短歌を始めました

      2023/07/29

 

 皆さんこんにちは。唐突ですが、短歌を始めました。きっかけは、以前廣渡清吾さんからいただいた投稿「京都三月書房と河野裕子さん」で、同世代の歌人・河野裕子さんを知り、その作品「たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり」に衝撃を受けたことです。何という煌めく感性、心を打ち抜く表現だろうか、と。確か斎藤利久さんも、この歌が好きだと言っておられましたよね。

 それから、河野さんとこちらも高名な歌人である夫永田和宏さんとの共著「たとへば君」を夢中で読み、二人の最後の旅となった「京都うた紀行」を貪るように読み、気が付けばNHKの短歌教室の資料請求をするという驚きの展開に。自分も短歌を作ってみたいという思いに至ったのです。

 心配点はあります。そもそも自分に短歌が詠めるだろうか? あまりに始めるのが遅すぎるのではないだろうか? 長続きできるだろうか? それでも、「バットを振ってみないと当たらない」とACジャパンのCMも言っていることだし、頑張ってみようと思います。まずは河野さん・永田さん夫妻と同時期に、京都で暮らした学生時代のことから…。

 この年になって、夢中になれそうな新しいことに出会えるなんて、何と幸せなことでしょう。刺激をいただいた廣渡さん、ありがとうございます。

 

 

 

 初めて京都駅から、市電で烏丸通りを通って入学式に向かった19歳の春、官庁街でありながら、車窓に流れる典雅な街の雰囲気に、胸がいっぱいになったことを思い出します。

 そして半世紀の時間がたち、旅行で訪れた京都駅からタクシーで烏丸通を北上したとき、それはまるで「烏丸通」という”時の河”を遡っていくような不思議な感覚におそわれて…。今出川烏丸の角に、今も変わらない母校の姿を見つけた時の感激を忘れることができません。

 

 

 あの頃のもてる学生の必須アイテムと言えば本でした。貧乏だったので。押し入れを本棚代わりに使っていましたね。貧乏なので…。それでも本当に読んでいる人は少なく、インテリアの一部と化していて。本代と称して親に送金を頼み、実際には飲んでしまったという剛の者もいたそうです。

 まじめな彼の下宿は、こんな感じの町家で衣笠(記憶があやふや)にあり、窓からは五山送り火の「左大文字」が見えました。

 

 

 

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