続八国山の「ねこちゃん」

      2023/07/29

 

 「続」を書く積りも、予定もありませんでしたが、やはり書いてみたいと思ったのが以下です。 ※前編は「八国山のねこちゃん」を参照ください。

 

雨の日の別れ

 ねこちゃんとの間柄は、相変わらず、つかず、はなれず的でした。とある夕方、かなりきつい雨が降っていました。玄関をあけると、ねこちゃんがお隣のNさんの自転車置き場、ひさしがある、コンクリートのたたきのところで、相当に濡れて座っていました。ぼくを見ると、立ちあがってお隣との境目の金網を乗り越えて、こちらに来ようとしました。ねこちゃんは、うちの玄関口にくるときは、門扉をくぐれないので、この金網を乗り越えてくるのが普通なのです。

 ぼくは、あまり自覚もなしに、つまり、ねこちゃんの状況と心理におかまいなく、つい「濡れるからこっちに来ないでいいよ。そこにいなさい。」と言って、玄関を閉めてなかに入ってしまいました。そのあと、やってきた娘の話では、ねこちゃんは、Wさんのねこちゃん小屋(前回紹介しました)の上で、バスタオルにくるまって、身づくろいをしていたそうです。

 このことがあってから、ねこちゃんは、ばったりとぼくのところに来なくなりました。因果関係は、もちろん推測ですが、あの雨の夕方のぼくの仕打ちにあったと思いました。Wさんのところで、バスタオルにくるまりながら、ねこちゃんがどんな心境でいたか、想像に難くありません。義理があるわけではなく、ましてや保護義務があるわけでもありませんが、「思いの根に生うればこそ、花も実もあるなれ」のことばのように、気はこころ、きっとぼくのことを薄情だと思ったに違いありません。

Nさん家では「なっちゃん」と呼ばれて

 5月の連休の1日、八国山将軍塚のバス停でお隣のNさんと出会いました。ときどき顔をあわせてあいさつする程度の仲ですが、「広渡さんのとこにも猫がいきますか」、さらに「家に入れていますか」と聞かれました。これはえたりや応の問いなので、雨の日の訣別のいきさつまで、バスがきて一緒に乗り込み、話をつづけました。

 「そうなんですか」とNさん。ぼくが「Wさんは相当に可愛がっているようですよ」というのに応じてNさん、「うちではリビングに上がってきて、一緒にご飯をたべていますよ」。これには、びっくりしました。

 Nさんの家では、おつれあいと同居の末娘さんがねこちゃんをたいそう気に入って、Nさん自身はちょっと引き気味なのに、リビングに招き入れてねんごろにしているのだとか。すぐになついたので、愛称は「なっちゃん」とつけたそうです(愛称なんて、そんなふうにつけるものなんだ)。

実は飼い猫だった「チビちゃん」

 Nさんの話は、さらにねこちゃんの正体に触れました。ねこちゃんには、対外的にも明確な飼い主がいて、「あの猫屋敷とよばれている家がそのようですよ」。聞きただすと、「猫屋敷」とよばれているのは、八国山の山裾をさらに5分くらい、北にいったところの家で、そこにはいつも3-4匹の猫が寝転がっているのを見ていました。この家でのねこちゃんの正式の呼び名、つまり本名は「チビ」というのだそうです(これもなんとも便宜的)。Nさん、ぼくの話も聞いた上ででしょう、「なつちゃんは、地域の猫ですね」と総括、だれが考えても、そのようにいうしかないようです。

ぼくと「ねこちゃん」の”ザッハリヒ“な関係

 つい先日、久しぶりにWさんの家のまえでねこちゃんを見かけたので、あてにせず、「おいでよ」と声をかけると玄関口までついてきました。いそいで冷蔵庫ストックのハムを取ってきてあげると、あっというまに平らげて、すぐに行ってしまいました。ぼくとねこちゃんの関係は、いまや、このように即物的(あえてドイツ語でいえばsachlich)なものになってしまいました。

 本当に蛇足を。自分の経験と知った事実だけで世界を創ると、思いこみの世界ができあがってしまう、というのが感想です。

※掲載の写真は実際のものではなく、ネットでお借りしたものです。

 

 

 

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