私とリクルート、江副さん

      2016/06/21

小野塚 満郎

私の礎を作ったのは福高、育んでくれたのはリクルートでした。

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至誠・剛健・操守の精神

ここに分厚い一冊の本があります。福中・福高の教育を語る・創立80周年記念論文『成風』と書かれ、平成9年5月発行、19年前です。何故か、16回生として、私が寄稿しています。いっぽんの木 その中で、校訓『至誠・剛健・操守』、花田先生の『率先垂範』の姿、江口先生の『自主性尊重の教育』に触れています。この校訓、指導が、今の私がある原点でした。
 高校、大学時代は、クラブ活動と文化総務活動、大学では学園紛争が激しく、建設中の電子計算センターに米軍ジェット機が墜落、授業に出た記憶が少ない時でした。高校・大学時代に共通しているのは、クラブ活動に専念していたことでした。クラブは合唱団でしたが、力を注いだのはクラブ活動、文化活動の支援でした。

リクルートとの出会い

そんな私が、就職したのがリクルート社、就職活動のイロハも知らない私は、受ける会社全てで、ペーパー試験に落ち面接に至りませんでした。そんな時の夏休み、たまたま大学に行き、廊下を歩いていたら、教室で会社説明会をしていたのが、リクルートでした。
話していたのが九大を一年前卒業、就職していたK氏、営業部長のM氏でした。翌週知能テストのような試験、面接、面接の夕刻には合格通知、あれよあれよという間に、就職先が決まり、流れるままに四十数年、今日に至っています。ちなみに知能テストの時の試験官は、九大教育学部の同級生S氏でした。私より少し前に内定していました。彼とはそれ以後50年近く、赤坂での飲み会を続けています。

寿禄会ホームページ開設に寄せて

19年前に80周年史に寄稿、そして今回のホームページ開設・原稿依頼。19年前はリクルートを現役引退した時、今は妻智香子が居なくなり、全ての仕事を辞め、障碍者の息子と二人での生活を始めた時、『時』を感じています。
私は、リクルートに、1969年就職、2002年退職、そして2013年江副さんが亡くなるまでの44年間、リクルート・江副さんをとおして、いろんな世界を見、触れ、ぶつかってきました。このことをいつか記録しておきたいと、心の底に秘めていました。

おのづか高尾山孫と私の福高で育まれた自然体の力、これをフルに使い、生かしてくれたリクルート社と江副さん、この機会を使い、『私とリクルート・江副さん』というテーマで、このシリーズを続けさせていただければと思っています。

高尾山もみじ台
行きつけの茶店で孫と

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