中国・江南紀行〔2〕

      2021/05/23

◆西湖

中国・江南紀行〔1〕から続くー

 

 

陸から水上から、水の都「蘇州」を満喫

 旅の3日目、3月11日。この日もよく晴れて爽やかな天気。7時のレストランは朝食をとる人でいっぱい。空席を捜すのに苦労するほど。食べ終えて出る頃には、入口に順番待ちの人が7~8人並んでいる。ロビーも人でごった返している。

八角七層の虎丘塔

 8時10分ホテルを出発。蘇州市内観光へ。外は冷やりしている。10数分で虎丘へ。春秋時代、呉の国王夫妻が埋葬されたことに由来する。961年、呉越国の頃に建立された八角七層の虎丘塔は少し傾いていて、イタリアのピサの斜塔と比べられる。

◆上3枚:蘇州の虎丘・虎丘塔、正式名は「雲岩寺塔」。七層八角形の塔で高さは47.5メートル、地盤沈下で、現在は5度ほど傾いているという。

 遠方から斜塔を眺め、運河沿いの山塘街を歩く。白居易が蘇州長官時代に蘇州城と虎丘をつなぐために作った水路の街。運河沿いに、石畳の路を挟んで続く風情ある古い蘇州の街並みが再現されている。所々に中国独特の橋があり、異国情緒たっぷり。

運河に沿って古い蘇州の街並みを再現――「山塘街」

◆運河沿いの街「山塘街」:横スライドショー4枚

 

 9時前には刺繍研究所へ。10年もかけて作る裏表がそれぞれ別の作品になっているものもあり、精緻な仕事に感嘆。国宝に指定されているものが何点もある。写真と見紛う人物やモナ・リザも。1点数百万円から1千万円クラスのものもあり驚く。

 

◆刺繍研究所

 

1300年の時間がゆったりと流れる―ノスタルジック「烏鎮」 

 9時半、蘇州を出発。1300年の歴史をもつ水郷「烏鎮」に向かう。15分ほどで到着。大運河に面し、上海、杭州、蘇州を結ぶ三角形の中心に位置する交通が便利な所にある。

 たくさんの観光バスが溢れ、1日5万人も入るというテーマパーク「烏鎮東柵古鎮」へ。古くからの江南の街並みと運河、民家や商店がびっしりと建ち並ぶ。博物館などを巡る。団体客などでごった返していて、ゆっくり写真も撮れない。気温が16℃まで上がり、暖かい。

◆上3枚:烏鎮東柵古鎮 水路に張り出すように、古くからの住民が暮らし、その日常生活にふれ合えるほか、「伝統手工作坊区」には、昔ながらの靴、櫛、竹細工、藍染などの工房や博物館が立ち並ぶ。

◆江南百床館(江南ベッド博物館)  明、清時代から近代までのベッドを展示。精緻な細工に感嘆!

◆染坊 烏鎮名産の藍印花布は藍染めの伝統柄の布。庭には藍染めの長い布が干されている。

◆烏鎮東柵古鎮の街並、運河、民家、商店:横スライドショー9枚

 12時前レストランへ。烏鎮料理は、今回一番の味。量も十分で満足。フリータイムには写真を撮って回る。現地の母娘連れに写真を撮ってほしいと頼まれる。7人乗りの「包程船」で運河巡り。水上は風が冷たい。12分のクルーズで1人80元(1050円)。

◆包程船で運河巡り:横スライドショー5枚

 

上に天国あり、下に蘇州・杭州あり 

 1時08分、烏鎮を出発。1時間ほどで浙江省の省都杭州市内へ。中国八大古都の1つで500万人が住む大都会。13世紀には世界最大の都市だった。

 隋代以降、江南運河の終着点として経済・文化が発達し、「上に天国あり、下に蘇州・杭州あり」と称えられた。五代十国の時代、呉越国の都となり、南宋時代には事実上の首都「臨安府」が置かれた。市内中心部の西には世界遺産「西湖」がある。

春秋時代の美女「西施」にたとえられた絶景の地―西湖

 輸入車は税金が高く、レクサス、ベンツ、BMWは2倍の価額になるというが、たくさんの外車が走っている。西湖に面した「西冷印社」へ。重要な文物を多数収蔵している。印鑑を彫る会社で、同行者で発注する人も何人か。

◆西冷印社:横スライドショー4枚

 いつ訪れても美しいといわれる湖畔を散策後、30分の西湖遊覧クルーズを楽しむ。4時半、対岸の蘇堤へ。

◆西湖の対岸に六和塔が霞んで見える

◆西湖遊覧クルーズ:横スライドショー8枚

 バスで15分走り、5時に六和塔へ。970年創建の国宝。高さ60mの13階建て。7階建ての塔身は南宋時代のもので、13階の外層は清末に増築された。外から眺めただけ。

◆六和塔 銭塘江の北岸月輪山にそびえ建つ八角七層の仏塔。たびたび氾濫し人々を苦しめた銭塘江を鎮めるため、呉越王の銭弘俶が智元禅師に命じ、970年に建設させた。

 

娘たちから東日本大震災の一報

 娘たちから携帯にメールが入っていて、2時46分宮城県沖でM8.8(後に9.0に修正)の巨大地震が発生し、東京も震度5の揺れ、東北では大津波で家や車が流されている。テレビで中継し、この世の終わりを思わせる光景に背筋が凍ったという。東京に住む妹や娘一家は無事の報にほっとする。大阪・堺の次女の勤め先のビルも大きく揺れ、早く帰宅するよう指示されたという。

 5時半、宋城近くのレストランへ。杭州料理の夕食。味も量も申し分ない。現地ガイドが東京タワーの先端が地震で曲がったという。ショーを観るのをやめ、7時ホテルへ。急いでテレビをつけるも杭州のホテルはNHKが映らない。神奈川県横須賀市の親類にやっと電話が繋がり、無事を確認。1mを超える津波が来たという。義姉の実家が福島にあるが、電話が繋がらない。娘たちから続報のメールが入る。史上まれにみる大惨事、未曽有の甚大な被害という。まだスマホではなく、ガラケーなのでもどかしい。

 デラックスクラスのホテルなのに、シャワーの水は金魚鉢の古くなった水のような、ドブのような臭いがする。湯もぬるい。周りの中国人の部屋が何とも騒々しく中々寝付けず。マナーの悪さには呆れる

―中国・江南紀行〔3〕に続くー

 

 

 

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