シアトルうた紀行(黒川勝利)・寿禄短歌の会(special edition)new

   

ウォーターフロント寸景

おそらく最後のシアトル旅行

 目を通したい資料があって15年ぶりにシアトルを訪問した。かつては仕事で毎年のように訪れていたシアトルだが、15年の時の流れは街を変え、何より私自身が変わり、しみじみと想うことの多い旅であった。

 シアトルには既に10回以上訪れているが、すべて海外航空会社の格安エコノミーチケットを利用した。しかし今回は、狭いエコノミー席の9時間の飛行による足の痛みが不安で、初めて日本航空のプレミアム・エコノミーを利用した。
 これは正解だった。おかげでかなり自由に足を伸ばし、労ることができた。ラウンジその他の利用も快適だった。

 一時は毎年のように訪れていたシアトルで、ホテルは仕事の都合上いつもワシントン大学近辺の「ユニヴァーシティ・ディストリクト」だった。今回も同じだ。しかし15年ぶりとあって、かつてよく通っていた食堂やコインランドリーの多くが閉店、知らない新しい店が客を集めていた。
 それにしても、この地区に坂が多いことに改めて驚いた。この15年間に坂もかなり増えて…などということがあるはずがない。おそらく、かつての自分は若く健康で、この程度の坂は苦にはならず、したがって記憶に残らなかったのであろう。現在の私にはとにかくしんどかった。

 旅後半の4日間を過ごしたカレッジインにはエレベーターがなかった。入り口のコーナーでまごまごしていると、4階のフロントから黒人女性が降りてきた。エレベーターの有無を問うと、私と妻の荷物を軽々と持ち上げて階段を上り、2階の我々の部屋まで運んでくれた。

 この人は本当に親切だった。最後の日も、老人二人で気の毒と思ったのだろう、非番だったのに出てきて荷物もタクシー乗り場まで運んでくれた。感謝してチップをはずみ、同時に不要になった「ORCAカード」(日本のスイカやイコカのようなもの、20ドル程度残っていたと思う)をプレゼントすると喜んでくれた。

 こうして私の最後のシアトル旅行は終わった。今の私の体力ではほぼ間違いなく最後のアメリカ旅行でもあり、おそらく最後の海外旅行だろう。最後の日が曇天で、シータックエアポートからのレーニア山(高さは4392メートル)の写真を撮ることができなかったことが残念だった。かつてこの地に移住した日本人移民に「タコマ富士」と呼ばれていたこの山は、シアトルからも良く見えるが、私の腕とカメラではぼやけていつもうまくいかないのだ。

 

写真上:ダウンタウンの西端からウォーターフロントを望む。撮影場所とウォーターフロントにはかなり海抜差があったが、近くのビルの中のエレベーターでウォーターフロントまで一気に降りることができた。
 

写真上2枚:ウォーターフロント寸景。右の写真に映っている船は、シアトルとアラスカとを結んでいるらしい。
 

写真上:シアトル名所のスペースニードル(高さ184mのシアトルのランドマークタワー、ガラス張りの展望台からは360度の大パノラマを展望できる)とレーニア山。レーニア山は右側に微かに写っているのだが、よほど目をこらさないと気がつかないだろう。

写真上左:ワシントン大学スザロ図書館前広場から見たレーニア山。レーニア山は、シアトルの南東約100kmに位置する、カスケード山脈の最高峰。先住民には「タホマ」(水の源)と呼ばれ、またこの地に暮らす日本人・日系人からは「タコマ富士」と呼ばれてきた。 肉眼ではかなりはっきり見えたのだが、写真ではやはりぼけている。写真右上:幼児Sealthを抱く母 Sholeestaの像。Sealthは白人入植以前にこの地に住んでいたネイティヴ・アメリカンの酋長で、Seattleという市名は彼に因んでいる。写真右下:観光客で賑わうパイクプレイス市場の魚屋さん。

 

 

 

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