美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行①

      2022/11/02

【プリントされたアナログ写真を、デジカメで撮影したデジタル写真を使用しており、編集部で可能な限りの補正はしましたが、画質が通常よりも劣ることをご容赦ください。】

 

雄大な渓谷美と絵本のような風景に出会えるオーストリア・チロル地方へ

 深い森に包まれ、西部一帯には美しいアルプスの雄大な山々が連なり、青きドナウが流れる国。モーツァルトを生み、訪れたい国のなかでも優先順位が高かった憧れのオーストリア。初めてその土を踏んだのは、2004年6月初旬のこと。

 ヨーロッパのほぼ中央に位置し、北はドイツとチェコ、東はハンガリーとスロヴァキア、南はスロヴェニアとイタリア、西はスイスとリヒテンシュタインの8つの国と境を接する多民族国家オーストリア。北海道くらいの面積に800万の人が住む小さな国だが、見どころがいっぱいの永世中立国を、10日間で巡った。

 何十代にも亘って農民が、岩石と森に覆われた高地の急斜面を切り開いて緑豊かな牧草地に変え、狭い谷間では畑を耕し、果樹園を作ってきた。アルプスの峰々と牧草地を背景に、可愛い木造の民家が点在する例えようもなく美しい風景は、人々の手によって作り上げられた。

 ゲルマン民族の大移動で生まれた西欧諸国が発展期を迎えた10世紀、まだ辺境の地だったこのあたりにマジャール人やスラブ人に対する備えとして東方辺境伯領(オーストマルク)が置かれ、バーベンブルク家が辺境伯に封じられたのがオーストリアの始まり。

 同家の断絶後ハプスブルク家が受け継いで、ドナウ川中流域を核とする大帝国に発展した。帝国の解体後オーストリアは小さな国になったが、帝国華やかなりし時代からの有形無形の文化財がぎっしり凝集された形で残っている。
 ウィーンなど各地にある豪壮な城や宮殿、世界一流の美術工芸品の収集を誇る博物館、美術館がそれである。世界に冠たる音楽の都ウィーンも、帝国華やかなりし頃に培われたもの。

チロルの州都、初めてのインスブルックは雨だった

 2004年6月2日朝10時過ぎ、オーストリア航空で関西空港を飛び立ち、ウィーンで乗り継いでドイツのミュンヘンへ。バスで最初の宿泊地オーストリア西部のインスブルックに着いたのは深夜11時半を少し回った頃。1964年と1976年の2度、冬季オリンピックが開かれた街として知られる。大阪は晴れていたが、ウィーンもミュンヘン、インスブルックも雨だった。

◆インスブルック旧市街

 旅の2日目、6月3日。アルプスの山並みの麓の街は雨が降り続いている。9時ホテルを出発し、市内観光へ。晴れていれば街の背後に迫る雪を抱いたアルプスの峰々が見られるのだが、何とも残念。

 チロルの州都インスブルックは、イン川のほとりに生まれた町で、オーストリアでは最も古い歴史を持つ町の一つ。古くはイリュリア人、ケルト人が集落を営み、紀元前後にはローマ人が進出してきた。北イタリアのヴェローナからこの地を経て、ゲルマニアに至る街道を建設。イン川を渡る地点に橋を設け、ローマ軍が駐屯する城塞を築いた。アルプスを南北に越える街道とイン川の谷間を通る東西の交通路との接点にインスブルックがある。
 古いドイツ語で「イン川に架かる橋」を意味するインスブルックという地名が初めて記録に現れるのは1187年のこと。1239年には都市権を得て、商業や手工業の盛んな中世都市に発展した。ハルの塩鉱とシュヴァ―ツの銀山に近く、ハプスブルク帝国版図のほぼ中心に位置していた。

 中世都市の規模はどこも意外に小さく、インスブルックの旧市街も直径300mあまりしかない。家々の1階前面はロマネスク式やゴシック式の柱廊(ラウベン)になっている。日本の雪国の雁木と同じ生活の知恵で、雨や雪の日には便利である。数百年を経た家々も内部はきれいに改装され、ブティックやカフェ、レストランになっている。家々の壁からは、文字の読めない人にも分かるように商売や屋号を表す鍛鉄細工の看板が突き出ている。

 イタリアの影響が色濃く残り、南欧の香りがするのは、ブレンナー峠ひとつ越えた先がもうイタリアだから。さまざまなハイキングコースが設置され、冬のスキーはもちろん夏の氷河スキー、サイクリング、登山など子供から高齢者まで四季を問わず山岳スポーツが楽しめる魅力あふれる街である。毎年夏にはルネサンスやバロックの古楽器のコンサートが開かれる。

 

皇帝夫妻が広場の催しを見物するための絢爛豪華な桟敷席

 最初に訪れたのはイン川の東、旧市街の中心地にある後期ゴシック建築の傑作「黄金の小屋根」。広場で行われる騎士の馬上試合や舞踏会を閲覧するためのロイヤル・ボックスで、チロル領主となったマクシミリアン1世の専用桟敷席として1500年に造られた。5階建ての建物に、金箔が施された2657枚の銅板で葺かれた小屋根を持ち、壁面は見事なフレスコ画で覆われている。

◆黄金の小屋根:神聖ローマ帝国皇帝・マクシミリアン1世が造らせた、黄金の屋根を持つバルコニー。金箔を施した2657枚の銅版のほか、皇帝や妃たちをモチーフにしたレリーフが施され、当時のチロルの富と繁栄を物語っている。

 

 「黄金の小屋根」のすぐ北に白とマリア・テレジア・イエローに彩られた華やかな王宮がある。  1460年に建てられ、マリア・テレジアが改装して1773年華麗なロココ調の宮殿となる。マリア・テレジアの息子レオポルトとスペイン王女ルドヴィカの婚礼が行われた。

◆王宮

 内部には大広間などが保存されており、絢爛豪華な天井画やタペストリー、エリザベート皇妃の等身大の肖像画、白と金で飾られたロココ調のストーブ、 食器がセットされた聖餐のテーブルなど当時の華麗な調度品が展示されている。

◆華麗な調度品

 王宮の建物の一部にあるドイツ・ルネサンスの最高傑作、宮廷教会を見る。皇帝マクシミリアン1世の大霊廟として、1565年に完成。しかし彫刻を施された大理石の棺はいまもって空で、マクシミリアン1世の遺体は別の場所に埋葬されている。

 

◆宮廷教会 

 

バイエルンの侵攻から町を守った守護聖人たちのモニュメント

 「黄金の小屋根」のすぐ南には高さ57mの「市の塔」がある。1360年、旧市庁舎に火の見櫓として建てられた。展望台からは街並みと遠くアルプスの峰々が一望できる。

 雨が降り続き、傘をさしての観光が続く。王宮の南、メインストリートのマリア・テレジア通りに立つ「聖アンナ記念柱」へ。「黄金の小屋根」とともにインスブルックのシンボルとなっている。1706年のスペイン継承戦争の際、町に侵攻したバイエルン軍を撃退したのを記念し、ドイツ側のノルトケッテ連邦に向かい、侵入を制するように建てられている。

◆聖アンナ記念柱 マリアテレジア通りにそびえ立つモニュメント。高さ13 mの柱上には聖母マリア像が。晴れた日には、背後にハーフェレカー山の壮大な山容を見ることができる。

 マリア・テレジア通りを散策して、12時、市内のレストランで肉とポテト料理の昼食。白ワインが美味しい。妻は木苺のジュース。

 

巨大な氷河が生み出した大渓谷、碧い湖・・・太古の創造の物語に心奪われて

 午後は、2~3,000m級の山々が連なるチロル地方の大自然を楽しむ。

 チロルは、たくさんの谷(タール)に分かれている。なかでも訪れる人が多いのは、エッタールとツィラタール。誰もがその美しさに魅せられる。太古にとりわけ大きな氷河が押し出してきてできたU字谷で、谷の底面は広々としているが、両側面は急斜面をなし、谷の奥には氷河を抱いた3000m級の岩峰の群れが迫る。谷間には渓谷が横たわり、碧く澄んだ湖が点在する。牧草地にはアルペンローゼ、リンドウ、アルプスアザミ、ワスレナグサ、オキナグサなどの高山植物が咲き乱れている。

◆咲き乱れる高山植物

 

 エッツの町から南のオーバーブルグルまで50㎞続くチロルで最も深い谷、エッタール渓谷をハイキングする頃ようやく雨があがる。期待にたがわぬチロル地方ならではの牧歌的な風景が続く。チロルで最も美しい湖のひとつといわれるピッブルガー湖は標高914m。澄んだ湖面に映る空の青、樹々の緑が何とも美しく、心が安らぐ。

◆チロル地方 エッタール渓谷

◆チロルで最も美しい湖のひとつピッブルガー湖

 

◆エッツの村 中央に見えるのが17世紀建造の教区教会

 エッツは人口2,000人。17世紀建造の教会の塔が見えるのどかな町。教会へ続く坂道には古い町並みが残っている。しばらく暮らしてみたいと思わせる町。

左)エッツの村のホテル 右) 教会への坂道に古い街並みが残る、こんな街で暮らしてみるのも良いかな。

 インスブルックに戻って、7時、ホテルのレストランで夕食。クヌーデルズッペ(肉だんごのスープ)、メインは白身魚とポテト。オーストリアは白ワインが美味しい。

 

 旅の3日目の6月4日は、朝からよく晴れて気温18℃と心地よい。9時前にホテルを出発。9時半スワロフスキー・クリスタル・ワールドへ。インスブルックには、スワロフスキーの本社と工場がある。

 大地が盛り上がった古墳のようなオブジェの内部が、スワロフスキーの博物館になっている。世界最大の100面カットのクリスタルと世界最小の17面カットのクリスタルや、光と音で演出されたクリスタルの幻想的な空間、ダリやキース・へリングの作品などが見られる。9時半から小1時間、見学コースを巡る。孫への土産にミニ汽車(4両)98ユーロ、義姉たちにネックレス3本、合わせて224ユーロ(30,000円)を買う。

◆スワロフスキー・クリスタル・ワールド入口

 

時速35kmでゆったりのんびり、ツィラタール渓谷をSLで走る

 10時半、イエンバッハ駅へ。ツィラタールの中心にあるマイヤーホーフェンまで32km、牧草地とアルプスの山々のなかを走る狭軌鉄道ツィラタール鉄道のSL列車の旅を楽しむ。SLは急坂にさしかかったときに釜が水平になって蒸気が順調に出るようにするためお尻がガバッと持ち上がったような奇妙な形をしている。1889年に造られ、現役で動いている歯車軌条式のSLとしては世界最古。

左)SLでアルプスの山々の中を走る 右上) イエンバッハ駅 右下) オープンデッキで開放感いっぱい

 列車は1日15往復している。そのうち4往復するSLの初発、10時47分の列車に乗る。チロル渓谷の女王、U字谷のツィラタール渓谷を時速35kmで1時間、ゆったり、のんびりと走る。森の中を行く気分は爽快そのもの。木製のイスに座り車窓を流れる美しい景色を眺めていると、いっとき日常の慌ただしい生活を忘れる。山裾に広がる緑の放牧地や、斜面に点在する民家が心を和ませる。

左)沿線の風景 右) 列車のイスは木製

 

 終点のマイヤーホーフェンの町にはチロル風の造りの魅力的なホテルや民泊がたくさんある。チロルの家々はみな大きい。3階建てはごく普通で、屋根裏を含めて4、5階建ての家も珍しくない。みながっしりした木造で、大きな三角形の切り妻を持つ屋根が軒端から広く張り出しており、各階の端から端までを貫いて、木造の手すりを持つバルコニーが横に長くついている。

 寒い冬の季節を除いて、バルコニーは花でいっぱいになる。手すりにプランターを取り付け、色とりどりの花を植える。緑の森や牧草地を背にして花いっぱいのチロル風の家々が並ぶさまはまさに絵のよう。

 

◆マイヤーホーフェンの村 

 

 12時半昼食。ボリュームたっぷりの温かいスープに、メインのソーセージのザウワークラウト添えの量があまりに多く、食べ残すほど。デザートはスイスロール。白ワイン2.1ユーロ、紅茶2.0ユーロ(280円)。

◆昼食レストランと井戸

左)昼食のレストラン、2階はホテルになっている 右)メインのソーセージ料理はボリュームたっぷり!

 マイヤーホーフェンは、ツィラタール最大のスキーリゾートとして人気の町。一年中氷河スキーが楽しめる。街の中心に14世紀に建てられた教区教会プファーキルヘがある。2度火災に遭い、1858年現在の姿になった。

◆マイヤーホーフェン教区教会 14世紀に建てられた。

 

 3時前、標高1611m、ヨーロッパで最も高所にある壮大なクリムルの滝を遠望。雲がかかり霞んで見える。

上・下左)クリムルの滝 下右2枚)クリムルの滝近くで撮影

 

 5時半、この日の宿泊地ハイリゲンブルートへ。オーストリアの最高峰グロースグロックナー(3,798m)の麓の村。登山基地で、夏冬のスポーツリゾート。

◆ハイリゲンブルートの山村 後方中央はオーストリア最高峰グロースグロックナー3,796m

 村の名ハイリゲンブルートは「聖なる血」という意味。キリストが十字架にかけられたときに流れ出た血を集めたものが「聖なる血」で、コンスタンチノープルに保管されていると信じられていた。914年、その一部をアルプスの北の国々にもたらそうとした騎士が、グロースグロックナー越えの峠道で遭難したが、「聖なる血」が入っていた容器は無事で、村の手により山麓の教会に安置されたと伝えられている。ハイリゲンブルートの地名はこの言い伝えに由来している。今も多くの巡礼者がやってくる。

 斜面に建ち並ぶアルプス山荘風の家々。「聖なる血」を安置した村の教会の尖塔、その背後に鋭く聳えるグロースグロックナーの白銀の峰々、オーストリアを代表する風景の一つに選ばれている。

左)キリストの聖なる血(ハイリゲンブルート)を納めているヴィンツェンツ教会、手前はホテル 右) ハイリゲンブルートの村、グロースグロックナーの登山基地

 荷をほどいて周辺の散策へ。「聖なる血」を納めているヴィッツェン教会と数軒のホテル、あとは民家が点在するだけの自然豊かな人口1,000人の村。標高は1,288m。

◆ハイリゲンブルートの村

左)宿泊ホテル 右)ホテルで夕食、白ワイン1/4(250ml)と木苺のジュースで5.4ユーロ(760円)。

- 美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行(2)へ続く -

 

 

 

 - コラムの広場