春のフランス花紀行⑦

      2022/09/01

◆モン・サン・ミッシェル遠望

 
 

 

 

(モン・サン・ミッシェル:阪急交通社HPより)

708年、大天使ミカエルを奉る聖堂がトンプ山に建設されたことが始まり

 2011年5月11日、旅は7日目に入る。7時35分ホテルを出発。曇っていた空も次第に晴れてくる。イギリス海峡に面したノルマンディ地方のモン・サン・ミッシェルに向けて4時間のバスの旅。のどかな田園地帯や森や林を抜け、川を渡り、田舎の町や村を縫って走る。車窓を走り過ぎる異国の景色や垣間見える人々の生活を、何も考えずにただぼんやりと眺めながらの旅が楽しく、嬉しい。

モン・サン・ミッシェル遠望:スライドショー(横5枚)

 11時40分、レストラン着。羊が点在する牧草地越しに小さく見えるモン・サン・ミッシェルを眺めながら、名物料理のオムレツを賞味。メインは羊料理で、ヘーゼルナッツのような独特な豊かな風味がする。島の周りの牧草地の草は、満潮時に潮につかるため各種ミネラルを豊富に含んでいるという。シンプルな塩だけの味付けが何とも美味しい。シードル(りんご酒)はワインの風味に慣れた舌には物足りず、1杯でやめる。

モン・サン・ミッシェル名物のオムレツとメインディッシュ:スライドショー(横3枚)

 

中世「モン・サン・ミッシェルに行くなら遺書を書け」と言われた厳しい巡礼の道

 モン・サン・ミッシェルは、もともと陸続きで森の中に聳える山だったが、ある時、津波に襲われ、陸と切り離されて周囲900mの小さな島となった。一帯は、潮の満ち干が激しく、春と秋の大潮の時は15mもの干満差が生じる。干潮時には陸続きとなるが、満潮時には驚くべき速さで潮が満ち四囲は海となる。

干潮時、島は陸続きになる

 中世、歩いて修道院を訪れようとした多くの巡礼者が、途中で潮に呑まれ命を落とす悲劇が幾度となく繰り返された。今、島は陸と橋でつながっているが、対岸の村から7㎞の干潟を4時間半かけて歩いて渡るツァーがある。「モン・サン・ミッシェルに行くなら遺書を書け」と言われる厳しい巡礼の道を体験でき、多くの参加者を集めている。
 中世、モン・サン・ミッシェルへの巡礼の道は天国への道と呼ばれ、病を抱えた多くの巡礼者が訪れていた。

 

ラッシュアワー並みの人で混み合うモン・サン・ミッシェルを観光

 島にはかつては200人が住み学校もあったが、今は、修道院関係者や観光業の30人が暮らしている。日中は対岸の村から仕事に通って来る人達で人口が膨れ上がる。

モン・サン・ミッシェル駐車場入口と修道院へ続く狭い参道:スライドショー(横2枚、縦2枚)

 12時50分から2時間、モン・サン・ミッシェルを観光。入口の門から修道院へ続く狭い参道がメインストリートで、土産物屋やレストラン、ホテル、アイスクリーム屋などが軒を連ねている。閑散とした冬場と違って、観光シーズンの春はラッシュアワー並みの人で混み合っている。

モン・サン・ミッシェルのメインストリート:スライドショー(縦3枚、横2枚、)

 

プラールおばさんのオムレツの店

 二つ目の門をくぐってすぐ左手にある小さなホテル、ラ・メール・プラールの1階にオムレツで名高いレストランが店を構えている。パリから日帰りで観光に来る人が多く、お昼前が一番賑わう。オムレツの厨房も昼の時間だけ見学できる。運が良ければ有名な女性シェフの調理の様子が見られるが、私がカメラを構えた時には交代した後で、赤いユニフォームの若い男性シェフが、リズミカルにトントントトンとオムレツの生地を泡立てる音を響かせていた。
 島に渡ってくる巡礼者のために、「手早くできてボリュームのある食事を!」と、マダム・プラールが作ったのが始まり。卵とバターのみのシンプルな材料を、暖炉でいろいろな方向から熱を加えてふわふわに膨らませ、5分でできあがる。ここでしか味わえないが、卵だけで中身はなく、美味しくもなんともない。

プラールおばさんのオムレツの店:スライドショー(横5枚、縦1枚)

 

数奇な運命を辿るが、要塞として優れた建築の代表例

 三つ目に王の門がある。国王から派遣された衛兵が守っていた。
 しばらく行くと村の教会、サン・ピエール教会がある。建設されて500年以上経ち、内部には銀のミカエル像が置かれ、入口をジャンヌダルク像が護っている。

東側から見たモン・サン・ミッシェル修道院:スライドショー(縦2枚、横2枚)

 モン・サン・ミッシェルは708年、大天使を奉る聖堂がトンプ山に建設されたことに始まる。その後間もなくトンプ山は大規模な巡礼地になり、10世紀にはベネディクト会の修道院ができる。修道院近くにできた数軒の民家が、山の下方に向かって次第に数を増し、村が広がって、14世紀には岸壁にまでいたる。

東側岸壁沿いの民家:スライドショー(横5枚)

修道院へ続く道と東側から見た海:スライドショー(縦1枚、横2枚)

 英国との100年戦争の際には攻撃を完璧に防御し、最後まで侵攻されなかった。モン・サン・ミッシェルは要塞としても優れた建築の代表例といえる。

崖の上に立つ修道院 要塞としても優れた建築物

 フランス革命による修道会の散会から1863年までの70年間は、修道士が追放され、島は監獄として使用された。収容人員1万4千人、海上のバスチーユと恐れられた。1874年、歴史的建造物に指定され、大掛かりな修復工事が始まる。現在も工事が続けられ、1979年、世界文化遺産に登録される。年間300万人が訪れるフランスで最も人気のある観光地となっている。

 モン・サン・ミッシェルは、他の修道院とは全く異なるユニークなスタイルを持っている。ピラミッド型の花崗岩の山を包み込むように建設され、段々に建物が建てられた独特な景観になっている。

修道院入口と修道院大階段:スライドショー(横1枚、縦3枚)

- フランス花紀行⑧へ続く -

 

 

 

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