海外旅行・あの時のこぼれ話
2022/10/02
昭和・平成を経て令和4年、喜寿を迎えました。「もう77歳か」と思えるのは幸せなことです。コロナ禍も2年半が過ぎ、国内外の憂いも後を絶ちません。それでも私達夫婦は、いま一度フランスとフィリピンに行ってみたいと願望しています。元気がなければ出来ませんから、「みんなで健康、楽しく長生き」の寿禄会の合言葉を日々忘れずに頑張りたいと思っています。
海外旅行の予定は未だ立てられないと思っていますから、以前に訪れた所をグーグルマップのストリートビューで巡って、往時を懐かしく思い出しながら、いま一度の夢を膨らませています。そのような中の昔話になりますが、こぼれ話を幾つかご紹介したいと思います。読んで下さる方があれば望外の喜びです。
◆ホテル「ibis」 ストラスブールへの電車で、EU職員の娘さんに会いに行かれるル・マン在住のフランス人の婦人と妻が同席しました。同年齢とのことで話が弾みました。「娘にホテルを探させましょうか?」と言っていただきましたが、この日は、駅向かいにあるibisに泊まることにしました。
私は20歳の誕生日から喫煙しています。喫煙の規制は内外ともに30年以上前に気運が生じ、徐々に厳しくなり喫煙マナーが定着しました。
平成16年のフランス旅行でのことです。フランスは未だ喫煙マナーが緩い方だったと思います。ストラスブールで食事した時に、店のギャルソンに喫煙を咎められました。店内で喫煙できることを隣の席の人に尋ね、確認してからタバコに火をつけたのですが、ギャルソン氏が言うには「ご婦人(私の妻)が未だ食事を終えていないのに喫煙するのはけしからん」とのこと。かしこまって、直ぐタバコの火を消しました。
フランスのギャルソンは自分の受持範囲を取り仕切る意識と誇りを持っている、と言われています。私が指摘されたのは、喫煙そのものではなく食事の際の礼儀(マナー)だったのです。そのことを直ぐに納得しました。ギャルソン氏の表情と言葉がやや険しかったので、ギャルソン氏がその場を離れた後で、隣の席の人が「吸うのはいいんだ」と小さな声で慰め?の言葉をかけてくれました。
前述のストラスブールからパリに戻り、次いで南仏のアルルとニームに行きました。ニームには2泊し、2日目にニームから少し離れた場所にあるポン・デュ・ガールの見物に行きました。
早朝の暗いうちにバスで出発し、途中で一度乗り換えて着きました。明けて来た林の中の一本道を水道橋の方に向かって歩きました。朝霧がかかっていて、20m~30m先までしか見えません。そろそろ近い所まで来たのではないかと思いながら進んでいましたら、霧が薄くなって来て、目の前にポン・デュ・ガールのぼんやりした大きな姿がヌーッと現れました。徐々に橋脚部を含む全体が見えて来て、オーッと息をのむ思いでした。
約2,000年前に建造されたものと思うと感慨がひとしおで、隅々まで見ながら歩き回りました。古代ローマの土木技術を確かめながら、1,800年代の落書きまで見つけて、時の流れを身近に感じました。
左)ポン・デュ・ガール 朝霧の中からポン・デュ・ガールが忽然と現れて来ました。右)3層の橋脚をもつ水道橋。最上部の水路も確かめました。
◆モン・サン・ミッセェル見物の時は、最寄りのポントルソン駅のすぐ近くのホテルに泊まりました。レストランの表示がありますが、1階にカフェがあり、2階・3階がホテルでした。日本人でポントルソンに寄る人は殆どないようでした。
フランスに2回行きましたが、初回の宿はHISの予約でした。2回目はガイドブックを頼りに自分達で宿を捜しながら旅を続けました。家族経営の民宿的な小さいホテルに数多くお世話になりました。色々の場面を思い出します。
アルルのホテルでは、ガイドブックに「このガイドブックを提示すれば5%割引」と書いてあったので、その事を女主人らしき人に話したら「分かっています」と直ぐに応じて貰えました。安い部屋代なのに更に得をした気分でした。
ニームのホテルでは、ホテルの看板の下に当たる通りのドアをノックして入りましたが、少し薄暗くて誰の姿も見えません。急に横からセクシーな姿の若い美女2人が現れたので、ハッとして「入口を間違えたかな?」と思いましたが、直ぐ奥から出て来た店主のおじさんの娘さんでした。ドッキリカメラ並み?の出来事でした。
朝早いうちにホテルを出て行動を始めることが、私達の旅のスタイルになっていました。前夜のうちに勘定をすませて翌朝の予定をお話しし、裏口などから勝手に出して貰うことが多くありました。開け締めの方法は予め現場に行って教えてもらっておくのです。
パリのバスティーユのホテルでは、宿のご家族が楽しそうに夕食の食卓を囲んでおられる時にチェックインしました。翌朝早くリヨン駅に行く予定を話しましたので、お婆さんが早起きして私達を待っていて下さり、表のドアから出して下さいました。猫を抱いて座っておられたお婆さんの姿が浮かびます。
あれもこれも懐かしい思い出ですが、何とも手の掛かる客ではありました。改めて、宿の方々に感謝の思いがしています。
ボランティアで滞在したフィリピンから持って帰ったものが2つあります。バギオのマインズ・ビューパークで購入した木彫りの小テーブルと松葉の鍋敷きです。
小テーブルは輪切りの木をフィリピンの国獣とされる水牛の顔に彫り出したものです。私も妻もとても気に入って求めたものです。居間のソファーの前に置いた小テーブルは便利で重宝しています。鍋敷きは親しい人達に差し上げ、残りの1枚を今も使っています。
小テーブルは1脚800ペソを2脚1,500ペソで買いました。松葉の鍋敷きは6枚組で100ペソでした。特に、鍋敷きの値段には驚いたことを覚えています。1枚20ペソ弱(35円くらい)でした。大変な手数で作られたであろうことを想像すると、両方とも安価で入手したことに、今でも申し訳ない気持になることがあります。バギオには2回行きましたが、高地にあって美しく涼しい街です。周辺では松林を多く見かけました。
◆左)木彫りの小テーブルです。直径約25Cm・高さ約27Cmです。3つの脚が水牛の顔になっています。右)松葉の鍋敷きです。どんな作業を重ねて作られるものか?と想像してみて、素晴らしい!と思わざるを得ません。
平成16年は、フランス旅行に続いて、甥の結婚式に参列のためハワイに行きました。寿禄会の旅行にも参加しておらず、初めてのハワイでした。式・披露宴の前後に各2日ほどの滞在を予定し楽しみました。
往路の中華航空では幸運なことがありました。搭乗受付で何度も「夫婦二人だけの旅か」と確認されて怪訝に思いながら乗り込みましたが、エコノミーなのにビジネスクラスの席に案内されました。満席のため席を融通したわけです。
さて、1日を海で過ごしました。宿泊したホテルのあるワイキキではなくオアフ島東側です。一人120ドルほどで一日楽しめました。先ず、パラセーリングと水上バイクを体験しました。
パラセーリングは、小舟で沖合に出てやりました。パラシュートに座席と固定具が装備され、長く繰り出せるロープで引かれています。モーターボートで引っ張って飛び上がらせるのです。凧揚げみたいなものです。救命胴衣を着けて、前後2人座席に妻が前で私が後に座り固定具を閉めました。点検を受けて愈々海に入り引っ張られ始めました。ロープが張り海面に立ち、次いで浮き上がりました。その瞬間オオッ!と感じましたが、それからが爽快この上ない時間でした。
ロープが繰り出されて伸びると同時にどんどん高く上がります。海面の小舟なども小さくなり、空中を飛びながら海や島の風景も同時に広く眼に入ります。妻も私も奇声を発しながらの興奮の時が続きました。二人とも落ちる不安など微塵も感じませんでした。程良い時間となり、モーターボートが徐々に速度を落としロープも少しずつ巻き上げられて、私達は海面に降りて来て小舟の近くに着水しました。船に上がっても、暫くは感激醒めぬ二人でした。
◆左)準備を整えて海に入り、愈々引っ張られ始めました。右)どんどんと高く上がって行き、二人とも爽快さ・楽しさが最高潮です。
水上バイクの方は海面を走るだけですから、爽快さの程度は少し落ちますが、これも初めてのことなので、大変楽しいものでした。その日は、ビーチで海水浴もゆっくり楽しむことが出来て満足の一日でした。
最後に一言。今一度の夢がかないましたら、先ずこのHPで報告いたします。