オランダ点描⑧ マーストリヒト・ミデルブルク・ブレダ・ティルブルク

      2020/05/17

 

 

 

 

  【マーストリヒト】

 

孫たちとオランダ最古の都市・マーストリヒトへ

 オランダの南東端にあるマーストリヒトを訪れたのは、2009年12月9日。娘一家が住む南部のティルブルクから132km。娘が運転するフォルクスワーゲンで12時過ぎに出発。途中高速道路で道を間違えたが、妻と孫2人を加えた5人、小雨降るマーストリヒト市内に入ったのは1時50分。

 オランダは平らな土地が多いが、マーストリヒトは丘陵に囲まれ、街全体が中世の面影を色濃く残している。街に入った途端、こ洒落たパリのような落ち着いた雰囲気の家並みに、目を奪われる。道はかなり渋滞していた。中心部の地下駐車場の有料トイレには小便器がなく、中国式で驚く。

 マーストリヒトは紀元前50年、ローマ軍が「マースの渡し場」と呼ぶ居留地を築いたことから始まる。3世紀には要塞が強化され、4世紀には聖セルファーティウスが司教本部をここに移した。聖セルファース教会と聖セルファース橋の由来である。東をドイツ、西と南をベルギーに接する人口12万人のリンブルク州の州都。1992年、EC加盟国によりマーストリヒト条約(欧州連合条約)が調印された舞台として知られる。地理的特異性から 1795年のフランス侵攻、次いでベルギー、オランダと20回以上も他国に占領された。隣国との親密な通商や人々の交流から各国の文化を吸収し、どこかオランダ離れしたところがある国際都市。料理も洗練され、フランスの味に近い。地ビールも美味しい。

クリスマスマーケットの美味しい誘惑

 フライトホフ広場にはクリスマスマーケットの屋台が並び、頭上には巨大な観覧車が回る。

◆フライトホフ広場のクリスマスマーケット

 聖ヤンス教会の高さ70mの赤い塔と聖セルファース教会の塔がすぐ近くに見える。

◆聖ヤンス教会

◆左・聖ヤンス教会の赤い塔、右・聖セルファース教会

 香しい匂いに誘われて屋台のワッフルを買う。1.7ユーロ(230円)。孫が選んだチョコレートを塗ったものは2ユーロ(270円)。コーヒーやココアは売り切れていた。2009年のクリスマス記念マグカップも2ユーロ。

◆屋台でワッフルを買う。

聖セルファース教会から市庁舎へ

 小雨のなか、2つの教会の周りを巡り、聖セルファース教会へ。1000年頃にロマネスク様式で建立され、ゴシック様式で改築が進められたオランダで最も古い教会の一つ。2本の四角い塔は、12世紀末に改築した際に付け加えられた。山の門と呼ばれる13世紀の門があり、写実的な彫像が取り囲んでいる。

(聖セルファース教会と内部 スライドショー:6枚)

 後、マルクト広場の中央にある1664年に完成した市庁舎へ。塔には49の鐘をもつカリヨンがあり、現在も毎日12時に妙なる音色を響かせている。

◆市庁舎

 マルクト広場では屋台が一列に並んでいたが、クリスマスマーケットはなかった。ウィルヘルミナ橋を途中まで渡って街を眺める。クルーズ船の発着場には明かりを灯した船が何隻も停泊している。マース川に架かる聖セルファース橋のたもとまで歩いて5時となる。 1280年から98年に建造されたオランダで最も古い橋の一つ。

◆左:ウィルヘルミナ橋から見るマーストリヒトの街、右:聖セルファース橋

◆マース川クルーズ船

見どころ一杯のマーストリヒト市内

(マーストリヒト市内 スライドショー:5枚)

 フライトホフ広場に戻り、マクドナルドでアップルパイとフライドポテト、コーヒーの軽食をとる。駐車時間が3時間半を少し超えて、8.2ユーロ(1090円)。

◆フライトホフ広場のクリスマスマーケット

 

 

  【ミデルブルク】

 

東インド会社・第2の貿易港として栄えたミデルブルク

 2009年12月15日、オランダに来て以来3週間近くになるが、初めての快晴。冷え込みが厳しく氷点下8℃。昨日一部凍っていた家の裏の運河や池は全面凍結している。氷結した車のフロントグラスなどの氷を削り、娘に駅まで送ってもらう。体調を崩した妻を家に残しての一人旅。最寄りの無人駅ティルブルク・レーソフを出発したのは9時半。途中ブレダとローゼンタールでIC(急行)に乗り換える。大平原に点在する町や村、凍った草地に点々と草を食む羊を眺めていると飽きることはない。遠くに北海が見える。1時間40分でミデルブルク着。

◆ミデルブルク駅表示

 ミデルブルクは、オランダ南西部のデルタ地帯ゼーランド州の州都。人口5万人。星型の濠に囲まれた城塞都市で、屋根がオレンジ色の美しい家並が連なる。ゼーランド(Zeeland)はSea land(海の土地)の意味で、この地方は根元が細く先の太い半島になっており、オランダでも特に水との闘いが厳しい所。ニュージーランドはこのゼーランドに因んで名づけられた。古くはジャワへの商船の基地となった所で、アムステルダムに次ぐ東インド会社の第2の貿易港でもあった。下着のシャツを2枚重ね着し、毛糸の帽子と手袋を纏っても寒い。10分と屋外にいられない。耐えられずに屋内に入り、暖をとる。

◈大修道院

 12世紀に起源をもつ大修道院。高さ91mの美しい塔はミデルブルクのシンボルともいわれている。14世紀に建てられたが度々焼失し、1940年に焼失したのち再建された。

◆大修道院

◈市庁舎

 市庁舎は、15世紀の美麗なゴシック建築。建物正面は、ゼーランド地方を治めた25人の伯爵とその夫人の像で飾られている。

◆市庁舎

◈クローヴァニアスドゥーレン

 クローヴァニアスドゥーレンは、17世紀初めに建てられ、兵士の組合の集会場に使われた。愛らしいフランドル風のルネサンス様式の建物で、18世紀後半から19世紀後半まではミデルブルク医学校が置かれた。

◆クローヴァニアスドゥーレン

 ゼーランド博物館などの建物も見て、街を取り巻く星型の運河や風車を巡る。1時間半もあれば見終えてしまう狭い街。

(ミデルブルク市街 スライドショー:5枚)

◆左:ミデルブルクを取り巻く星型の濠、右:堀に面した風車

 駅のカフェで暖かいコーヒーを飲んで人心地つき、帰途につく。

 

 

  【ブレダ】

 

オランダ王家ゆかりの地・ブレダへ

 南部の北ブラバンド州にあるブレダは、娘一家の住むティルブルクの隣町。電車で15~6分。古くから通商の要所として栄えた。ベルギーに近く街並みも洗練されている。17世紀からビールの町としても名高く、ハイネケンと並ぶオランダの2大メーカー、インベブ社の本社がある。

 2009年5月21日午後、ブレダの街は年に1度のジャズフェスティバルで賑わっていた。娘一家と、休暇で日本から訪れていた下の娘、妻と7人、駅前から広い公園を抜け、ブレダ城の脇を通って、街の中心部にある聖母教会近くのフェスティバル会場に向かう。

 聖母教会は、15世紀から16世紀にかけて建てられたブラバンド・ゴシック様式のプロテスタント教会。高さ97mの塔には、49個のベルを持つカリヨンがあり、ひときわ優雅な姿を見せている。

◆左:ブレダ城、右:聖母教会の内部

ブレダのジャズフェスティバル

◆ジャズフェスティバル

 日本で5人しかいないジャズクラリネット奏者の1人、花岡詠二氏がいるテントへ。昨年も出演した花岡夫妻は、趣味でクラリネットを吹く義理の息子を覚えていて、娘夫婦と話し込んでいる。2時半演奏会が始まる。舞台には6人。ドラマーはニューヨーク在住という。3時10分まで一番前の席で楽しむ。昼食は、ハンバーグを立食。

◆左上:花岡詠二氏、左下:花岡詠二氏と写真におさまる娘一家、右:ジャズ演奏を聴く孫たち

◆地元テレビ局のインタビューを受ける妻と孫たち

聖母教会の塔に登る

 聖母教会には塔に登るツァーがあり、下の娘と参加する。登りたがっていた7歳の孫は、年齢制限で12歳以上と聞き断念。300段の螺旋階段を登る。素晴らしい眺めが広がっている。会場周辺は人で溢れ、娘たちと待ち合わせたカフェに行くのに、人をかき分け、かき分け一苦労。

◆左:聖母教会の鐘楼から見るブレダの街、右:ジャズフェスティバルに集う人たちで埋まる聖母教会

 ブレダには、春や夏、冬に度々訪れた。今は軍事学校として使われているブレダ城や、オランダで完全な形で残っているのはアムステルダムとここの2ヶ所しかないベギン会修道院などを巡る。運河沿いのカフェやクリスマスの商店街、街角の風景が印象に残る。

◆ベギン会修道院

 

 

  【ティルブルク】

 

ティルブルク大学研究留学で娘一家が2年間滞在

 南部の北ブラバンド州にあるオランダ第6位の人口を擁する街。アムステルダム中央駅から1時間半の所にあり、神奈川県の南足柄市の姉妹都市でもある。ベルギーとの国境が近く、娘はママ友たちとファッション関係の買い物には、車で気軽にアントワープまで出かけて行く。

 文科省の特別研究員としてティルブルク大学に研究留学した旦那について、娘と、孫2人は2008年3月から2年間この街に暮らした。近くに日本企業の工場があり、たまたま知り合った社員の紹介で、空いていた社宅に格安で住まわせてもらった。広い庭付きの3階建ての一戸建て。家の前にはウサギが遊ぶ広大な公園の草地が広がり、色々な種類の小鳥が訪れる柔らかな芝生の裏庭の先には、土手に巨木の並木道が通る運河が流れる。パンくずをまけばたくさんの鴨やオシドリが寄って来る。大型の鳥が風を切る羽音を響かせ頭上を飛ぶ。自然に恵まれ、6歳と4ヶ月の二人の孫たちには願ってもない環境。

 少し離れた高級住宅街は、門からは木立に囲まれた家屋が見えないくらい広大な庭。外から見える家屋はちょっとしたお城のよう。

◆左:芝生の庭 庭の先に運河がある、右:庭の落ち葉を掃除する妻

◆左:庭の先の運河と土手の並木道、右:庭の先の運河の鴨に餌やり

◆左:庭で遊ぶ孫と妻、右:庭でバーベキューを楽しむ

(家の近くの公園 スライドショー:4枚)

 現地の小学校には歩いて6~7分。現地に馴染んだ日本人の級友が数人いて、言葉の壁も苦労少なく乗り越えられたようだ。

◆左:家の近くの小学校、右:小学校から出て来た孫 出迎えの父兄でごった返している

日本語補習校では日本人の子供たちが大勢勉強中

 毎週土曜日に開かれる日本語補習校も街の中心部にあり、車で容易に通える。土曜には補習校近くで青空市場が開かれる。野菜や魚介類の生鮮食品が安く、補習校が終わった後によく行った。シーズンにはムール貝をバケツ1杯単位で買い、旬の味を大いに楽しんだ。オランダは花の国、生花が日本の半値以下で売られている。きれいなバラを行く度に求めた。モロッコの人や貧しそうな人をたくさん見かけた。娘もママ友に助けられ、日本では味わえない快適な生活を楽しんでいた。

◆日本語補習校

 下の孫は、2歳の誕生日を迎える前に市から通知が来て、保育園に通いはじめた。すぐにとけ込み親が帰るときも、ニコニコと手を振る。上の孫は日本で幼稚園に行き始めた時は、親が帰ると泣いたものだが……。発熱して病院に行っても、様子を見ましょうと日本のように簡単に薬はくれない。

◆保育園内

一人ひとりの能力に合わせたオランダの授業

 小学校では、日本のようにクラス全員相手の一斉授業ではなく、個々の子供の能力、理解度に合わせた個人単位の授業をする。1年生の孫は算数が進んでいて、高学年レベルの勉強をしていた。親が必要と判断すれば、留年させ理解できるまで学ばせる。留年してもいじめられたり、蔑まれることもない。

 学校には親が必ず送り迎えする。フルタイムで働く社員も、短時間労働の人も同一労働同一賃金で、共働きの人の子供の送迎に配慮された社会の仕組みになっている。オランダの子供たちは世界で一番幸せだと言われている所以である。
 オランダに滞在している間は孫の送り迎えをしたが、冬は8時10分過ぎでもまだ暗く、街灯が点いている中を送り、戻る8時半頃ようやく明るくなってくる。

 街の歴史は定かではない。709年以降の文書にティルブルクの名前が初めて現れるが、その後数世紀の間言及が途絶える。15世紀にティルブルク城が建てられた記録が残り、 1809年ようやく都市権を得ている。豊かな牧草地に恵まれ、その後、家畜の地として成長する。オランダ羊毛の首都と呼ばれるほど羊毛産業が発展し、ティルブルク製の毛織物は広く知られていたが、1960年代に入って衰退する。

 1週間分の食糧をスーパーマーケットで買い込んだりするため、車は欠かせない。日本と違い中古車の価格はほとんど下がらない。ネットの日本人のコミュニティで譲ってもらい、不要になればまたネットで譲り受け人を捜す。娘が買ったフォルクスワーゲンの中古車の頑丈さと能力に驚く。かなり古いが、高速道路を120kmでビュンビュン飛ばしてもびくともしない。オランダ国内各地やベルギーはもちろん、ドイツのケルンやデッユセルドルフ、アーヘンにも出かけた。

 オランダでは、スーパーマーケットでも鉄道の駅でもトイレは有料で、50セント(68円)硬貨を入れないとドアが開かない。外出する時はいつも50セント硬貨をいくつか持っていく。

 

デ・ハール城のクリスマスフェアで聖夜の準備

 2008年冬に訪れたとき、ユトレヒト郊外のデ・ハール城で開かれていたクリスマスフェアに娘一家と車で出かけた。オランダ最大級の城で、1391年の記録に現れている。現在の城は19世紀後半に再建されたもの。白いとんがり帽子のようなテントが並び、様々なクリスマスグッズが売られている。普段は子供は入れない城内に入ると、青空アイススケート場がある。上の孫は初めての氷上の遊びに、興奮している。妻が日本から持参したカイロが役にたった。

◆左:デ・ハール城 右:デ・ハール城のクリスマスフェア、200~240もの露店が並ぶ

 地球温暖化の影響か、運河が凍結することは滅多になくなった。かつては冬になると凍結した運河でスケート遊びが楽しめ、競技会も開かれたという。

親も一緒に楽しむ「こどもクリスマス会」

 オランダ人と結婚し、田舎の村に長く住む日本人の婦人が、毎年クリスマスに近隣に住む日本人の子女を自宅に招いてパーティーを開いている。農家の羊小屋を改装した住居はかなり広い。この日も小学生以下の子供23~4名が招待されていた。孫について2年間参加させてもらった。子供たちのキリスト生誕劇やクイズ、プレゼントの交換、ろうそくの灯りの中でのクリスマスソングの合唱、会食と、付き添いの親もいっしょに楽しんでいた。

(こどもクリスマス会 スライドショー:5枚)

摘みたてのホワイトアスパラガスを買う

 春に訪れた2009年5月19日、高速道路を利用してベルギーのアスパラ農場に買い出しに出かけた。25分で到着。収穫したばかりのホワイトアスパラガスを買い、機械で皮をむいてもらう。

◆アスパラ農場

 近くに広大な砂漠ドゥルーネンセ砂丘国立公園がある。細かいパウダー状の砂が足裏に心地よく、1歳の孫が喜んで歩き回り、松ぼっくりを拾い集めている。地元の父娘がのんびり乗馬を楽しんでいる。昼食に早速ホワイトアスパラガスをいただく。ほんのり甘くて柔らかく、中々の美味。

(ドゥルーネンセ砂丘国立公園 スライドショー:5枚)

◆左:郊外の風車、右:羊小屋を改修した家

 娘一家は2年で帰国したが、企業に勤める人は5年、6年はざらで、現地の高校に進んだ子弟はオランダやヨーロッパに留まって就職する人が多い。日本での就職を考える場合は、子供だけ中学に入る前に帰国する。孫は2年いただけだが、帰国して国語の授業に追いつくのに何年もかかっている。

 - 完 - 

 

 

 

 - コラムの広場