万葉集から演歌まで 好きな詩・短歌・俳句・歌詞を教えて下さい。  ( 010 お富さん 廣渡清吾 )

      2024/01/29

廣渡 清吾

 山本さんの「クーニャン」母子伝承にあやかって、思い出してみました。ぼくの母は、たぶん、歌がそれほど得意でなく、母子伝承でぼくが歌えるのは、淡谷のり子の「雨のブルース」と大津美子の「ここに幸あり」くらいです。「雨のブルース」の「雨よ降れー降れー」という切ない出だしを彼女はふざけて「尻よふれー、ふれー」などと歌っていた記憶があるので、まったくロマンチックではありませんでした。

 母が熱をいれてぼくに接したのは、歌舞伎の話でした。母の父親、ぼくの祖父は、川上音二郎(1864-1911、筑前黒田藩出身の新派劇の創始者)に憧れて歌舞伎役者を志し、少年時代、出奔し、下関まで行って、連れ帰られたというエピソードがあったとか。戦前の博多では、大博劇場で歌舞伎興行が行われて、女学校時代、母は、学校を休んで(休まされて)祖父と(祖母も)歌舞伎に見に行ったそうです。1920年にできた大博劇場は、上呉服町にあり、戦後は演劇興行が振るわず、60年代半ばには映画館専用になり、1972年に閉館しています。ぼくはここで映画をみたことがありますが、歌舞伎をみたことはありません。

 彼女はそうしたことを語りつつ、歌舞伎の有名出し物の見せ場を所作つき、台詞つきで解説してくれたのでした。いくつも覚えていますが、そのなかでも、得意の出し物が与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)の源氏店(げんやだな)の場面です。かつての情夫、与三郎がお富との再会でこう啖呵をきります。ちょっと間違って覚えているかもしれません。

 「御新造さんへ、お上さんへ、お富さんへ、いやさお富、久しぶりだなー、34か所の刀傷、誰がーために受けた傷だ、これが一分じゃあ、すまされめーが」

◆海老蔵の与三郎と玉三郎のお富

 母がぼくの前で何度も演じたこの歌舞伎名場面は、春日八郎の「お富さん」で社会に普及します。この歌は、今調べると1954年発売なので、母子伝承と歌謡曲伝播の時間的前後は記憶上交錯して不明ですが、もちろん、3番まで(4番まであるようです)ちゃんと歌えます。

 

 

お富さん   昭和29年 作詞:山崎 正  作曲:渡久地政信  歌:春日八郎

 

(JASRACよりの、「著作権法第21条の複製権及び第23条の公衆送信権(送信可能化を含む。)」を侵害したとのご指摘により、歌詞及び歌詞の一部を含む前後の文章は2024年1月26日削除」

 「与話情浮名横櫛」は、というより、祖父と母が愛した歌舞伎に興味があっても、接触はまったくありませんでしたが、市川新之助が海老蔵襲名の折に、歌舞伎通で海老蔵ファンの友人に歌舞伎座に何度も誘われて、源氏店の見せ場にも出会えました。もちろん与三郎は海老蔵ですが、お富は尾上菊之助でした。もう15年ほども前のことで、ご両人とも本当に綺麗でした。

 

 

 

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