信貴山断食道場の思い出 7・8

      2020/05/17

1965 Nov.8-17

「その時、君は?」【008】 市丸 幸子

 

信貴山断食道場の思い出7.ふらふらと・・・キッチンに忍び込む

1日を朝夕コップ1杯のリンゴジュースだけで過ごす本断食が始まり、2日目が
一番苦しかったことはすでに話しましたが、その問題の2日目の夜、私はついに人として
踏み越えてはならない一線を越えてしまいました。
本当はお墓まで持っていきたいレベルの恥ですが、勇気を出して話さなくては…。(笑)

本断食2日目の夜、あまりの空腹感に朦朧となった私は、フラフラと本館へ――。
みんなが自室に引き上げて真っ暗なキッチンに忍び込みました。
見ていたのは、窓の月だけでした。※アンデルセンの「絵のない絵本」風の情景描写です。

リンゴの芯でもいい、皮でもいいから、落ちてないだろうか…。

その時、「誰だっ!何してる?」と声がして、入り口の暗がりに白衣を着た人がボ~~ッと浮き上がって見えました。道場長さんでした。(-"-怒)

(((( ;゚д゚)))アワワワワ あの、その・・・・・・(゚ω゚;)タラ~

その場をどう取りつくろい、道場長の横をどうすり抜け、部屋に逃げ
帰ったか、今はもう覚えていません。は~~っ、怖かった!

ここで、突然ですが、追憶のシーンは8歳の頃にフラッシュバック。小学校で
火災非難訓練があった時のことに戻ります。

先生方の「火が出たゾ~、みんな非難して~~!」の声を合図に整然と並んで避難する
子供たち。そんな中一度教室を出た私は、何を思ったか人の流れに逆らって、
もう一度教室に入って行ったのです。
可愛い下敷きだったか、ノートだったか、とにかく大切なものが燃えないよう、
持ち出さなくっちゃとその一念だったようです。
自分のことながら、ホント子供のすることは意味が分かりませんね。(笑)

そして、その日のホームルームで先生は、
「今日の避難訓練で、燃えさかる火の中に戻って行った者がいる」

訓練だから、燃えさかってないし…。(今だから突っ込めること^^)
ここで私の方をチラッと見て、「焼け死ぬゾ~~~!!」と、大きな声で言われたのです。
絶対に焼け死なないし…。(同)

そんな思い出がよみがえり、翌朝の講話の時間、恥かしさのあまり身を縮め、
きっと道場長は、「昨日の夜、キッチンに忍び込んだ人がいます。修業が足りませんね」
とか何とか、言われるものと覚悟していたのですが…。

道場長は私のことを、特に厳しく睨むでもなく、逆に慈愛の目を注ぐでもなく、
まるで何ごともなかったかのように、ただ淡々と講話を続けられたのでした。

当時の道場長はすでに故人になられたとのことですが、道場長、あの節は本当に       すみませんでした。そして、ありがとうございました。

 

信貴山断食道場の思い出8.道場では断食が長い人ほど尊敬される⁉

断食道場での生活は朝7時に起床、7時半からは朝の勤行(丹田呼吸法という腹式
呼吸の鍛錬を兼ねた読経、道場長の講話)、道場内の清掃などが約1時間。
あとは散歩やヨガをしたり、読書をしたり、各自自由に過ごします。

でも、食事をする楽しみもない道場での1日は長く、空腹と退屈をまぎらすため、
みな仏堂(談話室)に集まります。

仏堂には、断食や健康関係の本、ビデオなどが沢山置いてあり、
いつも誰かがおしゃべりをしているのです。

私はどちらかと言うと人見知りで、初対面の人とは上手に話せないのですが、
ここではそんな心配は皆無!
「どこから来たの?」「幾つ?」「断食の目的は?」「何日間?」の
4点セットの質問をクリアすれば、すぐに打ち解けてしまいます。

「京都から来ました」「二十歳です、学生です」「10日間です」「痩せたくて…」と
答えると決まって、「いいねぇ、二十歳なんて、これから何でもできるねぇ~」
「ダイエットのためなんて、贅沢やねぇ、うらやましいわ~」と
ため息をつかんばかりに言われました。

聞いてみると、糖尿病や腎臓病の治療のためとか、アトピーや酷い化粧品かぶれを
体質改善で治したいとか、1日もお酒を断つことができずドクターストップがかかったとか…。
主治医に薦められたと言う人も多く、みなさん深刻な問題をかかえ、断食と「正食」に
大きな期待をかけているというわけです。

つまり、ここではダイエット目的なんて「贅沢でうらやましい!」
というわけですね。ははぁ~、申し訳ございません。
(、._. )、

断食期間もいろいろで、2ヵ月に1度、3~4日の週末断食を
長年続けているというご夫婦もいました。

「ほらあの方なんか、もう25日目ですって…」と、みんなが尊敬の眼差しを注ぐ
人を見ると、一見冴えないおじさんなのですが、
ここではどんな一流企業の偉いさんよリ、お金持ちより、長期間の断食に耐えて
いる人がエライのでした。

 

 

 

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