坂の町東京

      2022/09/01

◆写真:森鴎外の「雁」の舞台になった無縁坂

 

 東京は坂の街。富士見坂という坂は二十を超えるとか。まだ土曜日が役所の休日でなかった五十年余の昔、御上りさんの私は、土曜日の午後と日曜日は東京見物に出かけた。そして驚いたのは、ビルと坂の多さだった。

 美術館・博物館好きの私の足は上野へ向かい、次いで上野台地とつながる本郷台地へ向かった。本郷には東京大学があり、その赤門の前に本郷通りをはさんで法眞寺がある。法眞寺の隣に、幼少の樋口一葉が住んだ。

◆法眞寺 樋口一葉「桜木の宿」跡

 一葉はその家を、「桜木の宿」と懐かしみ、小説「ゆく雲」に、「腰ころもの観音さま、濡れ仏にておはします。御肩のあたり膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて・・・」と記している。
 濡れ仏だった観音様は近年、お寺の改修で立派なお堂にお入りになった。

◆観音像と幼少の一葉

 女戸主として母と妹を養う身となった十八歳の一葉は、本郷菊坂町に移り住み、裁縫・洗濯等で生計を立てるようになるが、やがて行き詰る。一葉の家は菊坂の表通りを十数段の階段を下りた裏通りにあり、表通りの伊勢屋質店に何度通ったことだろうか。
一葉の旧居跡には、当時からの井戸があり、そのたたずまいは、私の拙句のとおりです。

「路地裏の青空小し一葉忌」

◆左:本郷菊坂町 一葉旧居跡に今も残る井戸 中:裏通りからの階段 右:菊坂と伊勢屋質店

 やがて一葉は、生活のために小説家を志し、上野の東京図書館へ勉強に通う。菊坂を上り、無縁坂を下り、あるいは暗闇坂を下って図書館へ行った。一葉が通った歌塾萩の舎も小石川安藤坂にあった。一葉は狭い地域の坂を上り下りして、二十四歳の短い人生を過ごし、日本文学史上に燦然と輝く作品を残した。

◆無縁坂

 後年、菊坂町に住んだ石川啄木は伊勢屋質店で、「一葉にはもっと多く貸しただろう」などと言ったが、名も無い啄木は鼻の先であしらわれたとか。
 朝日新聞の校正係を務め、本郷と湯島をつなぐ切通し坂を上り下りした啄木は、次のように記している。

◆切通し坂(左手に湯島天神)

 「二晩おきに夜の一時頃に切通の坂を上りしも勤めなればかな」

 この歳となり、椎間板ヘルニアの既往性もあれば、坂道を歩くのは難儀な事。しかしこれからも、文士達の息遣いを感じつつ、おぼつかない足取りながらも歩き続けたい。

 

 

 

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