【051】高野山真言宗 遺跡本山 檜尾山 観心寺

      2021/12/31

 

  koya tanaka 田中 功也

【051】

◆観心寺正面

◆金堂

◆建掛塔

観心寺正面と金堂への道:スライドショー(縦3枚、横2枚)

金堂:スライドショー(横6枚、縦1枚)

建掛塔:スライドショー(縦2枚、横2枚)

◆弘法大師礼拝石

◆開山堂

◆正成公御首塚

◆桧尾陵参道

◆桧尾陵参道

◆後村上天皇桧尾陵

◆石仏

◆石仏

◆正成像

◆正成像

 

 

【051】高野山真言宗 遺跡本山 檜尾山 観心寺/
    大阪府河内長野市寺元475

11月の晦日、大阪府南部河内長野市にある観心寺を訪れた。

河内長野市の隣の和泉市の我が家から車で35分(19㎞)。

沿道のあちこちに満開の薄紫の皇帝ダリアが枯野に彩りを添え、花吹雪ならぬ紅葉吹雪が盛んだった。

空海(弘法大師)が高野山を開くための拠点として、大阪と奈良を隔てる金剛山の麓に観心寺を造営した。

高野山ー観心寺ー飛鳥川原寺ー奈良東大寺ー京都東寺のルートである。

平安時代の初期、空海の弟子実恵と真紹が伽藍を造営し、国家安泰と厄除けを祈願する寺として栄えた。

当時造られたのが、密教彫刻の最高傑作として名高い国宝の本尊「如意輪観音菩薩像」。6本腕の如意輪観音菩薩像としては国内最古。像は秘仏で毎年4月17、18日にのみ開帳される。

観心寺は、南朝の忠臣、楠木正成ともゆかりが深い。室町時代初期に建造された金堂(国宝)は、外陣を後醍醐天皇が正成を奉行に命じて完成させたと伝わる。

また、正成が三重塔建立を誓いながら湊川の戦いで討ち死にしたため、1層のみとなった建掛塔(たてかけとう・重文)や正成の首塚、後村上天皇桧尾陵がある。

また、霊宝館には平安時代に造られた重文の観音、菩薩、如来像12体がおさめられている。

観心寺は、南海、近鉄河内長野駅から南海バス「観心寺」下車。

 

 

 

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