ボヘミアの古都プラハ・ベルリンとドナウ旅情(1)
2022/09/01
もう15年前になる2007年5月下旬、中高年ばかりのツァーに参加して中央ヨーロッパ4ヶ国(ドイツ、チェコ、ハンガリー、オーストリア)を巡る10日間の旅に出かけた。
中欧については、2014年10月に大学のゼミ仲間と行った道中記を「欧州の誘惑 秋の中央ヨーロッパ5ヶ国の旅」として前編(2017.7.03)、後編(7.15)をホームページにアップしていただいたが、風薫り新緑萌える中欧も紅葉の時期に勝るとも劣らず、旅情を誘い、魅力にあふれた国々で再度の投稿となった。
5月21日午前10時、ルフトハンザドイツ航空機が関西空港を飛び立つ。フランクフルトまで11時間40分のフライト。よく晴れてほどなく右手前に北、中央アルプスの白い峰々が、右奥に富士山が見えてくる。北海道便と同じ日本海岸に沿って北上するコースを飛行。前の座席にはドイツ人夫婦と赤ん坊。椅子の間から赤ん坊が時々顔をのぞかせる。「イナイイナイバァ~」をするとニッコリ微笑み、何とも可愛い。どこの国の赤ん坊も同じ。白ワインに機内食も美味しい。
朝6時、視界いっぱいにシベリアの白い大地が見えてきた。広大な黒い森が広がる。北極海上空にさしかかると、大小さまざまの白い氷が大量に浮かんでいる。食事の後、バルト海を経て、肥沃な田園地帯の上を飛び、午後2時45分フランクフルト着陸。緑の多い、きれいな街。28℃とすでに夏の装い。
乗り継ぎの便が5時離陸。50分の飛行でベルリンに到着。2階建てのバスが6時半、空港を出発。田舎の住宅街をゆっくり走り、7時半ホテルに着く。ミネラルウォーターが1本1.5ユーロ(255円)もする。空港の3ユーロよりはましだが、それにしても高い。近くの部屋で若者が大騒ぎしている。
夜食に関西空港で買ったおにぎりを食べる。今日は31℃まで上昇したが、明日は26℃だと現地ガイドがいう。外は9時を過ぎてもまだ明るい。ホテルの前を黄色い路面電車が通る。
旅の2日目、5月22日。朝食のレストラン、置いてある水がガス入りでサイダーのよう。
快晴で陽が暑く感じられる。昨夜東京の母にかけた電話代が1.80ユーロ(310円)。
8時ホテルを出発。市内は交通渋滞。途中日本人ガイドを拾い、ずっと旧東ベルリンの街を走る。東西統一後街はずいぶんきれいになったという。9時前にベルリンの壁着。
1961年東側が築いた45㎞に及ぶベルリンの壁は、すでにそのほとんどが撤去されていて、8ヶ所にのみ残る。ミューレン通りの壁には1989年11月崩壊後に、21ヶ国から集まった118名の画家たちが白い壁に思い思いに絵を描き始め、1316mが記念碑として残されている。日本の画家は富士山と五重塔を描いている。
壁は高さ4m、思っていたより大分低い。厚さは10数センチしかない。ニュースで見た壁はずいぶん厚く、高く感じたが……。
左)富士山と五重塔が描かれたベルリンの壁、右) 壁のペイントは大分はがれている。何年か毎に描き直される。
一昨日19℃、昨日30℃と気温は大きく上下しているという。市庁舎、テレビ塔を車窓に見て、9時過ぎ、ジャンダルメン広場で下車。フランス大聖堂、ドイツ大聖堂、コンツェルトハウス劇場などを見る。
ジャンダルメン広場
左) ドイツ大聖堂、中) コンツェルトハウス劇場、右)左・コンツェルトハウス劇場、右・フランス大聖堂
9時40分、ブランデンブルク門、連邦議会へ。東西分断の象徴となったブランデンブルク門。ベルリンも他の町と同様、中世には市壁に囲まれていた。その中で唯一現存するのがブランデンブルク門。アテネのアクロポリス神殿の前門プロピレーンを模範に建築家ランクハウスの設計により1791年に完成。6本のドリス式円柱をもつ。.
門上の勝利の女神とカドリガは彫刻家シャードウの傑作。1806年プロイセンがナポレオンに敗れて持ち去られたが、1814年ナポレオンを破って取り戻した。馬車は古代の4頭立て二輪車カドリガ。
左)ブランデンブルク門、右上)門上の勝利の女神像とカドリガ、右下)ベルリン市内
10時20分、ペルガモン博物館へ。ベルリンが世界に誇る考古学博物館。古代ギリシャ、ローマのコレクション、古代西アジア美術、東洋美術、イスラム美術の主に4つの部門に別れている。なかでもヘレニズム建築の最高傑作とされる古代ペルガモン(現トルコのベルガマ)の「ゼウスの大祭壇」は、紀元前180~160年のもの。
ペルガモン博物館
左) 中)ゼウスの大祭殿、右) アタロス2世の宮殿にあった床モザイク(B.C155年)
左) 古代ペルガモンのゼウスの大祭殿、右) 神々と巨人の戦いをドラマチックに表した浮彫り
古代バビロニアの凱旋道路:スライドショー(横7枚)
ペルガモン博物館展示物:スライドショー(縦1枚、横5枚)
50分で観て回る。急ぎ足で、イヤホンガイドも聞いている暇がない。ゆっくり鑑賞する時間がほしい。
12時40分、ポツダム市内へ。ポツダム会議の舞台になったツェツィリエンホーフ宮殿を見学。ベルリン市の北東部に広がる新庭園の中にあるイギリスの田舎風の狩りの館。1917年にドイツ帝国最後の皇太子ヴィルヘルムと妃ツェツィリエンのために建てられた。現在はホテル&レストランになっているが、歴史的なポツダム会談が開かれた部分は博物館となって公開されている。内部は写真撮影禁止。
1945年7~8月、敗戦国ドイツの処遇を決めるため、米英ソ3ヶ国首脳会談がポツダムで開かれ、ドイツは米英仏ソ4ヶ国の占領下に置かれることになった。
左) 中) 建物は緑豊かな広大な庭園の中にある、右) シャクナゲの花がきれいだった。
2時、2つ星ホテルで昼食。野菜サラダ、ロールキャベツ、ポテト、デザート。渇いた喉に300mlの王様ビールが美味しい。
昼食 コールローラデ(ドイツ風ロールキャベツ)、ポテト、野菜サラダ、デザート
3時、サンスーシ公園へ。鬱蒼とした森にゆったりと川が流れ、いかにもヨーロッパという感じがする。シェーンブルン宮殿に似た黄色いきれいなサンスーシ宮殿がある。庭も美しい。
300haの広大な公園の中に1744年から1860年の間に次々に宮殿や館が建てられた。サンスーシ宮殿はプロイセン宮廷建築の原型を作り上げたクノーベルスドルフの傑作で、フリードリヒ大王の命により1747年に完成した。ロココ式宮殿の代表ともいわれ、前庭に配した階段状の温室と一体となってこの上なく美しい。
サンスーシ宮殿の庭園:スライドショー(横7枚)
サンスーシとは、憂いがないこと。大王はこの宮殿が気に入り、ヴォルテールなどフランスの文化人を招いたり、自らフルートを奏して演奏会を開くなど夏のみならず多くの時間を過ごした。大王の亡くなった部屋がそのまま残されている。
サンスーシ宮殿
4時前出発。大草原を走る。同じ風景がどこまでも続く。疲れで寝てしまう。6時頃から激しい雷雨のなかを走行。6時40分ホテル着。郊外で周りには何もない。裏手にはゴルフ場。
7時半、夕食。ビール(大3.1ユーロ=530円)はすぐに出てきたが、メインのソーセージとポテトが運ばれてきたのはその30分後。待たされ過ぎてビールも不味くなる。デザートは山もりのアイスクリームとフルーツ。稲光が度々きらめいて雨が降り続いている。
外気は少し冷やりしているが、室内は蒸し暑い。
左)夕食のソーセージとポテト、右) アイスクリームとフルーツのデザート
※ボヘミアの古都プラハ・ベルリンとドナウ旅情(2)へ続く