桜の日本三名城巡り

      2023/07/29

◆姫路城天守閣と桜

田中 功也

 今年はいつになく早い桜の開花予想が出ている。早い所ではあと10日もしないうちに花開きそうである。
 2016年4月3日、桜が満開の時期に日本百名城のうち兵庫県にある姫路城、明石城、赤穂城を巡った。特に姫路城の桜が天守閣や櫓、石垣、堀に映え見事であったので、今年の花見に先立ってご紹介したい。姫路城、明石城の桜は「日本の桜百選」にも選ばれている。
 当日は、時折小雨が降るあいにくの天気であったが、それがかえって優雅な雰囲気を醸し出していた。

 

 平成21年から5年に及ぶ平成の大修理を経て、白鷺城とも呼ばれる純白の天守閣が蘇えった。完成から1年を経過してもなお多くの人々が訪れ、天守への登閣は1日1万5千人に制限されていた。天守登閣は諦めて外観を眺めるにとどまったが、西の丸、百間櫓、化粧櫓を心ゆくまで観て回った。日曜日とあって城も街も人であふれていた。

 姫路城は、正平元年(1346)赤松貞範が築城。天正8年(1580)羽柴秀吉が黒田重隆の居城を改修。関ケ原の戦いの後、慶長6年(1601)池田輝政が大改修を行い、望楼型五重6階の天守を含む連立式天守を完成させる。その後、本多忠政が入城して西の丸などを増築、現在の姿になった。日本における近世城郭の代表的な遺構で、江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守のひとつ。
 なお、大天守、東・西・乾の小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓の8件が国宝に指定され、平成5年には法隆寺とともに日本で初めて世界遺産に登録された。

◆堀と石垣と桜

◆天守閣

◆二の丸入口の櫓門(菱の門)

◆櫓と桜

◆天守閣と百間櫓

◆天守閣

◆化粧櫓内部

◆城内の桜

左)天守閣と桜、右)石垣

 

 大坂夏の陣で豊臣氏が滅び、二代将軍徳川秀忠の命により小笠原忠真が元和5年(1619)西国諸大名の抑えとして築城。一国一城令が下されてから4年後に完成した堅城。城の格としては姫路城より上とされる。

 明石海峡を望む丘陵地に連郭式に築かれ、天守台はあるが天守は建てられなかった。本丸四隅には三重の隅櫓が建てられたが、現存するのは坤櫓と巽櫓の2棟でJR明石駅ホームからも見ることができる。
 坤櫓は伏見城の遺構で、城内最大の櫓。天守の代用にされたとみられる。

◆巽櫓

◆巽櫓◆石垣

◆天守台

◆坤櫓

◆本丸 左坤櫓、右巽櫓

◆坤櫓

◆巽櫓

 

 赤穂浪士で有名な城。浅野長直が慶安元年(1648)から改修を開始し、近世城郭として整備した。千種川の三角州上に築かれた城は、海を背にした海城でもあった。縄張りは甲州流と山鹿流を取り入れたと伝わり、櫓台を石垣の塁線から突出させるなど横矢がかりを多く採用している。
 本丸には天守台はあるが、天守は築かれなかった。二重2階の隅櫓は古写真をもとに昭和30年(1955)再建された。
 城内には、大石良雄宅跡長屋門のほか大石神社、片岡源五右エ門宅跡、山鹿素行銅像、武家屋敷公園などがある。

◆再建された三の丸隅櫓◆大手門

◆三の丸隅櫓

◆大石良雄宅跡

◆片岡源五右エ門宅跡

◆山鹿素行銅像

◆堀

◆本丸

◆本丸厩口門

◆堀と桜

 

 

 

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