男と女のエピソード 第4話 ~ 第6話

      2019/09/16

 

 

第4話 それってセクハラではありません?

早瀬が、学会出席のために宮崎空港に降りたときは、もう暗くなっていた。明日からの学会は、「ジェンダー法学会」だ。毎年1回、首都圏と関西圏で交互に開催するのが恒例だが、今回は宮崎市のある大学の学長に就任したばかりの有力理事が開催校を買ってでた。
戦闘的フェミニストとして知られる彼女は、前学長がセクハラ問題を派手におこして辞任した後に、大学の綱紀粛正・名誉挽回策として請われて就任したのである。

早瀬は、宮崎とはまったく縁がない。ここにくるのは、あらためて思うと、2度目である。1度目は、中学の修学旅行、南九州周遊の旅で鹿児島から回った。とはいえ、宮崎には遠い思い出があった。観光バスのガイドのお姉さんに憧れて、宿舎に帰った自由時間、バス会社の営業所を探し回ってお姉さんを訪ねたのである。会えなかったが、ささやかなアバンチュールだった。

学会では、シンポジウムの1つにセクハラがテーマに取り上げられた。「セクハラという犯罪はない」と部下のセクハラを非難され開き直った大臣がいたが、たしかに日本では「セクハラ罪」というのはない。報告者は続ける。ただし、セクハラも深刻で重大なものは別途の犯罪を構成する。セクハラは、男性が女性を性的対象として意識し、人格的な尊重を欠く言動によって起こる。人のスタイル、容貌、服装などを話題にすることにも細心の十分な配慮が必要だ。セクハラの本質は女性の人権侵害であり、根底に女性差別がある。

学会は無事終わり、空港の待ち時間、東京にもどる友人と一緒に寿司屋に入った。討論の余熱が残ってカウンターに座って話を続けていたが、仲居さんがビールを運んできてくれた。顔をみて、なんともなつかしい想いが湧いてでた。出発の時間が近づいてレジにたったら、その仲居さんが応対してくれた。

早瀬は、つい口走った。
「ぼくは中学の修学旅行で宮崎にきました。そのときの観光バスのガイドさんがとても綺麗な人でした。あなたをみて思い出しました。」
「そんなことを言っていただいて、一日の疲れがふっとびます。」と彼女は笑った。

帰りの飛行機で相席の友人がいった。「早瀬さん、レジでの話、ナイスフォローで助かりましたね。ただし、それってセクハラではありません?」だったかも。

 

 

第5話 恋におちて Falling in Love

予想していたが、観客は、カップルと女性がほとんどだった。気づかれないように、シートに深く座ってコートの襟をたてて映画を見終わった。タイトルに魅かれて足を運んだが、ストリープとデニーロが、初々しかった。映画館をでると夕闇のなか、さて、食事でもしていくかと朝岡が歩きかけたら、同じように一人で映画館をでてきた女性が見知った顔だった。

しばらく調子がくるって通っていた病院の担当の女医先生である。なかなか魅力的な先生なので、一度誘いたいと思っていたけれど、診察室の看護師のいるまえで、そんなことを言い出せるはずもない。今日の映画の功徳かな、急いで近寄って声をかけた。「日下先生、こんなところでお目にかかるなんて。」

彼女は、おどろく様子もなく、「あら」と言った。「朝岡さん…でしたっけ」、友人と二人で見る予定が、キャンセルされて一人鑑賞になったのだという。朝岡は、ゆきつけのイタリアン・レストランに誘うことに成功した。

少しワインも入って和やかになったころ、彼女が言った。
「『こいに落ちて』の『恋』はlove だけれど、これを『愛に落ちて』というのはおかしいのかな。どうしておかしいんでしょう? 恋と愛は、『恋愛』とくっつけて使うわけだし、同じようなものだと思うけれど、ニュアンスが違うのね。父母を愛しています、というけれど、恋していますとは言わないわね。」

「わたしね、学生時代に『愛』について悩んだことがあるの。こんな話してごめんなさい。今日の映画のせいだわ。二人の男性に同時に言い寄られて、どちらを選んでも、両方を拒否しても、傷つく人がでるでしょ。だから、愛は個別的、排他的であってはならない、愛は普遍的、博愛的でなければならない、と考えたの。朝岡さん、どう思う?」

と言われて、朝岡は面食らった。
「いやあ、ぼくにはよく分かりませんが、それでどうなさったんですか?」 
「二人に普遍的な愛で愛します、と手紙を書いたんだけれど、実際こんなことわかってもらえないわよね。結果は大混乱でした。」

「朝岡さん、恋に落ちるって、あなたの突発性難聴と同じようなものかしらね。処置が適切だと、すぐに症状はなくなり、解放されるけれど、対応を誤ると苦しみが長引いて、そこから抜け出せなくなる。」

朝岡は、日下先生から煙にまかれている、これは脈がないなと悟った。

 

 

第6話 若かっただけで許される・・・

大学の講義の時間の合間をぬって、藤堂は、地方での講演をなるべく引き受けることにしていた。午前中のイベントだと、前泊が普通になる。その日は金沢だった。到着した夜の曇り空がだんだん怪しくなり、翌朝はかなりの降りになった。

強い雨にもかかわらず、テーマが時事的なこともあってか、会場はほぼ満員になった。藤堂は、主催者の気持ちを慮って「よかったな」と安堵した。聞き手が多いと話し手にも力が入る。話にあわせてうなずく人が目につくと、ますます調子があがる。気持ちよく1時間半の講演を終わった。

講演のあと、主催団体の事務局の数人と会場のラウンジでお茶を飲んでいた。聴衆の入りがよかったこと、話の内容が面白かったこと、また機会があれば次回もぜひ、といった、さしさわりのない会話は、一仕事終えたあとの鎮静剤のようなものだ。

主催団体の職員の若い男性が小走りにやってきて、ごあいさつしたいという方がおみえですが、よろしいですか、といいながら、こちらの方です、とその不意の訪問客を振り返って、それから藤堂に会釈をした。

藤堂は立ち上がって迎えたが、二人の小さな女の子をつれた若いお母さんのようにみえた。
知らない顔だった。向かい合いながら、どうも、藤堂です、と頭をさげた。彼女は「はじめてお目にかかります。保苅の娘でございます。おうわさは母からいつもうかがっております。」と綺麗なこえであいさつした。

まったく思いもかけない事態に藤堂は、狼狽し、当惑した。
「保苅さんの娘さん! そうですか、こちらにお住まいなのですね」、
「はい。実家の母から電話があって、講演なさることを聞きましたので、ひとことごあいさつしたいと思って…」

保苅奈津、それがこの娘さんの母親の名前、藤堂の大学時代の同じサークルの上級生だった。優しく思いやりのあるひとで、藤堂は慕っていた。彼女も藤堂のことを気に入ってくれた。彼女が4年、藤堂が3年の秋に、二人の気持ちは急速に近づき、燃え、そして人生について諍い、遠ざかった。

卒業してからは、風の便りに消息を聞くだけだった。奈津さんは、娘さんに託して、「お元気でなにより、私も息災です」と伝えてくれたのだ。
奈津さんの娘さんと二人のお孫さんと写真におさまりながら、若い日のことは、若かっただけで許されるのだ、と藤堂は思った。

 

 

 

 - コラムの広場