フィリピン再訪記 VOL.1

      2019/05/01

◆旧日本軍とアメリカ軍激戦の地/ルソン島・リンガエン湾の今

 

今ひとたびのフィリピンへ

 私達夫婦は1月10日から29日までフィリピンのルソン島北部を訪ねました。約10年前にボランティアで滞在して以来のことなので「再訪記」と名付けました。何か少しでも読んで良かったと感じていただければと思い書いてみます。二人とも「もう一度行ってみたい。」という願望があったのですが、仕事を辞めた一昨年に互いの口から出始め、昨年気持が固まりました。そして、乾季のこの時期に行くことにしました。

 「ボランティアの時の人達に会いたい。」という目的ですが、今回は固く考えずに「観光もし、ご馳走も食べよう。」という気持で計画し、そのとおりに出来ました。アラミノスでボランテイアの時に住んだアパートの1室を借りて、そこからスワル・ダグパンの人達を訪ねて、滞在半ばの時に4泊5日でバギオ・ビガンに行きました。

 今回のことでは、色々と「世のご縁の有難さ」を感じて感謝の思いで一杯です。それは追々書きますが、私達は「元気なうちに(つまり今度が最後)」という気持だったのですが、今は「3年~5年後にまた行きたい。」と思っています。あちらで過ごしている時から徐々にそのような気持になったのです。

会いたい人たちの消息が判明

 具体的な準備は昨年夏からで、あちらでの居住・通信連絡・衛生面などを考えて情報収集から始めました。頼みの綱はボランテイアの時の派遣団体NISVAでしたが、3年ほど前に解散し活動していませんでした。困った私は、ボランティアの時に知り合ったNPO法人の日本人青年I君を思い出し、その法人を調べて、I君が現在は日本の事務局職員であることが分かりました。

 早速問い合わせたところ、「当人は最近(そこを)辞めて、(その法人の事業に繋がる)恵まれない子供達の自立支援事業立ち上げを志してダグパンに行っている。」との知らせをいただき、I君あての私のメールも転送していただきました。すぐにI君から親切な返信がありました。何回か送受を繰り返すうちに、私達が会いたい人達の近況も分かり、移動やその他諸々の心配事の対処も分かりました。私達は不安もなくなり、とても嬉しい気分で準備を進めることが出来ました。 

 準備の諸々は横に置いて渡航の話を進めます。

◆フィリピンで待つ洋裁の生徒さん達(写真は2010.2.5のもの スワルの縫製教室前でのお別れ)

厳寒の日本から乾季のフィリピンへ

 出発の1月10日は晴れて寒い朝でした。羽田9:35発のANA便でしたから、7:00頃までに着くように4:30頃起きて5:30過ぎに自宅を発ちました。フィリピン航空を使いたいという気持がありましたが、羽田での往復なのでこの便にしました。

 私の服装は、(上)半袖下着2枚に長袖Yシャツと(下)夏ズボン下にコットンパンツ、それにインナー付けずの半コートでした。妻も大体同じようなものでした。あちらでは半袖のシャツ・半ズボン・ゴム草履で過ごすつもりなので、あまり余分な物を携行したくなかったのです。緊張感もありましたが、それほど寒いとは感じずに空港に着きました。

◆羽田空港国際線搭乗口で待つ範弘と妻和子 朝食のおにぎりを食べて「フィリピンに行くぞ。」

 搭乗手続き・出国審査を終え、持参のおにぎりを食べたりしてゆっくり待ちました。財布には当座使用のためにマニラ空港で両替する2万円だけを残し、日本円(札・硬貨)は別にしました。I君の助言で、フィリピンで両替する方が得だということを知っていました。あちらで何回か両替し、1万円で約4,700フィリピンペソを貰えました。羽田や横浜では約4,000ペソになる表示でした。

 先立つものの話を書きましたが、機内食を美味しくいただいて映画を1つ見たら、早やマニラ近くに来ていました。今回はっきりと体感したのですが、フィリピンは本当に近いのです。前回の体験では、大体沖縄までの2倍くらいだなと感じていましたが、1倍半と言った方がよいかと思います。

◆ルソン島北部地図:リンガエン湾・パンガシナン州周辺スワルはアラミノスとダグパンの間(リンガエン湾南西端)

マニラに降り立つ

 飛行機は予定より少し早い13:15頃(現地時間)にマニラ空港に着き、第3ターミナルに降り立ちました。入国審査等を終えターミナル1階で2万円(約9,400ペソ)を両替しました。すぐ表のクーポンタクシー乗り場に行き、話し掛けて来た人に目的地を言いましたが納得いく料金ではありませんでした。断ってI君のメールに写真があった「行き先・料金掲示板」を捜して移動し、そこで聞きましたらOKでした。 

 40歳代と思われる女性運転手のタクシーに乗り、アラミノス行きバスが出る「パサイファイブスターバスターミナル」に向かいました。明るい愉快な人で、接触しそうな渋滞の中を上手にすり抜けて早く着きました。330ペソでしたが400ペソ差し上げました。15:00発のボリナオ(アラミノスの先)行きがありましたので、直ぐ乗車して間もなく発車しました。とてもスムーズに動けました。

◆空港のクーポンタクシー乗り場にある「行き先・料金掲示板」

Wi-Fiが普及――フィリピンの通信事情

 いよいよ6時間のバス旅ですが、先ずはマニラの中を北に向け進みます。私達はマニラを殆ど知りませんが、バスから見渡すと様々な景色が目に入ります。高層ビルもあれば雑然とした店舗や人の動きがあります。 

◆パサイファイブスターバスターミナルでこれから乗る2099番のバスの前に立つ和子「アラミノスに行くぞ。」
パサイは空港近くの地名、ファイブスターはバス会社名

 前回、私達は(ボランティア先の)スワル市の救急車の中から隠れて覗いた大きな市場街には異様な活気と恐さも感じたことを覚えています。「マニラだけは(フィリピンの名誉のため)フィリピンと思わないで欲しい。」と聞かされたことがありました。ですから、空港ターミナル内からアラミノス行きのバスに乗れるまでが少し心配だったのです。バスに乗ってひと息ついたので、ようやくフィリピンに来たなという気分になれました。

◆写真左:バスから眺めたマニラ中心部の景色  右:バス内のエアコンの吹き出し口は窓のカーテンで塞がれています(その理由は後述)。前方頭上の紙にはWi-FiのIDとPASSWORDが記されています。

 マニラの市中を抜ける辺りで高速道路に入り一路北へ向かいます。一面の平野部を走りますが、ここにあった基地から昭和19年10月のレイテ沖海戦で初めて海軍の特別攻撃隊が飛び立ちました。ここではいつも無言で祈りました。 

 さて、車内で家族やI君に連絡する予定でしたが、Wi-Fiの表示があったので繋ぎました。LINEで家族と連絡し、ダグパンのI君には電話で様子を知らせました。今回のため、2人のガラケーのうち妻の分をスマホに替えました。フィリピン内では通信費を抑えるためデータ通信を遮断して電話・SMSだけにしましたが、日本とは通じにくいことがありました。
Wi-Fiはホテルと町中のカフェなどで使えましたので専らこれで連絡しました。幹線路線を走るバスでは半分くらいがWi-Fiを備えていました。

 サンフェルナンドを過ぎ半分近く進むうちに日が暮れてきました。大きな休憩場所に2回寄ったのでトイレに行きましたが、有料トイレ(多くが10ペソ)が整備されています。バギオ・ビガン行きの時も同じでした。ただ一度「シニア専用」に案内され無料のことがありました。今回興味深く思った「シニア割」については別に書きます。 

 という次第で、後はただ座って着くのを待つばかりです。始発のパサイから乗っている人は少なくなりました。ターラックを過ぎた辺からは各停という感じで、乗り降りも多くなります。車内で食べるお菓子などを売る人が乗って来たりします。興味を覚えるバスでの事々も別に書きます。 

◆暗い中で通り過ぎた懐かしいスワルの町中(写真は2009.8.10のもの) この近くに縫製教室がありました。

「ん?」 ちょっと不思議なエアコンバス

 ここでフィリピンのエアコンバスについて書きます。幹線路線の殆どのバスと地方都市を結ぶ乗り合いバスの一部が冷房車です。冷房なしと比べて運賃は当然高く、車体も上等で早く着きます。興味深いことは必要がなくても冷房を止めないことです。寒くてもそのままです。「高い料金を貰っているから。」というのか「冷房してなかったらエアコンバスとは言えない。」と考えるのだろうかと思います。明確な答えを聞いたことはありませんが、合点承知のあちらの人達は、長袖の温かいものや外被を着たり帽子を被って乗って来ます。窓のカーテンでエアコンの吹き出し口を塞いだり工夫します。私は朝からのまま(コートはなし。)で少し我慢しましたが、妻の方は用意周到でした。

思い出深いアラミノスの町に到着

 時刻も進んで20時頃になりましたので、そろそろ近くなってきたなと思って暗い外を眺めていましたら、スワルらしい町中の景色に気付き、目を凝らして「あっ、スワルだ。」と二人で呟いて懐かしがる間に、バスは町を通り過ぎてしまいました。後は少し坂を登り終わるとアラミノスへ一直線です。パサイを出てから丁度6時間後の21時過ぎに思い出深いアラミノスの町に着き、予約していたバスターミナル近くのホテルに1泊しました。

◆6時間のバス旅を終え降り立ったアラミノスの町中 「マクドナルドが見えた。」

◆思い出のアラミノス(写真は2009.12.18 クリスマス時期のもの)

 1回目はこれで区切ります。2回目からも滞在の経過に従って書きたいと思いますが、感じたことなどをまとめながら書ければと思っています。

 

 

 

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