男と女のエピソード 第1話 ~ 第3話
2019/05/16
「浩二君、次の大会、がんばってね」
声をかけたのは同じクラスの明子である。「ありがとう。洋介も励ましてやって」
浩二は、野球部の主将、洋介はエースで4番、野球部が中体連の夏季大会地区別の総当たり戦で第2位になって、市大会に出場が決まっていた。
洋介の名前を言ったとたん、明子が少し顔を赤らめたことに浩二は気づいていた。
浩二と洋介は、小学校以来の野球仲間である。前年の中体連夏季大会では、3年生を中心にしたチームが一つも勝てなかった。一人ひとりの力はあっても、チームワークが足りなかったのだ。
新チームは浩二と洋介が中心になってうまくまとまり、試合を重ねるごとに力をつけて、創部以来、はじめての市大会出場を勝ち取った。
市大会の球場はプロ野球が使う球場だ。学校の運動場とは違って格段に広い。外野手は、芝生の一番ホームよりのところを守備位置にした。ファールの打球もバックネットやスタンドまで全然届かない。打席に入るたびに、場内アナウンスがあるのも気恥ずかしかった。バックネットから「浩二がんばれ」の声が聞こえたが、だれの声か確かめる余裕はなかった。
洋介の調子は抜群だった。いつもの打たせてとるピッチングで四球をださない。普段だと1つ2つエラーがでるが、ノーエラーで5回まできた。この回、ヒットを2本続けて打たれ、内野ゴロの間に、1点取られた。次の回、すぐに取り返した。浩二が三塁の右を破る2塁打で出塁し、内野ゴロとヒットで生還した。
1対1になって最終回(7回)裏、相手の攻撃、ツーアウトまでこぎつけたが、ヒットで出たランナーが2塁にいた。洋介のスピードが少し落ちていた。敵の4番の強い打球が三塁を守る浩二の左側に飛ぶ。精一杯グラブを伸ばしたがとどかない。遊撃手の義雄にとめてくれと願ったが、球は抜けていった。サヨナラ負け、だった。中学での野球は終わった。
帰り道、洋介が浩二に力のない声でつぶやくように言った。「最後の球を投げるときに、明子の顔が浮かんだ…」
「そうか、かの女は勝利の女神になってくれなかったんだ…」
そのカレー屋は「サフラン」といった。稲村が勤務先の大学を変わって、最初に試みたのは、ランチのお店をさがすことだった。
サフランは、大通りから小路を二つはいる角にあり、洒落た入り口と窓の飾りに魅かれて入ってみた。カウンター8席だけという細長い小さな構えの店である。
もと宝塚の男役のような感じのママがカウンターの向こうにいて、迎えてくれる。メニューをみて、何となく食欲をそそられ、「オムカレー」を注文した。オムカレーは、オムライスにカレーをかけるらしい。初めて食べた。オムライスの側もカレーの側もそれぞれ工夫された特製だ。
これはとてもおいしかった。おそらく常連が多いのだろう。ママと客の間の感じがなごやかだ。いい店だな、とファーストインプレッション。こうして、稲村は、毎週1回はサフランに行くようになった。2回行くのは、なんとなく恥ずかしく、理由なぞないが、はばかられた。
いつものようにオムカレーを頼んで、いつもの雑誌を読みながら、待っていた。
ママが「はい、どうぞ」とカレーの皿を前にだしながら、こう言った。「あなた、オムカレーしか食べないの? 他にもおいしいメニューがあるのよ」
「うん…? でも、これでいいよ。これがおいしいじゃない」
「もし、オムカレーに飽きたら、あなた、来なくなるでしょう? だから、他のも食べてみてよ」 稲村は、たしかに飽きっぽい性格だ。見抜かれたというほどのこともないが、いわれてみると、そうかもしれない。
次に行ったときには、ちょっと考えて「野菜カレー」を頼んだ。ママが嬉しそうに「これもおいしいわよ」と言った。たしかにおいしかった。
夏休みが終わって新学期が始まった。稲村は、久しぶりにサフランに行った。
びっくりした。サフランが店を閉じてしまっている。近所の人の話では、サフランが入っていたビルが解体されるのだという。ママからなんにも聞いていなかった。折角、ツー・トラックにして保険をかけたのに、さよならも言えなかったなんて。
瀧村が久しぶりに京都を訪ねたのは、紅葉の残る時雨の頃だった。いくつかの用件をすませて、京都に住んでいる大学時代の友人、野上美智子を夕食に誘った。彼女とは、学生時代、ゼミもサークルも一緒で、いわば同志的な間柄だった。つまり、たいていのことは、お互いに驚くこともない。
彼女は、大学卒業後から働きつづけた会社を定年でやめ、いまは、多才を活かして、いろんなことに手をだしている。そういう話を聞くのが、彼女に会う楽しみの1つだった。
「じつは今日、合唱の練習を終えてきたところ。来年2月に公演なの」
「そういえば、昔からよく歌っていたね。それで、どんな歌をうたうの?」
「信長貴富が作曲した、かなり難しい曲、それを日本語とドイツ語でうたうのよ、とても大変」
と彼女はうれしそうに話して、楽譜をみせてくれた。信長貴富の名前は知らなかった。
題名は「勿忘草」。そこにふられた日本語とドイツ語の歌詞を眼でおった。
“わすれなぐさ” “Vergissmeinnicht”
ながれのきしのひともとは Ein Blümchen steht am Strom
みそらのいろのみずあさぎ Blau wie des Himmels Dom
なみことごとくくちづけし Und jede Welle küsst es
はたことごとくわすれゆく Und jede auch vergisst es
一瞬、心が不思議に騒いだ。そして記憶が一気に溶け出した。
「わすれなぐさ」の4行詩、瀧村が高校2年生のとき、1年間文通の続いた初恋の人から突然もらった別れの手紙、1枚の便せんに書かれていた、それだった。
そのとき何度もくりかえし読むほかすべもなく、その人の面影と一緒に記憶のなかにしまい込んでいた。
黙りこんだ瀧村に美智子が「どうしたの?」とけげんそうに尋ねた。
「あら、また、降ってきたわ。『泣き濡れて秋の女(おみな)はわが幻しのなかに来る。泣き濡れた秋の女(おみな)を時雨だと私はおもう』これ、大中恩の合唱曲の一節。あとですこし歩きましょうよ」
(「わすれなぐさ」はWilhelm Arendt(1864-1913)の作、訳は上田敏『海潮音』所収)