでいたが、3階、2階の一部も記念館になっている。父母の寝室、居間、書斎、小さな別室と台所だけの狭い家で、しょっちゅう旅に出ていた若き日のモーツァルトが旅先から出した手紙の中で、「家に帰っても僕の寝る場所がない」とこぼしている。

 モーツァルトと家族の肖像画、モーツァルト直筆の楽譜や手紙、モーツァルトが使っていた楽器などが展示されている。かの有名な子供用のバイオリンもある。5歳のモーツァルトが、買ってもらったばかりで、手ほどきさえ受けていなかったのに完璧に演奏して、バイオリンの難しさを誰よりも知る宮廷楽団バイオリニストの父を感動させたのもこの家である。

 モーツァルトが最後の10年間ウィーンで愛用していたグランドピアノも展示されており、子供用バイオリンともども感動なしには見られない。台所にはモーツアルト一家の生活の息吹が残っているように感じられる。

左) モーツァルト生家前では画家が作品を並べて販売している 右) モーツァルト生家前で

 モーツアルトの生家の南側、大学広場に面したコレギエン教会(大学教会)は、ミサも喜劇も同じ場所で行われるのを嫌ったトゥーン伯爵がミサだけを行う場所として大学の中に建てたもの。1707年に完成し、隣接する大学の独自の教会として現在に至っている。

◆コレギエン教会 

 モーツァルトが洗礼を受けた大聖堂前のドーム広場にはたくさんの観光馬車が客待ちをしている。

左) ザルツブルク旧市街、右) ザルツブルク旧市街をたくさんの観光馬車が巡っている

 ザルツブルクの旧市街にある大聖堂。8世紀に創建され、12世紀に後期ロマネスク様式に改築。1628年、イタリアの建築家、サンティーノ=ソラーリオの設計により、現在のバロック様式の姿に建て直された。教会の正面を飾るファサードにはウンタースベルク山で産出された大理石が使われ、入口を4人の福音史家の像が守っている。

左) 大聖堂 アルプスの北側では最も権威ある聖堂 初期バロックとローマ建築様式が混在している 右)大聖堂を守る4人の福音史家の像

◆ホーエンザルツブルク城

 山の上にあるホーエンザルツブルク城は、1077年に起源を持つヨーロッパ有数の壮大堅固な城。断崖絶壁に囲まれた難攻不落の城塞として構築されたまま、後世の手が加わっていない極めて貴重な存在。

 前後3回訪れた団体旅行ではいつも下から見上げるだけだった。城からの眺めは絶景という。ケーブルカーに乗れば簡単に登れることが分かったので、また機会があれば、素晴らしい眺めを楽しんでみたい。

 午後、ザンクト・ギルゲンへ。市庁舎前のモーツアルト広場には、バイオリンを弾く少年モーツァルトの像がある。町は、緑の林と牧草地に囲まれたヴォルフガング湖の西岸に美しい佇まいを見せている。

 町には伝統的な様式の美しい家が多く、庭や窓辺はどこも花でいっぱい。湖岸の道の突き当りに白い大きな家がある。モーツァルトの母の生家で、姉ナンネルが結婚生活を送り、父が群長を勤めた官舎でもある。表の壁面にアンナ・マリアとナンネルの漆喰細工の胸像のレリーフがある。

左) モーツァルト広場には、バイオリンを弾く少年時代のモーツァルト像が立っている 右) モーツァルトハウス(モーツアルトの母の生家) 姉ナンネルが結婚生活を送った。

 湖の北岸にある小さな町ザンクト・ヴォルフガング。10世紀、ヴォルフガングという徳の高い修道士が庵を結んだのが始まり。没後聖人に列せられ、たくさんの巡礼者がやって来るようになる。湖の名も町の名もこの聖人に由来する。モーツァルトの洗礼名ヴォルフガングは母方の祖父から受け継いだものだが、元はこの聖人からきている。

左)ヴォルフガング湖 右)餌をもらおうと白鳥が寄ってくる。

「サウンド・オブ・ミュージック」に登場した登山鉄道で絶景の山道を登る

◆シャーフベルク登山鉄道(ネットより拝借)

 町の背後に聳えるシャーフベルク山。映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場するシャーフベルク登山鉄道で登る。3時丁度の発車。1893年開通のアプト式鉄道。汽車の形をしているがジーゼル車。客車を押してシュッポ、シュッポッと麓から700mの急坂を巻きながら33分かけてガタゴトとゆっくり登る。絶景の連続に車内は賑やかな歓声に満たされる。揺れがひどくてビデオ撮影は断念。私が座った反対側の車窓からエーデルワイスの花が咲いているのが見えたという。

左) シャーフベルク登山鉄道は1893年に開通 中) 機関車 お尻が持ち上がっている 右) 山頂駅は標高1,762m

 山頂駅は標高1,762m。山頂はそれより少し高い1,783m。360度のパノラマが広がり、雲の切れ目からアルプスの山並みと大小12の湖が視界に入る。絶景。

左)観光客でにぎわう山頂駅、愛犬と一緒に登る人も 右上)駅から山頂まで歩く 右下)犬を連れたオーストリアの少女

 シャーフベルク山は三つの湖(ヴォルフガング湖、モント湖、アッター湖)に囲まれた場所にあり、山頂からはこれらの湖をはじめ、一帯を取り巻く山々の美しい姿を一望することができる。

左) 山頂にたどりついて笑顔 右上)雲の晴れ間からの眺め 右下)ヴォルフガング湖を望む

 ヴォルフガング湖まで下るハイキングコースがある。下りの列車は4時10分発。登りより2分長い35分をかけて下る。

 5時17分バートイシュルのホテル着。昔から有名な温泉保養地で、ハプスブルク家のオーストリア帝国が華やかなりし頃は、ヨーロッパ中から王侯貴族や文化人が集まって来た。

 ブラームスも1889年から96年まで滞在し、作曲に勤しんだ。オペレッタの作曲家レ・トールやカールマンもこの地を愛し、盛んに作曲や演奏活動を行った。毎夏オペレッタの祭典(連続公演)が催されている。会場は美しい庭園に囲まれた豪華なクーアハウス。

 夕食までの間、街を散策。教会ではミサの準備が行われていた。鉄道の駅が好きで、バートイシュル駅まで足を伸ばす。

左) バートイシュルの街 右) 教会ではミサの準備が行われていた。

 7時過ぎ、グヤーシュ(シチュー)の夕食。牛ステーキ、小麦粉、チーズ、卵をまぜた炒り卵風のオーストリア料理。白ワイン1/4ボトルとラズベリージュースで5.5ユーロ(770円)。

左) バートイシュル駅 右) グヤーシュ(シチュー)の夕食 牛ステーキ、チーズ、小麦粉、卵を混ぜたいり卵風のオーストリア料理

 

― 美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行③に続く ―

 

 

 

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