中国・江南紀行〔3〕

      2021/08/19

◆上海・外灘対岸の浦東地区

- 中国・江南紀行〔2〕より続く -

 

 

 

 2011年3月12日、旅の4日目。日本の観光地でも団体客がいると騒々しいが、杭州のホテルの夜半、中国人の部屋の騒がしさは半端ではなかった。しかも、部屋備え付けのドライヤー、何故かコンセントが合わずに使えない。デラックスクラスのホテルの格付けに、素直には頷けない。
 朝食の席で、東北の大地震が話題になる。1人旅の四国の女性はほとんど情報を持たず、死・不明者が1000人を超えたと聞いて驚いている。

 日中20℃になる予報だが、外はひんやりしていて服装に迷う。8時、ホテルを出発。上海まで2時間半のバスの旅。土曜日だが街中は通勤なのか(?)、湧き出てくるような電気自転車の群れとたくさんの人達で活気に溢れている。田園風景もかつてとは様変わりしていて、古きよき時代の面影はない。走る車もピカピカの新車が多い。350km/hで営業運転する新幹線と並行して走る。8両編成と16両編成。車内でお土産用に中国菓子の試食品が回って来たが、不味いものばかりで買う気は起きない。

 

ノスタルジーと近未来が交差する―上海へ

 上海は、中国の商業、金融、工業、交通の中心地で、国の直轄市。2012年6月の人口は2400万人を超える。午後は霧が出ることが多く、予定を変更して先に外灘(Bund=ワイタン)に向かう。

「租界」を歩けばわかる上海の近代史

 「租界」とは、清国(のちの中華民国)内の外国人居留地をいう。清が阿片戦争に敗北した1840年代以降、不平等条約により中国大陸各地の条約港に設けられ、行政自治権や治外法権を持つ。
 上海租界は、1824年の南京条約により開港した上海に設置された。当初、英米仏がそれぞれ租界を設定し、後に英米列強と日本の租界をまとめた共同租界とフランス租界に再編された。

世界的な貿易都市として栄えた往時の面影を残す外灘エリア

 外灘は上海中心部、旧市街の北に位置し、上海随一の観光エリア。黄浦江西岸を走る中山東一路沿い、全長1.1kmほどの地域。一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけて租界地区(上海租界)となり、当時建設された西洋式の高層建築が建ち並んでいる。租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多いが、高級ブランドの大型旗艦店や、租界時代のレトロな雰囲気を売り物にしたバー、レストランなどが増え、お洒落な街並みに変貌しつつある。

 外灘は、東アジアにおける金融ハブとなり、建設ラッシュが訪れる。建築物は、英、米、仏、独、日、蘭、ベルギー各国の銀行や領事館、新聞社などに使われ、市政府もこの場所にあった。1940年代までには、中華民国で活動していた銀行のほとんどが外灘に本店を置いた。

 国共内戦で共産党が勝利して、金融機関は外灘から転出。植民地を象徴する像や外国人の像は撤去された。1970年代末から1980年代初頭にかけて、中国が市場経済を導入していく過程で、外灘の建築物はかつての用途で使われるようになる。11時18分外灘到着。

20世紀初頭の欧風建築が建ち並ぶ外灘(スライドショー 横6枚)

◆20世紀初頭、「東洋のウォール街」と呼ばれていた外灘エリア。各国の領事館や銀行、商館などが集結する上海の経済と交易の中心地であった。現在は52棟の古い西欧建築群が保護され、往時の姿を今に伝えている。

対岸の「浦東」はまるで未来都市

 対照的に黄浦江を隔てた対岸の浦東(プウドン)エリアには、高さ468mのテレビ塔(東方明珠電子塔)や上海タワー(上海中心大廈)、上海ワールドフィナンシャルセンター(上海環球金融中心)、金茂タワー(金茂大廈)などの超高層ビル群が未来都市のような景観を呈している。

外灘対岸の浦東地区(スライドショー 横4枚)

◆黄浦江を挟んで外灘と向き合う浦東(プウドン)は、近未来的な超高層ビルが建ち並ぶ、近代都市上海を象徴するエリア。河沿いのレストランからは、対岸に広がる外灘のノスタルジックな景観も楽しめる。

 

 写真を撮りながら散策して、茶舗へ。何種類ものお茶の試飲を楽しんで、プーアール茶、一葉茶、杜仲茶の3種を500元(6500円)で購入。茶入器がおまけについた。

茶舗(スライドショー 横3枚)

 歩いて6~7分のレストランへ。12時半四川料理の昼食。辛いのは苦手で、美味しさは感じない。四川料理は秦の始皇帝の時代から三国時代にかけて完成された中国四大料理の一つ。四川省の中でも成都が本場。唐辛子、山椒、胡椒の3種類の香辛料が重用され、痺れるような辛さを味の特徴とする。辛い料理が多いのは、成都は盆地で湿気が多く、唐辛子の発汗作用で健康を保つためといわれている。

 しかし、4千とも6千ともいわれる四川料理のうち3~4割は、特段辛みをもった料理ではない。内陸の地域性を反映して野菜、鳥獣肉、穀類を主体としているが、近年は冷凍食品が普及し海産食材も取り入れられている。代表的料理として麻婆豆腐、担々麺、回鍋肉、棒々麺、宮保鶏丁、火鍋などがある。

◆上海市街

上海博物館

 1時半、上海博物館へ。国の重要文化財に指定されている収蔵品が13万点にのぼる。入館は無料。4階から2階まで降りながら陶器、印鑑、絵画、家具、貨幣などを急ぎ足で観て回る。どれも素晴らしいものばかり。1つ1つゆっくり鑑賞できないのが何とも残念。

上海博物館(スライドショー 横3枚、縦2枚)

◆上海博物館  古代青銅館、歴代絵画館、歴代銭幣館など11のテーマの展示室が楽しめる。

上海博物館展示物(スライドショー 横14枚、縦7枚)

旧フランス租界の街並を再現―新天地

 旧フランス租界を車窓に見て10分ほど移動し、新天地へ。旧フランス租界の建物を修復し、当時の街並みを再現したお洒落なショッピングエリア。テラス席つきのレストランやバーがある。上海の活気が肌で感じられる。狭い地域ですぐ見終えてしまい、スター・バックス・コーヒーへ。街ゆく人たちを眺めながら15元(450円)のスモールコーヒーを楽しむ。東京の娘へやっと電話が繋がる。宮城県が大変な被害という。温かいコーヒーと30分の休憩で元気を回復。

新天地(スライドショー 横5枚)

◆オープンスタイルのカフェやレストランなど、西欧風のオシャレな店が軒を連ねる。

◆スター・バックス・コーヒー店で休憩

 30分バスで移動し、5時15分上海料理のレストランへ。上海料理は、上海市を中心に食べられている代表的な郷土料理の一つ。近代になって急速に人口が増加した移民都市の上海には、祖先伝来の料理は少ない。酒、酒粕、醤油、黒酢や、砂糖、麦芽糖を多用するため、甘く濃厚な味が特徴。海鮮品や、長江、太湖などの淡水産の食材も多く用いられる。上海蟹、小籠包、生煎饅頭などがある。なかなか美味しいのだが、オプションで上海雑技ショーを観る人たちの予約の時間が迫り、次つぎに運ばれてきてゆっくりビールも飲んでいられない。

上海料理のレストラン(スライドショー 横3枚)

 食べ始めて1時間もしないうちにバスが出発。7時10分にはホテル到着。LクラスのホテルでNHKテレビが明瞭に映る。広々とした部屋にバスルームもきれいで、満足。温かい紅茶を飲みながらニュースウオッチ9を見る。大津波の想像を絶する凄まじい映像に、言葉を失う。

上海のホテル クラウンプラザ(スライドショー 横2枚、縦2枚)

 

 旅の5日目、最終日。東北巨大地震のニュースを見て、7時レストランへ。洋、中の朝食。種類も豊富で味もなかなかのもの。ヨーロッパのホテルなら25ユーロはする。私がホテル格付けの目安の一つにしているフレッシュジュースやヨーグルトも美味しい。卵料理がゆで卵だけなのが玉に瑕。写真を撮りに外に出て、寒さに震える。この日の最低気温は4℃。

◆旅の最終日の朝食

◆出発前ホテルのロビー

魯迅記念館

 9時半、ホテルを出発。魯迅公園へ。20分で着く。市の中心部から少し離れているが、穴場スポット。日曜日とあって、多くの市民が太極拳や社交ダンス、ボート遊び、散歩などで思い思いに休日を楽しんでいる。公園内にある魯迅記念館へ。

魯迅記念館(スライドショー 横4枚、縦1枚)

魯迅記念館の展示物(スライドショー 横3枚、縦1枚)

◆日本への留学経験があり、日本人にもなじみの深い作家・魯迅の記念館。陳列館には、魯迅の自筆原稿、手紙、衣服など600点余りが展示されている。

 中国の近代文学における巨人、魯迅(1881~1936)の作品、生き方、人物像を伝える内容盛りだくさんの資料館。10時入場。仏典か?細かい文字がびっしり彫り込まれた板を背にした高さ35㎝ほどの木造観音像が展示されている。妻と2人見惚れていると、係員が近寄って来て、何と!譲ってもいいという。古美術品か由緒ある貴重な文化財かと思って眺めていたので、売り物、しかも思いの外安い10万円と聞いて驚く。しかし、ひょっとしたら紛い物かも?と不安になったが、近くにいたガイドは別に買うのを止めようとしないので思い切って購入。同行の人があっさり買ったのに驚いていた。この観音像、今も我が家の床の間に鎮座している。10年経って風格が増した気がする。

購入した木造観音像(スライドショー 横2枚、縦2枚)

 魯迅の墓に詣でて、公園内を散策。

魯迅の墓と魯迅公園(スライドショー 横4枚)

 ラテックス(天然ゴム)の寝具店へ。中国在住15年の日本人店員が言葉巧みに説明している。体に良さそう。
 12時半、レストランへ。小籠包の昼食。美味しいのだが、ここも次つぎに運ばれてきて、ゆっくり味わえない。

江南を代表する明代の名園―豫園

 歩いて豫園老街を抜け、1時10分、上海一の名園「豫園」へ。折から梅祭が開かれていて。鉢植えの紅梅、白梅が美しい。豫園は、1559年から18年かけて作られた江南式庭園。2万㎡の敷地内には、龍壁、曲がりくねった回廊や様々な形式の花窓など40ヶ所の見所がある。建物や池が自然と見事に調和し、中国の古典的な雰囲気を味わえる。周辺にはショッピングやグルメが楽しめる「豫園商城」がある。

上海一の名園「豫園」(スライドショー 横11枚)

豫園老街

 園内を30分散策して、老街へ。虹梅路から虹許路まで500mの歩行者天国のグルメリゾート。1時間ほど歩く。得体のしれない人の群れに辟易する。押し売りがバスまで追って来る。2時40分出発。5日間ガイドを補助しながら行動を共にしたカメラマンから、お礼を兼ねて写真を2枚買う。1枚1000円。

上海一の名園「豫園」(スライドショー 横11枚)

 3時20分上海空港へ。出国手続きがスムースに済んで、待合ロビーでテレビを見る。上海の2つの放送局が東北の地震を放映し、地元の在日中国人留学生の安否情報を流していた。今日もまた巨大地震があったと真剣な表情で言う人がいたが、5時半東京の母に電話してデマと分かりホッとする。
 7時7分離陸。9時38分関西空港着。11時15分帰宅。民放で見る地震、津波の映像が凄まじかった。

 

 

 

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