江副さんとリクルートと私/小野塚満郎 著 書籍化計画、始動。

      2020/10/21

【編集部より】 かねてより小野塚さんには、人生の最も稔り多い時代を過ごし、風花雪月の日々を共にしたリクルートと江副さんに纏わる回顧録をご執筆中でしたが、このたび書籍化をめざし、原稿の全容が整いました。さらに推敲を重ねながら、6月から月1~2回のペースで当ホームページに掲載していく予定です。ご声援・ご愛読のほどよろしくお願いします。

 

 

☚表紙デザインのサンプル

Prologue  序章

  江副さんの手 運命の不思議な縁で結ばれて

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第一章  昴

  江副さんの発想・識見・ビジョン  昭和の世に、なぜこんな人が生れてきたのだろう

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第二章  流星

  成長と課題  私はリクルートの「課題解決担当」だった

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第三章  蒼穹

  新規プロジェクト 30社を超える関連企業

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第四章  雷鳴

  リクルート事件・バブルの崩壊 江副さんから贈られた一冊の本

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第五章  青雲

  私の履歴書

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Epilogue  終章

  「江副さんとリクルートと私」の執筆を終えて

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年表

 

 

江副さんの手の思い出がつなぐ42年

 私が江副さんに初めて一対一で接したのは、入社五年目1974年のことだったと記憶しています。「小野塚君、ちょっと来なさい」と内線電話で呼ばれ、部屋に入っていくと、机の引き出しを開けて封筒を出し、これを使いなさいと手渡すのです。。

 私は当時息子の手術でお金が必要でした。江副さんが、私がお金を必要としていることをなぜ知っていたのかはわかりません。一瞬のことでした。返事のしようがありませんでした。私は考える余裕もなく、受け取って自分のデスクに戻りました。この時の江副さんの手を、今でもはっきりと思い出すことができます。この事が、いま私が在る原点ではないかと思えてきます。

 月日は巡って、2013年1月31日の夜九時過ぎ、江副さんの秘書から、江副さんが東京駅で倒れた、日大駿河台病院救急救命室にいると連絡がありました。江副さんはこの日、自らが開発に携わった岩手県・安比高原スキー場からの帰路、東京駅ホームで仰向けに転倒し脳挫傷、日大駿河台病院に搬送されたのです。

 私が第一報を受けたのは1月31日の午後9時頃。新年会の二次会の途中で留守電になっていました。仲間と別れて新橋の事務所に帰り、寝ようと着替えていた時に気が付いたのです。翌日は江副さんのいる安比スキー場へ行く予定でした。

 一瞬思考が止まり、数分間ボーっと立ち尽くしていました。酔いも覚め、次第に冷静に事態を考えられるようになって、急いで着替え、中央線御茶ノ水駅近くの日大駿河台病院へタクシーで駆けつけました。

 江副さんはベッドに横たわっていました。すぐ耳元へ顔を寄せ、大きな声で江副さん江副さんと呼びかけましたが、反応は全くありません。祈る思いで江副さんの手を強く握りましたが、何の反応もありませんでした。絶望が江副さんの手から静かに伝わってきました。そして八日後の2月8日、江副さんはそのまま一度も目覚めることなく、帰らぬ人となりました。享年76歳。初めて社長室で対面したあの日から四十二年の年月が流れていました。 

 

書き残したい――湧き上がる想い

 1969年、23歳の時、私は当時まだ無名に近かった㈱日本リクルートセンターに入社しました。その後50歳で前線を退くまでの27年間、さらに6年間のフロムエー監査役を経て、江副さんが亡くなる2013年、後始末の数年を加えた自称「江副さん担当」の20年間を合せれば、ほぼ半世紀をリクルートおよび江副さんと共に過ごしたことになります。

 そして江副さんロスの日々が積み重なっていく中で、江副さんの真実を書き残したいという想いが次第に強くなっていきました。並外れた先見性や実行力、人の能力を見抜き育てる力など、異能の天才江副さんが今もし存命であれば、混迷する日本の現状をどう斬ってくれるだろうかと想像したりします。

 良いことも悪いことも、江副さんが日本の経済界とリクルートに残した功罪を真摯にふり返ることで、未来を照らす一助になれば幸いです。それが至近の距離から長く江副さんを見続けた一人として、私が果たすべき責務ではないかと思っています。

 第一章につづく 

 

 

 

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