野に咲く花の名前は知らない--僕が歩んだ道new

   

衛藤 忠興(旧姓高原)

【前回までのあらすじ】

 僕の生い立ちに大きな影響を及ぼした人物が二人いる。一人は東京の小学校で出会った宮城先生。先生は有島武郎の小説「一房の葡萄」を彷彿とさせるような方で、いじめを受けていた僕を何かと目を掛け守ってくれた。そしてもう一人は実の母。僕はこの母から愛情を受けることがなかった。学校ではいじめに遭い、家庭でも拠り所がなかった僕の境遇が、その後の人格形成に影響を及ぼしたのは、世間と闘うすべを持たない少年にとって、やむを得ない緊急避難の結果だったのかもしれない。

 

明治一代女――祖母のこと 

 母は東京での生活に行きづまり、僕たち親子は小学3年の1学期に東京を離れ帰福した。僕は再び宗像市赤間の祖母に引き取られ、中学1年まで祖母と過ごす。

 祖母は"明治一代女"を称していいほどの生涯で、三男三女を育てあげた。祖母の夫(僕の爺ちゃん)は小学教員をしていたが、ある晩突然亡くなった。三女はまだ赤子だった。
「子供は小さいのに、アンタ死なんのってくれ」という祖母の悲痛な叫びは届かなかった。

 それからの祖母の生き方は地味で謙虚、強靭…。牛馬のない生活で4反の田と若干の畑を人力のみで耕し、三男三女を育てあげた。長女は幼い三女を背に担いで泥だらけになり祖母を助けた。僕の母は次女である。
 祖母は40代~50代頃に第二次大戦を経験し、収入は遺族年金のみであったが、三人の男子全員を大学に通わせた。長男は小学校長を経て地元有名大学の事務長になった。次男は大分法務局長になった。三男は九大法文に合格し、県庁の部長になった。三女は、ピアノなどない家庭にもかかわらず音楽教師になった。

不運つづきの母の人生 

 そんな優秀な兄弟姉妹に挟まれ、母の自尊心は傷つき蝕まれていった。もしかしたらその傷ついた自尊心や不運つづきの境遇が、母の心を壊してしまったのかも知れない。

 母は夫に騙され捨てられた。夫は職業、結婚歴を詐称して母と結婚、そしてある日いきなり「離婚」を母に付きつけた。そのうえ、新妻と名乗る女性が家に乗りこんできた。
母は赤子の私を抱えて、焼野原の東京に残された。

◆東京大空襲

 母がこの時に人生を悲観して親子心中を図っていたら、私はこの世にいなかった。母の行いは世間的には子への虐待であるが、そのことへの恨みにもまして、「生きながらえてくれたこと、僕を生かしておいてくれたこと」を有難く思う心は揺るがない。

- つづく -

 

 

 

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