美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行③
2022/12/30
【プリントされたアナログ写真を、デジカメで撮影したデジタル写真を使用しており、編集部で可能な限りの補正はしましたが、画質が通常よりも劣ることをご容赦ください。】
旅の7日目、2004年6月7日は、快晴に恵まれる。7時、バートイシュルのホテルで、この旅一番の豪華なアメリカンの朝食。後、ホテルの周辺を散策。
左) アメリカンの朝食 右2枚)ホテルの周辺を散策
バートイシュルは、イシュル川とトラウン川に挟まれたエリアに広がる町。古くから貴族のリゾート地として開け、偉人たちの別荘や邸宅が点在している。市街やオペレッタフェスティバルの会場クーアハウス、庭園を巡る。
9時半ホテルを出発。10時前ザルツカマーグートのハルシュタット着。ザルツカマーグートには世界最古の岩塩抗があり、先史時代からずっと岩塩の採掘が行われてきた。ハプスブルク時代には御料地となっている。いくつもの湖があり、山岳と湖と町や村が織りなす風景の美しさはオーストリアでも1、2を争う。
ザルツカマーグートの奥地の谷あいに、高い山と緑の森に囲まれたハルシュタット湖がある。湖の右手にはダッハシュタインの岩峰群が連なり、左手には樹々に覆われた塩山が湖に迫る。ハルシュタットの町の家々や教会の尖塔が、まわりの山々とともに青く澄み切った湖面に姿を映し、この世のものとも思えぬ美しい景観を作り出している。
左) 静かな湖面に写るハルシュタットの町 右) ハルシュタットの街を散策
古い昔からのたった1本の街道に沿って、町の家々が軒を連ねている。歩いてもすぐに突き抜けてしまうほど小さな町である。
左) ハルシュタットの街を散策 右) 石の瓦屋根の民家とハルシュタット湖
アルプスの近辺で地名にハルがついているのは、みな岩塩の採掘や濃い塩泉の湧出で知られた町。ハルの語源はギリシャ語で塩を意味するハルス。
ザルツカマーグートの真珠と呼ばれるハルシュタット湖。緑がかったエメラルド色の湖面は鏡のように静か。10時15分、町から遊覧船(渡し船)で対岸に渡り、戻ってくる。船賃は1人3.8ユーロ(530円)。戻りの船の上から眺める風景は、生涯忘れることのできない美しさである。切り立った緑の山を背景に、教会の尖塔、窓辺に花いっぱいの白い壁の家々が次第に近づいて来る。
左) ハルシュタット湖遊覧船(渡し舟)、後方はハルシュタットの町 右) 民家の窓、入り口は花々で飾られている。
左) 古くから小さな集落の中心になっているマルクト広場 右) 売店で1ユーロの岩塩を土産に買う。
3時半、リンツの街へ。涼しいハルシュタットから来ると20℃でも少し暑く感じる。リンツは、ドナウ川中流域に位置するオーストリア第3の都市。人口20万人。数々の芸術文化を育んできた古都であると同時に、オーストリア第1の工業都市でもある。モーツァルトがこの地で交響曲「リンツ」を作曲。またベートーベンの交響曲「第八番」もこの街で作曲された。
列車の型をした小さな黄色い観光バスで旧市街を巡る。25分、5ユーロ(700円)。リンツ最大の繁華街ラント通りにはトラムが頻繁に行き交っている。
ハウプト広場に面して、1678年完成のリンツ最大のバロック様式建築の旧大寺院(聖イグナチウス教会)がある。ブルックナーが1855~68年、大聖堂のオルガニストを勤めたことで知られる。広場周辺には、市庁舎をはじめ美しいバロック様式の建物が並んでいる。しかし、残念ながら広場の北側を流れるドナウ川は茶色く濁っていた。
広場のシンボル「三位一体の柱」は、かつてヨーロッパを襲ったペストの猛威、トルコ軍の侵攻、大火災から平安が戻ったことを記念し、感謝と祈りを込めて1723年に建造された。
左・右上) 新大聖堂 リンツ最大のネオゴシック様式の寺院 右) 新大聖堂のステンドグラス
新大聖堂は1855年に建設されたネオゴシック様式で、塔の高さは134m。内部の奥行きも塔の高さと同じく134mあり、広々とした中に繰り広げられたステンドグラスは見ごたえある。窓に描かれたリンツの歴史やキリスト生誕の図も見どころ。
6時半、レスランで夕食。鶏の骨付き肉、アメリカ米、野菜サラダ、デザートはフルーツとアイスクリーム。300mlのKAISERBIERが2.8ユーロ(390円)、アップルジュースが2.1ユーロ(290円)。
◆夕食のデザート フルーツアイスクリーム
旅の8日目の6月8日。この日も快晴。6時40分、アメリカンブッフェの豪華な朝食後、ホテルの近くを散歩。朝市が開かれていて、花屋、八百屋、果物屋を巡る。値段は日本とあまり違わない。同行の人たちの中で朝市に行ったのは我々夫婦だけ。
9時前ホテルを出発。10時40分、メルク修道院着。
オーストリアバロックの華と謳われるメルク修道院。くすんだ黄色はバロックの建築家たちが最も好んだ色調で、まわりの緑によく映え、バロック独特の明るく壮大な感じを盛り上げている。東西320m。宮殿を思わせる華麗さで、修道院の宝物「メルクの十字架」のレプリカが掲げられている。
ローマ人、マジャール人が砦を築いた跡にバーベンブルク家が10世紀末に城を構え、1098年ベネディクト修道士会に寄進した。城としての構えを残したまま修道院が造られ、この地方一帯の文教の中心地になった。侵攻してきたトルコ軍によって焼き払われ、1702年バロック様式で再建され現在に至る。
修道院の一部は博物館になっており、多数の手写本を蔵する図書室、豪華絢爛を極める聖堂などがある。
左)ベネディクト派大修道院・東門 右) メルク修道院
11時、メルクのフェリー乗り場から、ドナウ川下りのクルーズ(メルク→クレムス)に出発。メルクの語源は、スラブ語の「ゆるやかな川」メリディカに由来する。
ドナウ川はドイツからオーストリアを経て黒海に注ぐ2,860kmの流れ。メルクからドナウ川に沿ってクレムスまで35kmの間はワッハウと呼ばれ、両岸から山が迫ってきて、古城があちこちにあり、小さな町や村が点在してドナウ川では最も風景が美しい所。「美しき青きドナウ」を行くという感慨が湧いてくる。しかし現実は、土色の水の流れ。
左) ドナウ川クルーズのフェリー乗り場 右) ワッハウ渓谷・シェーンビューエル城、高さ40mの岩盤にそそり立つ城は、かつては要塞であった。
11時メルクを出発。ドナウ川下りは、ライン川下りに比べ古城や町の数も少なく、鄙びた趣がある。
メルクを出てしばらくの間、船はドナウ川の分流を行く。後方の高台の秀麗なメルク修道院が次第に視界から遠ざかっていく。本流に入ると右岸の岩頭にシェーンビューエル城が現れる。次に右岸に廃城となったアックシュタイン城、左岸には2万5千年前の地母神(通称ヴィーナス)の像が出土したヴィレンドルフ村が見えてくる。
左) ブドウ畑の連なる丘陵地帯や古城の聳える山が次々に現れる 右) 村々には必ず教会の塔が。
続いて10世紀マジャール人の侵攻に備えて築かれた城壁の名残が、左右の岸から山の斜面に向かって上っているのが見える。左岸の山上にヒンターハウス城。川沿いに延びるワイン造りの町シュピッツの辺りはうっとり見とれる美しさ。シュピッツから遠足の小学生の一団が乗り込んで来て、船上は急に賑やかになる。子供たちは早速サンドウィッチの弁当を広げて、ほおばっていた。
左) 中世の要塞教会 右) 遠足の小学生たちと
さらに下った左岸のサンクト・ミヒャエルでは、教会の周りに堅固な城壁や高い塔が見える。中世のオーストリアはまだ辺境の地で、外敵が侵入してきたときは村人が皆この中に避難し、守りを固めた。このように城塞化された教会は後世、普通の教会に改造され、城塞化された教会がそのままの形で残っているのは珍しい。
ドナウ川が大きくカーブし、行く手の山上に古城が、岸辺の断崖の上には由緒ありげなデュルンシュタインの町が見えてくる。ワッハウ一番の景勝地。デュルンシュタインに接岸、船上から聖堂参事会員修道院を見る。尖塔部分の白とブルーの鮮やかな色彩が際立ち、オーストリアでも屈指の美しさを誇る。18世紀初めに建てられたバロック様式の建物。
左) デュルンシュタイン・聖堂参事会員修道院 右) クルーズ船上からデュルンシュタインの街を見る。
ドナウ川下りの終点クレムスはこの辺りで最大の町。ワッハウのワイン産業の中心地。1時間45分のクルーズで、12時46分着。
左) 丘の上は廃墟となったクーエリンガー城址、英国のリチャード獅子王が十字軍遠征の帰路幽閉された城 右) 川下りの終点クレムス着
3時、シェーンブルン宮殿へ。シェーンブルネン(美しい泉)の名を持つこの宮殿は、フランスのヴェルサイユ宮殿に対抗して、夏の離宮として建てられた。マリア・テレジア・イエローの外壁が周囲の緑に映えて何ともいえず美しい。女帝マリア・テレジアをはじめ、マリー・アントワネット、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世や皇妃エリザベートなどハプスブルク家の人々に愛された。
17世紀の壮大なバロック様式建築を、マリア・テレジアが子供たちの住居にするため改造。ロココ調の様式を加え1749年に完成した。部屋数は1,441室。
1762年、6歳の天才少年モーツァルトが御前演奏した「鏡の間」、1814~15年ウィーン会議の際、華やかな舞踏会の舞台となり1961年ケネディとフルシチョフの会談の場となった「大広間」などを観て回る。
左) シェーンブルン宮殿正面 右) シェーンブルン宮殿・庭園側
庭園は、1.7㎢。ジャン・トレベル設計の花壇と並木路の幾何学的構成が美しい。1765年にアドリアン・フォン・シュテックホーフェンによって修正され、今に残る優美な庭園となる。
広大な敷地の中央にある小高い丘にギリシャ神殿風のグロリエッテが建っている。1757年マリア・テレジアがプロイセン戦争勝利を祝い、戦没者慰霊の意を込めて建設した。
左) シェーンブルン宮殿、マリア・テレジア・イエローの外壁が美しい 右) 庭園の花壇の奥の小高い丘にギリシャ神殿風のグロリエッテが建っている。
夕方、ベルヴェデーレ宮殿へ。「美しい眺め」の意を持つ宮殿。オイゲン公により夏の離宮として建てられた。バロック建築家ヒルブラントの設計。レセプション用の上宮から住居用の下宮へはゆるやかな斜面に芝生や植え込み、いくつかの噴水、スフィンクスなどの美しい彫像が配置され、美しいバロック庭園となっている。
上)ベルヴェデーレ宮殿の前で 下左) ベルヴェデーレ宮殿正面入口 下中)ベルヴェデーレ宮殿の門 下右)宮殿遠景
7時半過ぎ、夕食のレストラン「ホイリゲ」へ。「ホイリゲ」とは、「今年の」という意味で、ワインの新酒をさしているが、同時に新酒のワインを飲ませる居酒屋の意味をもつ。新酒は毎年11月11日の聖マルティン祭で開封され、それから1年間飲むことができる。ほとんどは白ワイン。食事についていた1/4ボトルでは足りなくて、さらに1/4ボトルを追加する。2ユーロ(280円)。料理はどれも塩分がきつい。店は日本人の団体客ばかりで何とも騒々しい。
バイオリンとアコーディオンの演奏(シュラメル)を聴きながら、食事とワインの時間を過ごす。軽やかな演奏にチップをあげる人が何人も。同行の大学教授が「荒城の月」を朗々と歌い上げ、大喝采を浴びていた。
左) レストラン「ホイリゲ」入口 右) バイオリン、アコーディオン演奏を聴きながらワインを楽しむ。
9時10分に出て、9時35分ホテルに入る。
- 美しきチロル地方とオーストリア周遊紀行④に続く。 -