バルト海クルーズと神秘の北欧4ヶ国の旅①デンマーク

      2023/07/29

【プリントされたアナログ写真を、デジカメで撮影したデジタル写真を使用しており、編集部で可能な限りの補正はしましたが、画質が通常よりも劣ることをご容赦ください。】

 
 

 

白夜の北欧観光はロンドン経由で

 22年前、夏季休暇に妻と行く旅行先として選んだのは、憧れの北欧4ヶ国。9回目の海外の旅となる。2000年8月26日、お盆の大混雑は解消していたが、それでも関西空港はたくさんの人、人、人。受付のカウンターも荷物の預け入れにも長~い長い列が続いている。
 添乗員によると北欧の国々も安全ではなくなっている。バッグなど盗られそうになったらそのまま渡しなさい。命が一番大事だからと脅され、2番目に大事なパスポートは肌身離さず持っているようにと念を押される。日本人のパスポートは人気が高く5~60万円で取引されているという。
 北欧の観光シーズンは白夜の季節、6~8月中旬。好天に恵まれることが多く、樹々の緑や湖の水面が輝きを増し、最も美しい景観が堪能できる。旅は41人の大きな団体。すべて我々世代かそれ以上で、若い人はいない。ベテランでも添乗員1人では大変だろうと同情する。

 12時20分、期待を胸に全日空機が離陸。ロンドンまで12時間のフライト。白ワイン(187ml)2ボトルと美味しい機内食に満足。ロシアのハバロフスク北方を飛ぶ頃には映画にも飽きて、うとうと。2回目の食事に3本目のワイン。バルト海の上空では、日露戦争時のバルチック艦隊に思いをはせる。遥々日本海にまでよく来たものと…。ビデオとカメラの日付を現地時間に合わせる。午後4時13分、雨に煙るロンドンのヒースロー空港着。
気温18℃。

 ロンドンは家族旅行で初めて踏んだヨーロッパの地。10年振りになるか。相変わらずの古い街並み。日本と同じ左側通行の車を見ると何故かほっとする。乗り継ぎ地なので、免税店を覗くくらいしかすることがない。妻は、早速ご近所や友人への土産に紅茶を買っている。シリングでお釣りがくる。これから先遣えるところがないのでスナック菓子を買う。
 たくさんの人が行き交うなか搭乗ゲートに向かっていると、前年6月のスイス旅行の際の添乗員と出会い驚く。団体を引き連れ忙しそうにしていたので、声はかけられなかったが。
 日本時間夜中の3時近く。機中でほとんど眠れなかったので、とにかく眠くてしかたがない。

紙のような真っ平の島々のデンマークへ

 午後6時36分、スカンジナビア航空でロンドンを離陸。妻とはかなり離れた席。雨があがり家々の屋根、イギリスの景色がくっきり見える。目的地のデンマークとは時差があり、再びビデオとカメラの時間を調整し、1時間進める。コペンハーゲンまで1時間50分の飛行だが、また食事が出た。全日空に比べかなり不味い。さすがに白ワインは飲み切れずに残してしまった。

 北欧も夜8時半になると暗い。下界の島々が青く霞んで見える。明るければさぞ美しい景色が楽しめただろう。デンマーク領に入ったようだ。紙のように真っ平な島々はきれいに区画されている。畑だろうか?
 デンマークは、緩やかな弧を描くユラン(ユトラント)半島と450の島々からなる小さな国。九州+山口県の広さの国土に500万人の人々が暮らす。
 そのうちシェラン島は最大の島。首都コペンハーゲンがあり、フレデンスボーなどには王家の歴史を彩った壮麗な古城が建つ。北の海岸線は北欧のリビエラと呼ばれる美しい別荘地になっている。
 8時56分コペンハーゲン着陸。商人の港として発展した町だが、面積は思いのほか狭い。空港で両替。5,000円が350デンマーク・クローネ。1クローネが14円強。
 9時35分バスで空港を出発。5分ほどでホテルに到着。24時間寝ていないので、頭の芯がぼんやりしている。10時過ぎやっと部屋に入る。広々としたいい部屋で、シャワーを浴び、ベッドに入るとすぐ眠りに落ちる。

コペンハーゲン郊外での冷やりとした心穏やかな朝

 旅の2日目。8月27日。ぐっすり眠ったと思ったが、1時間ほどで目が覚めてしまった。それからもほぼ1時間おきに目が覚める。頭の芯が眠れていない。4時半頃からは眠れず。毛布を掛けないと寒い。5時半起床。朝焼けが美しい。窓からは180度の眺望が広がり、中空には消えてなくなりそうな細~い下弦の月が浮かんでいる。母や娘たちに安着の電話をする。すぐ近くで話しているように聞こえる。

左) コペンハーゲン郊外の日曜の朝、上着がないと冷やりする
右) コペンハーゲン郊外、手に持っているのは落ちていた洋ナシの実

 7時、レストランでブッフェの朝食。全体的に塩味が強いが、パンも果物も豊富でまずまず。外に出てみると、地元の人たちはセーターやカーディガンを着ている。夏物では冷やりして寒い。日本の秋の冷気といった感じ。近くの住宅街に足を伸ばすと、何か実が落ちている。同行の人が洋ナシだという。あちこちにたくさん落ちている。さらに進むとリンゴが赤く色づいている。犬を散歩させる人、自転車を走らせる人、鶏の鳴き声も聞こえてくる。通りのパン屋からは焼き立てのパンの美味しそうな香りが漂ってくる。何とも心穏やかでのんびりした気分になる。地元の人たちの生活の一端に触れられ、思いがけぬいい散歩になった。ホテルの部屋に戻る。ほっこりした暖かさが嬉しい。まるで深まった秋のような気候。今回もいい旅になりそうな予感がする。

歴史と芸術の街コペンハーゲンの市内観光へ

 私たち夫婦が最後に乗り込んで、バスは9時にホテルを出発。歴史と芸術の町、ロマンと自由が溢れるコペンハーゲンの市内観光へ。7月1日に開通したスウェーデンに通じる長い橋が見える。気温は16~7℃。寒い。9時15分、ニューハウンの船着き場で一時停車し、写真を撮る。

◆ニューハウンの船着き場

 ニューハウンは、運河に沿ってカラフルな木造家屋が建ち並ぶコペンハーゲンを象徴する景観。かつては船乗りたちの居酒屋街として賑わったが、現在では、運河に沿った北側の通りに多彩なショップ、レストランが並んでいる。アンデルセンが愛し、この界隈に3回居を構えた。開放的な街を歩き、運河や港から街を望めば街の魅力が一層深まる。

 9時半人魚姫の像へ。おとぎの国デンマークの象徴として知られる全長80cmの像。アンデルセンの悲しい物語を思い起こさせる。
 1913年彫刻家エドワード・エッセンによって作られた。当時王立劇場で上演されていたバレエ「人魚姫」を観たカールスバーグ・ビール会社の社長が像の制作を思いつく。モデルになったのは王立劇場のプリマドンナ。これが縁で後に彫刻家の夫人になった。像は2度にわたって首を切り落とされ、腕をもぎ取られ、爆破されるなど、度々ご難に遭っている。

◆人魚姫の像

 岩壁のすぐ近くの海の岩の上に据えられ、上から見下ろす形になるので思いのほか小さくみすぼらしい。世界三大ガッカリの一つといわれているが、たくさんの人が集まり、写真を撮っている。

 聖アルバニア教会の近くにシェラン島の由来を物語るゲフィオンの泉がある。ゲフィオンの像は、コペンハーゲン港の入口を守る目的で、1662年に作られた。豪快に噴出する水しぶきの中、4頭の雄牛とそれを御する女神は迫力満点。

◆ゲフィオンの泉

 泉に隣接する星型のカステレット要塞は、コペンハーゲンを守るために1662~65年にかけて造られ、跡地が緑の美しい公園になっている。敷地内には1704年建築の教会や風車がある。

左) カステレット要塞跡にある教会、右) カステレット周辺

 次にアマリエンボー宮殿へ。9時55分着。18世紀末宮殿だったクリスチャンスボー城が焼失したため、4人の貴族のマンションを宮殿にしたもの。熊の毛皮の帽子を被った衛兵が立っていなければ宮殿とは思えない質素な建物。4つの建物の1つは博物館になっている。宮殿の屋根に国旗が翻っていたら女王在宮。
 10時、衛兵の交替式を観る。長らくフランスに行っていた女王が昨夜戻ったとのことで、国旗がはためいている。
 アマリエンボー宮殿の西にフレデリクス教会がある。高価なノルウェー産大理石をふんだんに使用したため費用がかかり、建築が中断。1世紀の時を経て1894年に完成した。ロマネスク・バロック様式の教会。

左) アマリエンボー宮殿とフレデリック5世像、中) 女王在宮を示す旗が翻っている、
右) 後方の緑のドームはフレデリックス教会

左) 衛兵の交替式、右) 衛兵は5m以内に近づくと怒る

 10時22分出発。街並みの家々は高さも色も統一され、美しい。

 バスはいつの間にか高速道路に入っている。無料。山が全くない。冷夏が続いているが、今日は珍しくいい天気で、日中は22~3℃まで上がるという。好天に誘われてサイクリングや日光浴を楽しむ人がたくさん。昨日からの好天でライ麦の刈り入れができたと農家の人は皆喜んでいるという。豊かな森が続いている。バスの中では疲れて?寝ている人が多い。

 コペンハーゲンの北西35kmにあるヒレロズの町の、フレデリクスボー城へ。ルネサンス様式の城は1859年火災で焼失。民主憲法のもと経済力を失っていた王室に代わり、ビール会社の手で再建され、国立博物館になっている。デンマークの歴史を物語る装飾品、絵画、宝物などが展示されている。城を囲む湖の対岸にはフランス庭園を見習ったバロック庭園がある。緑や湖と調和した城の眺めが美しい。風が強く喉が渇く。歩き回ると少し暑い。

スライドショー:フレデリクスボー城(横:5枚、縦:2枚)

 20分ほど走って、王室御用達の古い茅葺屋根のレストラン「BRECNEROD KRO」へ。デンマーク語の発音は難しく、一度聞いただけではさっぱり分からない。12時10分着。ビデオと写真を撮っていたら隣り合わせの席がなくなり、妻と離れ離れに。一人旅の人や奇数人数のグループが混じっていて、テーブルの数も奇数とあってこうなってしまう。隣り合って座る添乗員とガイドが気を利かせてくれてもよさそうなものだが、気づかぬふう。

左) 王室御用達の茅葺屋根のレストラン「BRECNEROD KRO」、
右) 遅れて行くと夫婦、席がバラバラになる

 黒パンにニシンの酢漬けが思わぬ美味しさ。ポテトサラダがまた美味しい。Cerlsberg Pilsner ビール小瓶が26クローネ(370円)。日本ではすっかり見なくなったハエがいた。小さくて不潔さは感じない。

 1時14分出発。40分で北シェラン島の港町ヘルシンオアへ。コペンハーゲンの北44km。シェイクスピアの「ハムレット」の舞台になったクロンボー城がある。
 町はオーレスン海峡の最狭部にあり、対岸のスウェーデンの町ヘルシンボリとの間は僅か5km。

 クロンボー城は15世紀、通行税徴収のために造られ、火災や戦争での破壊を経て1924年に現在の姿に改修された。ほぼ四角型の城で、北棟は王の住居、西棟は王妃の住居となっており、デンマーク・ルネサンス様式。東棟は王族の部屋や厨房、南棟は教会。地下には兵舎や牢がある。

◆クロンボー城

 北棟入口の向かいの壁にシェイクスピアの胸像のレリーフがある。
 2時前に着いて、城内を見学。海の見えるテラスに出る。フェリー乗り場で栄えたが、橋ができて寂れる。人口5万人の町。対岸もかつてはデンマーク領だった。ノルウェー、南スウェーデン、北ドイツとかなり広い領土を持つ強国だったという。

左)シェイクスピアの像、中) 海の向こう側はスウェーデン、
右) 対岸のスウェーデンの町ヘルシンボリまでは5km

 3時12分出発。うとうとするうちコペンハーゲン市内に戻る。4時免税店へ。若返りの栄養剤(エミディーン)がかなり安くなっていて、つい買ってしまう。
 ロイヤルコペンハーゲンの本店へ。1994年のイヤープレートを買う。360クローネ(5,140円)。日本で買うと1万円する。もっと見て回りたかったが、時間がなくなり諦める。出発時間になっても1組の夫婦が戻って来ず、添乗員を残してバスが出る。

 5時、チボリ公園へ。1843年に開園した現代の遊園地の原型ともいえる公園。ウオルト・ディズニーも参考にしたといわれる。幅広い遊びの施設が揃った公園は、18世紀のヨーロッパの諸都市で流行していた。娯楽施設のほとんどなかったコペンハーゲンに、市民が楽しめる施設として造られた。様々な乗り物のほかコンサートホールなどのエンターテインメント施設やたくさんのレストランがある。

左) チボリ公園前、右) チボリ公園内

 大人にも素晴らしい公園とのことだが、今では日本のどこにでもあるような遊園地。王子、王女のパレードも小さな子供向けで、期待外れ。少し歩いて、ベンチに座って時間つぶし。喉が渇いて、ホテルの部屋から持って来た桃を食べる。公園の1時間のフリータイムを、ロイヤルコペンハーゲン本店前の広場や運河沿いの雰囲気ある街の散策に使いたかった。

 チボリ公園の北側にコペンハーゲンの中心である市庁舎前広場がある。多くの観光スポットは市庁舎から北東に広がるストロイエを中心に約2km四方の範囲に点在している。市庁舎は、中世デンマーク様式と北イタリアのルネサンス様式を取り入れた堂々たる建物で、1905年完成。市庁舎脇を通るアンデルセン通り沿いに、チボリ公園を見上げるアンデルセンの銅像がある。

 

◆市庁舎

 市庁舎から東に500mほどの所にコペンハーゲン発祥の地クリスチャンスボー城(宮殿)がある。1167年砂州の上に造られた当時は小さな砦だったが、現在の城は運河が巡る重厚なネオバロック様式の建物として1928年に完成した。かつては王宮として使用されていたが、現在は国会議事堂や女王の謁見の間として利用されている。市内一の高さ(106m)を誇る塔がある。

 

◆クリスチャンスボー城(宮殿) 

 6時半、公園内にある夕食のレストランへ。既に大半の人が来ていて、また危うく隣り合った席がなくなるところだった。小エビとカニのサラダ、メインはローストビーフ。冷たいビールが何とも美味しい。500mlと250mlの2本で73クローネ(1,040円)。デザートはアイスクリーム。イルミネーション・ディナーの触れこみだが、周辺が明るすぎて効果がない。8時50分ホテル帰着。一日歩き回ってかなり疲れた。

- バルト海クルーズと神秘の北欧4ヶ国の旅②へ続く -

 

 

 

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