万葉集から演歌まで 好きな詩・短歌・俳句・歌詞を教えて下さい。  ( 011 お座敷小唄 藤本茂 )

      2021/05/23

藤本 茂

 白水君の新企画に賛同して投稿しようと思ったが、高校の教科書に万葉集が10首か20首解説されていたと言われても、「そう言えばそんなこともあったような・・。」くらいしか思い浮かばず、高校時代3年間を自宅と学校の往復にのみ費やしていた帰宅部生には非常に荷が重かったが、廣渡君のような歌謡曲ならと、大学のコンパで良く唄っていた「お座敷小唄」に辿り着いた。

 大学で属していたサークル邦楽部は男性と女性が同数ずつくらいいたが、中でも女性の中にはめっぽう酒の強い女性がおり、しかも「泣き上戸」の女性と「笑い上戸」の女性がいたりしたので、時々開催されるコンパは楽しみの一つであった。

 そのコンパでは、当時としては異例の250万枚を超えるレコード売り上げを記録した超ヒット曲であり、「すっちゃんちゃららちゃんちゃ、すっちゃんちゃららちゃんちゃ、富士の高嶺に降る雪も 京都ぽんとちょうに降る雪も」という、テンポの良い曲調につられて、曲の内容もわからずに蛮声を張り上げていたものである。

 大阪へ就職してからも、花見や紅葉狩りや社寺仏閣の参拝に京都に行くことはあっても、京都に宿泊して飲んだり騒いだりすることは全く無く、「京都ぽんとちょう」がどんなところかは見当もつかなかった。
 しかし、定年退職になってから、中学の先生を招待して京都へ「花見や紅葉狩り」に行くようになり、その際に京都を良くご存知のジャンボタクシーの運転手さんから、京都市内を走りながら、あちこちで説明を聞き、「ぽんとちょう」は漢字で書くと「先斗町」であることや、「先斗町歌舞練場」がある芸者の町であり、肩が触れそうな狭い路地に飲み屋等が密集している大阪では十三のような飲み屋街であることを理解した。

■京都先斗町

 先斗町は祇園と並ぶ京都の花街の一つで、三条通の一筋南から四条通に至る鴨川にそった南北500mに及ぶ細長い通りのことを指す。紅殻格子の茶屋が両側に建ちならび、東西に五十番まで数える大小の路地がある。300余年の歴史の中では、さまざまな物語の舞台になり、幕末に勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの露地に身を潜めたり待ち伏せしたりしたと伝えられている。※京都先斗町のれん会HPより引用。

京都先斗町(スライドショー 横5枚)

お座敷小唄

昭和39年 作詞:不詳、作曲:陸奥明、採譜:和田弘、編曲:寺岡信三、歌:松尾和子&和田弘とマヒナスターズ

 富士の高嶺に降る雪も
 京都先斗町(ぽんとちょう)に降る雪も
 雪に変わりはないじゃなし
 とけて流れりゃ皆同じ

 好きで好きで大好きで
 死ぬ程好きなお方でも
 妻と言う字にゃ勝てやせぬ
 泣いて別れた河原町

 ぼくがしばらく来ないとて
 短気おこしてやけ酒を
 飲んで身体をこわすなよ
 お前一人の身ではない

 どうしたかと肩に手を
 どうもしないとうつむいて
 目にはいっぱい泪ため
 貴方しばらく来ないから

 唄はさのさかどどいつか
 唄の文句じゃないけれど
 お金も着物もいらないわ
 貴方ひとりが欲しいのよ

お座敷小唄の誕生秘話:和田弘とマヒナスターズが広島に巡業したとき、和田弘が歓楽街・流川のスナックで、ホステスと地元の客が一緒に歌っていたこの歌を無断で採譜。和田と松平直樹と寺岡信三とで、三味線調ではなく、ムード歌謡仕立てで、当世風の明るいドドンパ調にアレンジしたのが、累計250万枚も売れた大ヒットの要因と言われている。また歌詞も”妻と言う字にゃ勝てやせぬ"とか"唄の文句じゃないけれどお金も着物もいらないわ"といった風に七五調で歌いやすく、即席でも替え歌が自由につくり易いので、曲も歌詞もその時代にピッタリで大流行したと言われている。

 なお、3年前の2018年5月15日には、大学卒業50周年記念同窓会を京都で開催し、有志で「先斗町」を散策した。午前中に「葵祭」を京都御所で観賞した後に、「がんこ・高瀬川二条苑」で昼食。その後、木屋町から先斗町をそぞろ歩きして情緒あふれる花街の風情等を満喫、「これぞ京都」と同窓生に喜んで貰ったのも思い出に残っている。

がんこ・高瀬川二条苑~木屋町(スライドショー 横11枚)

 

 

 

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