悠久のトルコ時間旅行<後編>サフランボルからイスタンブールへ
2018/12/08
香辛料「サフラン」に由来する古都―—サフランボル
2018年5月28日8時半、雨の中ホテルを出発。バスで7~8分走りサフランボルの旧市街へ。いつの間にか雨は上がっていた。世界遺産に登録されたオスマン朝時代の趣ある木組みの街並みを散策。黒海から50km内陸に入った険しい山々の間にある人口4万3千人の町。サフランの花が群生していたことから名付けられ、サフランの菓子が名物。つまんでみたが、かなり甘い。1つはいいが2つは食べられない。それでも珍しいのでお土産の一つに加えた。
◆写真左:木組みの家が連なるサフランボルの街並み 右:サフランボルの花のモニュメント
新潟県長岡市では明治17年からサフラン酒を醸造し、海外にも販路を拡げていたことを帰国後に知る。カイマカムラル・エヴィ(知事の家)を見学。19世紀初頭に建てられた木造3階建て。土間には当時の生活用具が置かれ、上階には暖炉や飾り棚があり、暮らしぶりが分かるよう各部屋には当時の衣装を着けた人形が置かれている。
サフランボルはシルクロードへの通過点で、馬の鞍や皮革つくりを中心として、14~7世紀の頃、最も栄えた。
ボスポラス海峡を渡ってアジアからヨーロッパへ
夕方4時近くイスタンブールに入る。1975年建設のボスポラス海峡大橋(全長1074m)を渡ってアジア側からヨーロッパ側へ。日本が1988年に造った第2ボスポラス海峡大橋(1090m)が右方向に見える。
連泊となるリッツカールトンホテルへ。ホテルに入るにもセキュリティーチェックがあって驚く。12階の部屋からはボスポラス海峡やアジア側がよく見える。夕食は久し振りに日本食。寿司や天ぷらが出て熱燗の酒にする。1合40リラ(1000円)。ビールやワインの2倍の値段。寿司ネタは乾いていてまずかったが、天ぷらはまずまずの味。小鉢やみそ汁も美味しかった。寝心地よいベットと無事にイスタンブールまで戻って来た安堵感とで久し振りによく眠れた。
5月29日は、9時出発。移動するバスの車窓からヴァレンス水道橋が見える。ローマのコンスタンティヌス大帝の時代の378年に完成。2階建ての石組みの橋800mが残っている。
イスラム建築の至宝――スルタンアフメット・ジャーミー
ホテルから30分でスルタンアフメット・ジャーミーへ。ブルーモスクの名で親しまれている。トルコのジャーミーは丸天井のドームとミナーレ(尖塔)に特徴がある。ブルーモスクは6本のミナーレと高さ43m、直径23.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームを持っている。17世紀の初頭に完成した。内部が補修中で美しいドームの天井は見られず。内壁は2万枚以上の青を主体にしたイズニックタイルに覆われ非常に美しい。敷き詰められたじゅうたんも見事。イスラムの聖なる色である緑のじゅうたんはエチオピアから贈られた。女性はみなスカーフをまとう。
レストランの屋上でボスポラス海峡を眺めながらのチャイ(紅茶)タイムを楽しんで、地下宮殿へ。コリント式の柱列に支えられた内部が宮殿のようなことから名付けられた地下貯水池。縦140m、横70m、高さ8m。イスタンブール旧市街には、コンスタンティヌス帝からユスティニアヌス帝の時代4~6世紀に数ヶ所地下貯水池が造られた。宮殿の奥にはメドゥーサの顔が2体横たわる。
◆写真左:レストラン屋上でのチャイ(紅茶)タイム。ボスポラス海峡アジア側を望む。 右上:チャイ(紅茶)を入れるカフェの店員 右下:地下宮殿
昼食は、オリエント急行終着駅のスルケジ駅構内にあるレストラン。映画「風と共に去りぬ」のロケ地でもある。色褪せた映画のポスターが貼ってあった。食後しばらく駅構内を見て回る。
大聖堂からモスクへと塗り重ねられた歴史
午後はアヤ・ソフィアへ。紀元360年、コンスタンティヌス2世の時に完成した。その後時代に翻弄されてギリシャ正教の大本山からイスラム教寺院に姿を変えた。イスタンブールを象徴する建物の一つ。中は思いの外巨大で驚く。今は博物館として公開されている。
◆内部には壮麗な大空間が広がる。中央のドームは直径33メートル、床面からの高さ56メートル、その周りにアーチや半円形のドームを作り、中央ドームの重さを分散して支えている。 下:黒に金のカリグラフィーの円盤
1931年、壁の中にモザイク画が発見され、ビザンツ時代の遺跡として脚光を浴びる。損傷の激しいものが多いが、南回廊の聖母マリア、ヨハネとともに描かれたキリスト像はよい状態で残っている。大ドームに掲げられた黒に金のカリグラフィーの円盤には、アッラーやムハンマドと4人のカリフの名がある。「聖母マリアの手形」と呼ばれる柱があり、くぼみに親指を入れて、あとの4本の指の指先で、柱から離すことなくぐるりと円を描けたら願いが叶うという。妻が試しにやってみた。
◆漆喰で塗りこめられていた壁の中から姿を現したモザイク画。左と右上:キリスト像 右下:聖母マリア像
歩いてグランドバザールへ。今回の旅で初めて傘をさす。トルコ語で屋根付き市場の意味をもつバザールには同じような小さな店が無数に並んでいる。その数4400軒ともいわれ、中東最大級。広大で、狭い道に入り込んだら迷子になること必定。メインの道を往復しただけ。バザールは。甘い菓子を売る店が多い。どの店にもそんなに人が入っているようには見えない。商売になっているのだろうか? 記念にタイルの壁掛けを買う。200リラ(5000円)。味見して美味しかったザクロ茶とバラ茶をお土産に買う。115リラ(2880円)。孫達にはキーホルダー。シーフードの夕食は黒鯛のグリルで、期待外れ。
朝日を浴びて海峡クルーズ
観光最終日となる5月30日は、9時にホテルを出発。イスタンブールを走るタクシーはニューヨークと同じイエローキャブ。分かり易い。20分ほどでボスポラス海峡大橋の袂にあるオルタキョイへ。海峡クルーズの船が出る桟橋がある。海沿いのバロック様式の優美なオルタキョイモスクが朝日を浴びて輝いている。19世紀後半に建て直された。9時40分出航。ツァーで貸し切り。海峡は北の黒海から南のマルマラ海まで30km。狭いところで700m。広いところでも4km。マルマラ海からダーダネルス海峡を経てエーゲ海につながっている。最上階のデッキへ。黒海方面に向かって進む。強い風に帽子が飛ばされそう。
ヨーロッパ側のイスタンブールの街を眺める。ビルがびっしりと並んでいる。対するアジア側はまばらに別荘が建っている。ほどなくルメリ・ヒサルの要塞が見えてくる。1452年に建てられ、南北の長さ250m。1453年のコンスタンティノープル戦に備えて僅か4ヶ月で造営された。寒くなって船室に入る。メフメット大橋(第2ボスポラス海峡大橋)付近でUターン、1時間20分で金角湾に架かるガラタ橋近くに上陸。橋上にはたくさんの釣り人。どの人もバケツ一杯のコハダやアジを釣り上げている。周辺には名物のサバサンドの屋台がいくつもある。
◆写真左上:ボスポラス海峡大橋と釣り人 左下:ルメリ・ヒサルの要塞 右:オルタキョイ・ジャーミー
エジプシャンバザールへ。イスタンブールの美しい風景を作るイェニモスクのすぐ裏に広がっている。
1664年、エジプトからの貢ぎ物を集めて設営されたことにちなんでこう呼ばれている。色鮮やかな香辛料を商う店が多い。日本語での呼び込みも多い。メインがサバサンドの昼食。かなりのボリュームだったが妻と2人完食。デザートはどこもスイカが出てくる。緑色のアップルティーが美味しい。8リラ(200円)。
栄華を極めたオスマン帝国スルタンの居城――トプカピ宮殿
最後の観光はトプカプ宮殿。マルマラ海を眼前に、東西交易の接点であるボスポラス海峡をも臨む小高い丘の上、戦略的に重要な位置に建てられている。15世紀の半ばから20世紀の初頭にかけて強大な権力を持っていたオスマン朝の支配者の居城として建設された。
トプカプとは大砲の門の意味。大砲が海峡に向け並んでいたことから名付けられた。18世紀に造られたハーレムへ。入り口を入るとすぐに宦官の部屋がある。彼らの任務はハーレム(女性の部屋)の警備だった。女性たちの部屋は、スルタンの母の住む所、1番目から4番目の妻(男の子を早く産んだ順)が住む所、その他大勢が住む所に分かれている。皇帝の間、ムラト3世の間、アフメット3世の食堂などイズ二ックタイルの鮮やかなブルーの装飾や壁画が美しい。スルタンの私室にはイスラム関連の宝物が展示されている。
謁見の間や宮殿のキッチンを観た後、たくさんの船が行き交う海峡を眺めながら、しばしの休息。海風が涼しい。
◆三方を海に囲まれたトプカプ宮殿から眺めたボスポラス海峡。奥は第2ボスポラス海峡大橋。
夜9時半過ぎ、搭乗機がイスタンブールの空港を離陸。帰国の途に就く。
― 終 ―