片雲の風に誘はれて 俳句紀行① 伊賀上野を行くnew

      2023/01/23

 

■俳聖 松尾芭蕉の足跡を訪ねて

 昨年10月、念願であった俳聖・松尾芭蕉生誕の地である三重県伊賀市を訪ねた。伊賀市というよりも伊賀上野の方がよく知られているだろう。伊賀市は、滝川氏、筒井氏、藤堂氏と幕末まで続いた城下町の面影を色濃く残す街。一時は10万弱あった人口は9万弱となり、行政当局は観光人口を増やすことに腐心している。

 コロナ禍の昨今だが、体力を考慮すると最後の機会かもしれないと思い、伊賀上野・奈良県の半月余の旅に出た。

 旧暦10月12日は芭蕉の忌日で、彼の句

にちなんで「時雨忌」といわれ、毎年当日「芭蕉祭」が「俳聖殿」で開催される。

今年は、国内外より34928句の投句があり、特選句の作者・団体が表彰された。そのうち三重県知事賞を福岡・古賀東中が受けたのには驚くと共に感心した。同校でどのような教育がおこなわれているのか興味深い。

◆俳聖殿でとり行われた芭蕉祭

 俳聖殿は昭和17年築で、上層の屋根は芭蕉の笠、その下部は顔、下層の屋根は蓑の衣を着た姿、堂は脚部、廻廊の柱は杖をそれぞれ表現したとされている。堂内には、芭蕉の等身大で伊賀焼の座像が安置されている。

◆俳聖殿:昭和17年、松尾芭蕉生誕300年を記念して建てられた

 俳聖殿は、伊賀上野城址の上野公園内にある。伊賀上野城は天下一の平山城といわれ、築城の名人といわれる藤堂高虎の手になる。その石垣の高さは約30mで日本一といわれ、築いたのは近江・坂本の穴太衆。城の天守は、竣工間近に大暴風雨で全壊したが、その後すぐに豊臣氏が滅亡したことを考慮して再建されなかったとか。
 天守の復興は昭和10年で、俳聖殿の建築と同じく伊賀市出身の国会議員川崎克氏が私財を投じてなされたもの。今時の国会議員は私腹を肥やすのみ…。

◆伊賀上野城:白鳳城とも呼ばれる美しい城。高さ約30メートルの高石垣や深い堀は、黒澤明の映画「影武者(1980年)」にも使われた。

■漂泊の思ひやまず

 さて、今回の旅の眼目である芭蕉について筆を進める。芭蕉は寛永21年(1644)伊賀上野で出生。藤堂藩の侍大将家に召し抱えられ、同家の息で二歳年長の蝉吟と共に俳諧に親しんだ。現在判明している最古の発句は、

という。

 蝉吟の没後、29歳で初の句集「貝おほひ」を上野天神宮に奉納した後、江戸へ下った。

 江戸で俳諧の宗匠となった芭蕉は貞享元年(1684)、「野ざらし紀行」の旅に出立。前年に没した母の墓参のため伊賀上野へ帰った。母の遺髪を見た芭蕉は、

と詠んでいる。

 江戸末期に建て替えられたという芭蕉の生家には次の句碑がある。

また、松尾家の菩提寺「愛染院」には、

の句碑がある。同院には、芭蕉没後にその遺髪を納めた「故郷塚」がある。

◆松尾芭蕉生家

◆松尾家菩提寺・愛染院

■芭蕉がもし九州を訪れていたら

大坂で客死した芭蕉の墓所は、琵琶湖がある近江を愛した芭蕉の遺言により大津市・膳所の「義仲寺」に定められた。同寺には、

の句碑がある。江戸時代には琵琶湖畔近くに位置したであろう同寺を初めて訪ねたのは学生時代だった。

 芭蕉は大坂を経由して長崎へ向かう考えだったという。その旅の途次、必ずや古代の大宰府政庁址に立ち寄り、「奥の細道」の平泉での名句「夏草や兵どもが夢の跡」を凌ぐ名句が詠まれたに違いないと思うと残念でならない。私の勝手な思い入れだが・・・。

■芭蕉の門弟の草庵でひと休み

 芭蕉はふるさとに帰省の際、弟子の服部土芳の草庵「蓑虫庵」を訪ねた。その名は芭蕉の句

に因る。

◆門弟達の庵「芭蕉五庵」のうち唯一現存する蓑虫庵

同庵は閑雅なたたずまいで、小一時間ほど庭を眺めて往時を追懐した。同庵には、

の句碑がある。

■旅で出会った忘れがたい人々

 ところで、芭蕉の足跡をたどるのに夢中で、すっかり忘れていた事があった。武家屋敷が残っている通りをはずれた所に「かぎや餅店」があった。同店に入り、はたと気がついた。「そうだ!伊賀上野には、荒木又右衛門の三十六人斬りで有名な鍵屋の辻があったはずだ」と。

◆鍵屋の辻

◆1/23追記写真:「鍵屋の辻関連?の写真2枚」
(写真の説明が無かったため、掲載を省略してしまった写真)

 80代半ばと思われるご主人に尋ねると、「よく思い出しましたね、すぐ近くですよ」と答え、「この店は創業より375年で、自分は16代目。芭蕉さんより古い」と言った。甘辛両刀遣いの私は、大福餅をいただきながらご主人と世間話をした。そこに、伊賀上野出身で今は奈良県でお茶を栽培しているという80歳前後の女性が買い物に来て、当地の事やお茶の栽培の苦労等々三人で話がはずんだ。

 旅先での見物が楽しいのは無論の事だが、各地で出会った人との会話も楽しみだ。今回もいろいろな人との世間話を楽しんだ。もう50年以上も昔の旅で出会った人のうち、今でも忘れがたい人が数名いる。

 そして、「日本三大仇討ち」の一つである「伊賀越仇討ち」の現場となった「鍵屋の辻」へ向かったが、「すぐ近く…」と言われても初めての土地は容易にはいかない。土地の人に尋ね尋ねしてようやくたどり着いた。鍵屋の辻は、なるほど仇を待ち伏せるには格好の場所と思われた。城下町の西のはずれの旧大和街道と旧伊勢街道とが交わる所で、当時は鬱蒼とした所だっただろう。
 荒木又右衛門は義弟の仇討ちの助太刀をし、剣と槍の達人二人を斬ったのみで、三十六人斬りは芝居や講談等でのお話。

■ 存続が危ぶまれる伝統産業

 伊賀市は、伝統産業の組紐の生産高が日本一で、50年ほど前には栗原小巻主演の映画「忍ぶ糸」の舞台となったが、和装の需要は減る一方で、その存続が危ぶまれているとか。

 

 

 

 

  ◆映画「忍ぶ糸」1973年東宝

 現在は「伊賀忍者」を観光の目玉として観光客の誘致を図っており、伊賀鉄道の上野市駅は「忍者市駅」となって「忍者列車」が走り、上野公園には「伊賀流忍者博物館」がある。

 

 

 

◆1/23追記写真:忍者列車?
(写真の説明が無かったため、掲載を省略してしまった写真)

 伊賀市には三日間滞在し、同市の発展を祈りつつ奈良へ向かった。

- 奈良紀行へ続く-

 

 

 

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