ベトナム縦断紀行(後編) ダナン・ホイアン等

      2020/05/17

 

 

 

 

 

 ベトナム社会主義共和国

 

 

  ダナン

 
美しいビーチリゾート――ダナン

 2019年11月18日、旅の4日目の午後1時、フエを発ってダナンへ。ホーチミン市、ハノイに次ぐベトナム第3の産業都市。大型船舶が停泊できる天然の良港を持ち、ベトナムを代表する港湾都市として、18世紀頃から発展してきた。

 ベトナム戦争中に米軍最大の基地が置かれたが、今はその面影はほとんどない。大小様々な漁船が停泊し、市場には新鮮な魚介類が並ぶ。近年はリゾート開発が進み、活気が溢れている。日本をはじめ周辺国からの直行便が就航し、ベトナム中部の拠点として拡張を続けている。

 3時半、ダナン大聖堂着。フランス統治時代の1924年に創建されたゴシック様式のカトリック教会。ピンク色の外観が印象的。入場はできない。日本人経営のお土産店を覗いて、夕方5時ミーケビーチへ。4kmにわたって美しい白砂のビーチが延びる。薄暮の浜辺は冷んやりしているが、水着姿の人で賑わっている。ビーチサイドのレストランで海鮮料理の夕食。

◆ダナン大聖堂

◆ミーケビーチ

 6時半、ハン川に架かるロン橋へ。ベトナム語で龍の橋を意味し、龍が水面を泳ぐ様をデザインしている。日が落ちると、赤や黄、緑など色とりどりにライトアップされる。7時過ぎにはホイアンのリゾート&スパホテルへ。カートで移動するコテージ形式の豪華な宿。

◆ロン橋

◆ホイアンのホテル

 ベトナム戦争で破壊された学校の校舎の建設に多額の援助を惜しまなかった、橋本龍太郎、小渕恵三の2人の日本の首相は今も多くの人々から感謝され、小渕首相が急逝したときには、連日、大きく報道されたという。

 

 

  ミーソン遺跡

 
古代チャンパ王国の聖地――ミーソン遺跡

 旅の5日目、まだ腹の具合が思わしくなく、オムレツとフォーの軽めの朝食。屋外のテーブルでのどかな水辺の景色を眺めながら、のんびり楽しむ。

◆フォーとオムレツの朝食

 8時半ホテル出発。10時前にミーソン(美しい山)遺跡へ。中部沿岸と中部高原を支配していた古代チャンバ王国の聖地だった場所で、ヒンドゥー教シヴァ神信仰の地。聖山マハーバルヴァタを望む盆地に、レンガ造りの塔など70棟を超える遺構が草木に埋もれて残っている。4世紀末に創建され、13世紀までに建てられた。1999年世界遺産に登録。7世紀からレンガを使った建築へと変わっていったが、接着剤を用いないチャンバの建築方法は未だに解明されていない。

 駐車場からしばらく歩いた後、カートで2km移動し、さらに5~6分歩いてやっと遺跡の入口に着く。アンコールワット遺跡を小規模にしたような遺跡。1000年前に積んだレンガが赤く真新しく見え、4~5年前に補修したレンガは黒ずんで古く見える。多くの遺構がベトナム戦争で破壊された。晴れて暑く、しばらく歩くと背中は汗でぐっしょり濡れる。チャンバの民族舞踊ショーが行われていた。すでに欧米系の観光客で溢れ、人と人の隙間から覗き見る。派手で音ばかり大きく、途中から観たので内容はよく分からない。半分は裸踊り。

◆ミーソン遺跡(スライドショー13枚)

◆ミーソン遺跡とその出土品

◆チャンバ民族舞踊ショー

 

 

  ホイアン

 
ノスタルジックな時が流れる世界遺産の街――ホイアン

 ホイアンのレストランで昼食。腹の回復具合をみようと、アルコール度数4%の薄いタイガービールを飲んでみたが、まだダメなようだ。

 シルクの刺繍工房を見学。女工さんたちが並んで座り、黙々と気の遠くなるような細かい仕事を続けている。お土産屋が併設されており、買ってあげたかったが、我が家の壁には合いそうにない。

 ホイアンは、ダナンの南東30km、トゥボン川が南シナ海に流れ出る三角州に造られた沿岸都市。15~19世紀にアジアとヨーロッパの交易拠点として栄えた。江戸時代初期には朱印船貿易の舞台となり、日本人商人たちによって日本人町が造られた。最盛期には1000人を超える日本人が住んだ。江戸幕府のとった鎖国政策で日本人町が衰退した後は、華僑の人達が多く移り住んだため、古い建築物や街並みは中国南部の色合いが濃い。旧市街は、往時の街並みを色濃く残し、夜になるとランタンの柔らかな灯りがともり、訪れる人を郷愁へと誘う。世界遺産に登録されている。

◆ホイアンの中国人街

 2時半、屋根付きの来遠橋(日本橋)へ。1593年に造られ、ベトナムを代表する観光名所のひとつになっている。日本人商人たちによって、地震にも耐えられるように頑丈に造られた。日本人町の衰退後改築され、現在は中国風の建築になっている。

◆ホイアンの来遠橋(日本橋)

◆ライトアップされた来遠橋(日本橋)

 中国人街の「フーンフンの家」へ。約200年前に貿易商人の家として建てられた木造建築。ベトナム、中国式に加え、屋根には日本の建築様式も取り入れられている。1階の天井には、洪水の時、2階に商品を運び上げるための窓が作られるなど、随所に生活の工夫がされている。他にも300年前に建てられた中国人の住まい「クアンタンの家」や日本と中国の建築様式がミックスした「タンキーの家」などがある。
 「海のシルクロード博物館」、航海安全の守り神を祀る「福建会館」、金山寺、ホイアン市場などを巡る。市場は見て回るだけでも楽しい。

◆フーンフンの家

◆福建会館

◆金山寺

◆ホイアン市場

 トゥボン川の30分のリバークルーズを楽しむ。5時を回り、リバーサイドのレストランへ。いきなりの強い雨。ビニールの天井が破れてたまった雨水が降り注ぎ、一時騒然。ホイアン名物チキンライスの夕食。日が暮れて、目の前の川を行き交う船のランタンの灯りで風情が増す。川岸に舫った多くの小舟もみなたくさんのランタンに飾られ、華やかさを演出している。1人ずつ灯籠に火を灯し、竿の先の皿に乗せて、そっと川面に下ろす。きらきらと水面に輝く無数の灯籠が、ついては離れゆっくりと流れて行く。幻想的な灯籠流しは、いっとき厳かな気分にしてくれる。

 ランタンの淡い灯りに照らされた家々の間の狭い道を、たくさんの人に混じってそぞろ歩き。遠い昔の子供の頃の縁日を思い出す。これぞ待ち望んでいたベトナムの古都の風情

◆ホイアンの旧市街

◆ホイアンの旧市街(スライドショー5枚)

◆ランタンの灯った旧市街(スライドショー6枚)

 

 

  ホーチミン市

 
"プチパリ"から躍進するベトナムの象徴へ

 ベトナム最後の朝食も、オムレツ、フォー、バナナ、スイーツと腹に優しいものにする。ダナンの空港を定時の10時に飛び立ったエアバス321は、11:08にはホーチミン市に着陸。曇り空で31℃。昼食は、生春巻きやベトナム風お好み焼きにフォー。

 ホーチミン市(ホー・チ・ミン氏と区別するためホーチミン市と表記する)は、1975年まではサイゴンと呼ばれた南ベトナムの首都。人口800万人、ベトナム最大の商業都市。人口は年々増加の一途をたどっている。サイゴン川の西に開け、かつて「極東の真珠」、「プチパリ」と称えられた美しい街。高層ビルが立ち並び、車やバイクが溢れ、エネルギッシュに発展を続けている。「社会主義国ベトナム」のイメージからは遠い。

 まず訪れたのは統一会堂(独立王宮)。南ベトナム時代、独立王宮と呼ばれた旧大統領官邸。1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸の鉄柵を突破して無血入城を果たし、ベトナム戦争は終結した。次に、サイゴン大教会(聖母マリア教会)へ。19世紀末に建てられた、2つの尖塔をもつ赤レンガ造りの美しいカトリック教会。パリのノートルダム大聖堂によく似ている。補修工事中で中には入れず。前の広場にマリア像が立つ。

◆左2枚:ホーチミン市の統一会堂(独立王宮)、右:サイゴン大教会(聖母マリア教会)

 駅舎を改修した中央郵便局は、黄色い外観が美しい。19世紀末のフランス統治時代に建てられ、建築文化財としても貴重な建物。細かなデザインや飾りがいたるところに見られる。内部天井はクラシックなアーチ状になっており、右側には1892年のサイゴンとその付近の地図、左側には1936年の南ベトナムとカンボジアの電信網が描かれている。

◆左:中央郵便局の外観、右2枚:中央郵便局のアーチ状の内部天井

 喧騒の大都会だが、不思議なことに救急車のサイレンの音は聞こえない。日本と違い有料でしかも医師や看護師の費用が高額なので、事故や急病でも呼ばないのだという。

 3時過ぎダンディン教会へ。ピンクの外観の美しい教会で、たくさんの人が写真を撮っている。美しい並木のドンコイ通りで1時間のフリータイム。ホーチミン市随一のショッピングストリート。デパートや高級ホテルなどが建ち並ぶ市内有数の目ぬき通り。フランス統治時代からの建物も残り、新旧が混在した独特の街並みが見られる。人気のブティックや雑貨ショップ、ギャラリー、スーパーマーケットなどが通りの周辺に集中している。

◆ダンディン教会

 5時、ベンタン市場へ。ホーチミン市観光の目玉。生鮮食品から衣料、雑貨まで何でも揃う。トルコのバザールのように小さな店がびっしり並ぶ市内最大の市場。中央にはお土産物や雑貨の店が集まっている。どこを歩いてもベトナムの匂いが満ち満ちて、長い時間留まるのは息苦しく、しんどい。

◆ベンタン市場

 6時半から50分間、ベトナム北部に古くから伝わる伝統芸能、水上人形劇を鑑賞。水面を舞台に魚釣りや田植え、ボートレースといった生活に根差した小話や民話が3~5分のスパンで次々に展開される。民族音楽の演奏と奏者の掛け声に合わせて演目は進むため、言葉は分からずとも見応えは十分。コミカルな人形の動きを見ていると50分はあっという間に過ぎる。殊に6体の仙女が舞うクライマックスシーンは素晴らしい。

 それでも入場が遅かったため席が後方で、人と人の間からの観劇となる。さらに、手を上げてビデオ撮影する欧米系の女性が長い時間視野を遮り、十分には楽しめなかった。

◆水上人形劇(スライドショー4枚)

 お別れのディナーは、ベトナム風フレンチ。かぼちゃのスープやメインの鱸が実に美味しく、白ワインとともに楽しむ。腹の具合も気にならなくなっていた。

 深夜の0時過ぎ、帰国便が離陸。和歌山県の高校の修学旅行の一団と一緒になる。朝7時前関空に着陸。旅の半ばに腹を壊したこともあり、美食の旅としての満足度は低かったが、ベトナムの文化、風土や風俗、歴史の一端に触れることが出来て満足のいく旅だった。

 目覚ましい発展を続けるベトナムだが、社会の経済格差は大きい。イギリスに密航しようとしたベトナムの若者たち多数が、冷凍コンテナ車の中で命を落としたニュースには胸が痛む。

 - 完 - 

 

 

 

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