春の岸和田城

      2020/05/17

 

 

 koya tanaka 田中 功也

 

◆八陣の庭

 

 

13日の午後、和泉市の我が家から車で30分の岸和田城を訪れた。

曇りの予報に反し快晴に。陽を浴びて、青空の中に天守閣と小天守が耀いていた。

楠木正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起りとなった。

天正13年(1585)、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、叔父小出秀政を城主とした。秀政によって城郭が整備され、天守閣もこの時に築かれた。江戸時代の寛永17年(1640)、岡部宣勝が入城。以後、明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治した。

天守閣は文政10年(1827)に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊したため、近世以前の構造物は堀と石垣以外は残存していない。

現天守閣は、昭和29年に建造された3層3階建てだが、本来は5層であったことが絵図などで確認されている。

庭園(八陣の庭)は、昭和28年に重森三玲が設計、作庭した回遊式枯山水。地上からだけでなく、天守閣や上空から観賞されることを意図して設計されており、現代庭園の画期となった

天守閣からは、明石海峡大橋、淡路島、六甲連山、関空連絡橋、金剛、葛城連山などが望める。

 

 

 

 - 寿禄会インスタグラム