「その時、君は?」【004】1964-1967 楽しかった大学時代
2019/11/07
奇しくも、その後の王子製紙勤務につながった北海道研修旅行。
竹田範弘君発信の当企画に応え、青春時代の思い出を書くように編集部から依頼を受けた。
すでに「王子製紙回顧録」として39年間の記録を投稿しているし、「他には特に書くほどの経験はないから…」と一旦は断ったが、編集部から重ねてニジリニジリと迫られ、その"圧"に負けて、大学3年夏休みの「北海道演習林研修旅行」の思い出を書くことにした。この研修旅行が、その後王子製紙での18年間におよぶ北海道勤務につながっていこうとは、その時は思いもよらないことであった。
1964―1967
その時、君は? 【004】 馬渡 和夫
1964年(昭和39年)3月上旬、国公立大学1期校の試験が始まった。私は九大農学部を受験した。高校時代の成績は、中程度であった。一浪すればなんとか農学部には入れるだろうと考えていた。ところが合格発表を見ると見事現役で合格していた。当時は高校時代の成績などは評価されず、3月の3日間受験成績だけで合否を判定していたので一発勝負で合格した。
3月下旬、箱崎の今は亡き松井義久君から電話があり、同じ箱崎の松井泰彦君と3人で鹿児島、宮崎旅行に行くことになった。3人とも福高から九大農学部に合格していた。
旅行では、韓国岳に登ったり、桜島を見たりして、3日間くらいだったが楽しい思い出ができた。義久君は農芸化学を卒業して福岡市役所勤務となり、定年後お亡くなりになった。泰彦君は林産学科を卒業し、当時の東洋パルプに就職、その後東洋パルプは王子製紙と合併し、奇しくも、苫小牧工場で27年ぶりに、泰彦君はパルプ部長、私は山林部長として再会し、旧交を温めた。
ガタゴト西鉄路面電車に乗って
1964年4月、六本松の教養部に通学することになったが、自宅から西鉄宮地嶽線香椎宮前駅から貝塚まで行って、貝塚から市内電車で六本松へ、その停車駅を列記すると、貝塚→九大中門→箱崎松原→網谷立筋→箱崎浜→浜松町→馬出3丁目→千鳥橋→博多築港前→石城町→対馬小路→市民会館前→那之津口→天神→渡辺通4丁目→渡辺通2丁目→渡辺通1丁目→城東橋→薬院大通→南薬院→動物園入口→練塀町→六本松、何と23駅にも及び、通学時間は1時間を要した。
六本松に通学していた時に、中学校の恩師から電話があり、中学生の家庭教師を依頼された。場所が天神のど真ん中の質屋さんの息子で1年間くらい教えた。
2年生になって少し余裕も出来て、卓球部に新1年生と共に入部した。やはり中学、高校時代からやっている人達は上手で、大学から始めた連中はそれなりに熱心に練習していた。トレーニングとして、陸軍墓地の階段登り、大濠公園1周など苦しいこともあったが、今では楽しく思い出す。卓球部は教養部までで、箱崎の農学部に行くようになり辞めた。
叔母のすすめで林学科林政学を専攻
教養部から農学部のどの学科に行くかを決める時、林学科林政学教室を選択した。3年生の時、北海道研修旅行が必修単位になっていた事、熊本の営林署に勤める叔母さんから、国家公務員上級職に合格して林野庁に勤めればエスカレーターに乗ったように偉くなれるという理由からだった。
1965年10月、2年生の後期に、箱崎の林学科本館で授業を受け始めた。当時はまだ木造2階建ての校舎で、同級生は丁度10名だった。必修科目だけでは暇を持て余すことになるので、林学に関連する、農芸化学の土壌学、農学科の植物生態学などを受けた。この頃、マージャンを覚えて、林学同級生の下宿先で楽しんだ。
1966年4月には、6階建ての新築ビルに移動し、林政学教室は6階にあり、学生の研究室もあって、椅子と机が与えられた。
授業で面白かったのは、森林標本調査法である。広大な森林の蓄積を推定する方法で、通常であれば、立木1本1本の材積を算出して全体の蓄積を算出するが、広大な山林で毎木調査が不可能且つ長い期間かかる場合、何か所かをサンプリングして、全体を推定するやり方で、この方法は実際会社に就職しても、利用された。
1966年の夏休みを利用して、林学科最大のイベントである「北海道演習林研修旅行」に参加した。この年の引率教官は林政学教室の助教授で、さらに補助として助手の方がついて、学生10名計12名の旅行となり、名古屋駅前が出発地と決まった。
日頃から授業を受けるのも、遊ぶのも行動を共にする私とK君、Y君の3人組は、話し合って名古屋に行く前に博多駅から山陰方面を旅行して名古屋に入る計画を立てた。切符は国鉄普通乗車券(博多~北海道標茶 学割)を購入した。北海道までは鈍行列車とマイクロバスの旅である。
3人は横長の大型リックサックを背負ったカニ族スタイルで博多駅を出発、下関から山陰本線で出雲市駅まで行った。
出雲市駅で下車して、壮大な出雲大社、日御碕とその灯台、ウミネコで有名な経島(ふみじま)を見学、次に松江でおりて、松江城、小泉八雲の寓居を観光して、鳥取砂丘に向かった。その日どこに泊まったか全く記憶にないが、寝袋を用意していたので駅に泊まったかも知れない。
翌日は京都経由で夕方名古屋に到着、駅裏の余り綺麗とは言えない旅館に宿泊、明日か
ら始まる研修旅行に備えた。
後編に続く。