王子グループ回顧録 王子木材工業㈱苫小牧支店編[1]

      2018/11/18

 

「お帰りなさい」と迎えてくれた元山林部の仲間

 2000年(平成12年)は、私にとって大きく変化する年だった。6月末の異動で王子製紙釧路工場から苫小牧へ3年振りに戻ってきた。3年前は、本州製紙との合併直後で、釧路工場では、合併効果発現のため、生産性向上、要員効率化を進めて来た。
 苫小牧は4回目の勤務だが、この度は苫小牧工場ではなく、駅前のビルで王子木材工業㈱(以下王子木材と略す)苫小牧支店勤務である。王子製紙からの出向となっていた。

 

 王子木材の仕事は、国内外原木の販売、製材品の仕入販売、木材チップ販売、住宅部材、製材、プレカット部材等の加工をやっている全国組織の木材会社である。この会社も合併効果推進のため、1998年(平成10年)同じ王子グループの木材関連4社と合併して組織も大きくなっていた。さらに、今まで王子製紙本体でやっていた業務の一部を外注委託することにより、膨れ上がった王子製紙本体の正規従業員を将来的に削減することにした結果、原材料部で所管していた、国内チップの買入業務、買入れたチップの次工程への払出業務を王子木材が担当することになった。

 苫小牧支店に7月上旬、出社すると、迎えてくれた半分程度が元の山林部員達で、お帰りなさいと挨拶してくれた。

 

王木林材㈱ 初代社長に就任

 翌日から、分担業務として、社長の辞令を受けた、王子木材の子会社の坂本陸運㈱(沙流郡日高町富川南)、㈱竹之内林業所(枝幸郡中頓別町小頓別)を訪問し、経営状況の説明を受けて、両社の取引先に社長就任の挨拶回りをした。この両社は昔から良く承知しており、それぞれに国有林、道有林の請負素材生産業者としての高い技術をもっていた。この両社が合併すれば王子木材の子会社として大きな存在になると考えていた。

 2002年4月、両社は合併して、王木林材㈱と社名を変更し、初代社長に就任した。釧路時代から代表取締役社長には7社くらい就任しているが、非常勤の社長で会社の代表として責任はあるが、常に無給であった。社長としてのメリットとしては、ゴルフの会員権があること、タクシーチケットがもらえる事ぐらいだったが、余り利用しなかった。

 本業に戻って、支店長代理としての挨拶回りは、当時のスケジュール表を見ると、札幌、帯広、釧路、函館等忙しく回っていた。また、この間にも、王子製紙苫小牧工場との定例打合せ、王子木材東京本店での役員会にも日帰り出張していた。

 

ヨーロッパへリフレッシュ旅行

 8月に王子製紙苫小牧工場人事部から、永年勤続慰労(リフレッシュ)の旅行代金70万円がまだ未使用の旨連絡を受け、急遽9月12日~20日まで夫婦でヨーロッパ旅行に出かけた。

◆ベルサイユ宮殿

 北海道千歳空港を出発して、オランダのスキポール空港でトランジット、フランスのシャルルドゴール空港着、その夜はホテルで一泊して、翌日からベルサイユ宮殿、ルーブル博物館、ノートルダム寺院、オペラハウス、エッフル塔を見学して、その豪華絢爛たる建物、庭園、美術品の数々に感動した。

◆ビッグベン

 パリからは、ドーバー海峡を海底トンネルで結ぶユーロスターでロンドンに到着した。ロンドンではセントポール大聖堂、ビッグベン、ウエストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、大英博物館をみて、古き良き大英帝国の勢いを感じた。

◆ナポリ湾から卵城を望む

 ロンドンからイタリアに飛んで、バチカン市国のサンピエトロ広場、寺院、ローマに戻って、コロッセオ、トレビの泉、フォロロマーノを見学、バチカン宮殿の豪華さと、古代ローマの遺跡群を堪能し、ホテルに宿泊した。翌日はバスでポンペイへ、およそ2000年前のヴェスビオス火山の噴火と火砕流によりポンペイは完全に地中に埋まった。それを発掘して当時の様子が手に取るようにわかる。素晴らしい遺跡群である。

 ポンペイから「ナポリをみて死ね」の言葉があるナポリへ、この言葉は卵城(カステロ・デル・オーポ)の屋上から見た景色を指しているようだ。ナポリ民謡サンタルチアの故郷は去りがたい景色だったが、バスはローマへと向かい、どこかの劇場でカンツォーネを聞きながら、思わず一緒に口ずさんでいた。
 翌日、ローマからオランダのスキポール空港へ、長時間のトランジットで札幌に向かった。

 

55歳で関係会社へ移籍

 合併による要員効率化は出向者にも適用されて、2000年の春に決められたルールとして関係会社に出向し、そこで役員になった者は、55歳で王子製紙を退職し、関係会社に移籍することになった。このルールの適用を受けて、9月25日付けで王子製紙を退職した。

◆退職当日、王子製紙苫小牧工場 事務所前で

 

 

 

 

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