【追悼:朋友竹田範弘君の青春】 new

   

 2025-12-27 葬儀場にて  住田章夫

 2025年12月24日早朝、君の細君から携帯に電話があった。「昨日主人が・・・」。突然の訃報だった。
君とは数日前、交信したばかりじゃないか。まず12月12日、抗がん治療中の君に笑いを届けようと、贔屓している桂かい枝の英語落語「ホワイトライオン」のネタを送り、「気分転換に翻訳して一人落語で楽しんでご覧」 とメールしたら、「ピリリと辛い面白さがあって、何度も笑いが込上げてきたよ」 と明るい返事もらったので、ほっと安心した。
そして併せてこうあった。 「身体はピンピンしているので安心してくれ。最近は自分に次の掛け声を掛けているんだ。
《がんも全部が俺の身体、免疫あるし元気もあるし、まだまだ頑張る頑張るぞ、フレー福高フレー福高フレフレフレー》」とね。一体このどこに先に逝ってしまう気配があるんだ。
そして先週12月19日、私が故里、三菱電機和歌山を20年振りに訪ね「営業の心得」講演会をした写真を君に送信したら 「そりゃ良かった。さぞ古巣の皆から喜ばれただろう。おめでとう」の返事。その4日後の別れだよ・・・

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 『この企画、言い出しっぺの竹田です。住田君の「青春と原潜」を読んで熱い思いが湧いて来ましたが、その時、僕は防衛大学校に入り、自衛官の道を目指していました。住田君の手記を読んだ旧友が「あんたは防衛大に行ったけんが、こげなこつ無かったろうばって、俺達はな・・・」と言うのです。確かに僕の場合、学生運動や大学紛争とは無縁。全く蚊帳の外でした。然し、昭和39年卒業生449名の内、わずか4名でしたが、防大進学者の「青春」はどんなものだったか、99.1%の人たちには味わえない世界を見てきたので、暫くお時間拝借しましょう』。
この書き出しで語られた福岡高校同窓会誌「寿禄会生0.9%の青春」には、防大入学から始まって、自衛隊定年まで『「国の守り」を信条として勤め上げ、常に祖国と向き合ってきた「僕の青春時代」』 を君は余すことなく書き連ねた。

 君は1945年(昭和20年)10月27日に生まれ、1910年日露戦争で併合した朝鮮全羅南道に、長崎県壱岐島から君の祖父さんの先導で、一旗揚げんと一家で海を渡り、大地主となって成功したものの僅か35年後の1945年,敗戦ととも立場は逆転。胎内の君を連れて、島に逃げ帰った。君の《防衛意識》はきっとこの逆境に根付いているものと思う。

 私の曽祖父も一旗上げようと、宇和島から黒ダイヤの若松港に出て、“ごんぞう(沖仲士)”を束ねた住田組を起こし、「花と龍」の玉井組と隣組を成した。創設者玉井金五郎の長男玉井勝則(火野葦平)の甥が、福高17回生 アフガンの中村哲君。共に幼馴染の近距離であった。話を戻すと、中支戦線を除隊した私の父は、母方の血縁である軍用船最大手の「川南造船」に転属し、長崎香焼島に移るも、終戦直前の8月9日、米軍軍用機「エノラゲイ」が攻撃目標たる小倉上空の視界が悪かったという理由で、第2目標の三菱などの造船基地であった長崎に目標を変更するという皮肉な運命に遭遇。私は胎内で被曝したが、運良く金毘羅山が防射堤となり、九死に一生を得た。
同じ“島育ち”の身の上で、共に終戦の波に振り回された我々は、何故か気が合った。

 君との思い出話を書いたら、直ぐに10ページ超えそうなので、それは今晩ゆっくりやるとして、先ず君は、先回送った「英語落語」の翻訳をやり給え。時間はたっぷりあるのだから気に入るまで書き直せばいい。何なら時々、石村や国崎を呼んで出来栄えを聞いてみたらどうだ。厳しく指摘されるぞ。その内、私も仲間に入るから。

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■ 『ホワイトライオン』

「与太郎!ここに座れ。いい歳こいて何で働かねえんだ?早く跡継いで楽させてくれ。俺に言い難ければ、叔父さんに話しな」。
「与太郎、よく来た。おめえ一体何がしてえんだ? 何!好きなだけ食って、好きなだけ寝て、時々表でぶらぶらして、小遣い貰えるような仕事?ふざけんじゃねえ。何て奴だ、ほんとに。待てよ、いいのがあるぞ。付いてきな」。
「大将、この前の仕事、まだ空いてますかい?」
「いやいや、みんながみんな、一日も持たねえんで困ってた」
「甥の与太郎ってんですが、宜しく面倒見てやって欲しいんですが。ほら挨拶しねえか」。
「大将さん、ほんとに好きなだけ食って、寝て、ぶらぶらして、小遣い貰えるんですかい?」
「日当千円出すよ。さっ、これに着替えて昼からの出番まで好きなだけ食って、寝て、ぶらぶらしてな」

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この落語は桂文枝門下の「桂かい枝」が2008年、文化庁文化交流使として渡米し、米国33都市で73回、英語で高座を務め大喝采を受け、スタンディングオベーションを浴びたとか。
これは確かに、あちらの寸劇やコントとは味が違う。間をとった 「一人語り芸能 RAKUGO」 の真骨頂だね。
竹田君。ゆっくり味わいながら翻訳に取り組んでご覧。私なら「切り口」はこうするな。
「How dare you (ええ加減にせんかい!), YOTARO !」 。グレタ嬢はきっと噴き出すでしょうよ。

 

 

How dare you, TRUMP !   完。

 

 

 

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