1988年、オレゴン大学へ留学するための渡米をきっかけに、埼玉県所沢市の家を売って追分の分譲別荘地を購入した。中央大学教授を務めていた夫は、毎年のようにゼミ合宿で軽井沢に来ていたのでとっても気に入っていたようである。帰国後、次女(当時小学校二年生)と三人で移り住む。
週末の癒し生活を楽しんだ夫
彼は片道三時間かけての通勤。当時、上信越道も長野新幹線もまだなかった。大学の宿舎に二泊または三泊して帰軽。週末は犬の散歩、論文や原稿を執筆等々、刻々と移ろってゆく自然を日常的に自分の生活の中に取り込んでエンジョイしていたようである。
私は博多生まれで寒さには弱く、初めての冬は本当に戸惑ったものだ。家の構造は二重窓で床暖房ではあるが、二十年前の軽井沢はマイナス二十度前後まで気温が下がる。太陽の日射しがどんなにか支えになったことだろう。すっかりアニミズムに侵されてしまった。