<追悼 橋川 倭子 さん>
山本智子
倭子さんとの付き合いが深まったのは、ここ十数年です。
真面目な秀才タイプに見えた倭子さんは中学校の教師になり、
二人で博多の街を歩いている時に何度か教え子から電話が入った事がありました。
「おー!〇〇か!」と明るい声で応対する倭子さんを見ていますと、
まるで女金八先生の様でした。
子供の頃に大人しく見えた倭子さんは、実は剛胆で懐が広く魅力的な方でした。
葬儀の際、山登り仲間と教え子の弔辞を聞きましたが、思っていた通り、
いやそれ以上の豪放磊落ぶりに驚きました。
香椎中学の同期会を開いた時の事です。一人一人近況報告をしていましたら、
案の定病気の報告会になってしまいました。
その時倭子さんが、「もういい!病気の話は禁止!近況報告は
それ以外でやれ!」と大きな声を出した事がありました。
倭子さんは大きな手術も経験し、その時も他に大病を抱えていました。
でも二人で話していても、その事に触れる事はありませんでした。
他人のことは心配するのに、人に心配をかける事を極端に嫌いました。
妹さんの話では、今回も医師から入院を強く勧められたのに、
「私には100歳になる母がいるから入院は出来ない」と断り、
亡くなる前夜も風呂に入るなどだったと言います。
最後の最後まで倭子さんらしいと涙が出ました。
ある時倭子さんに「もっと前から付き合っておけば良かった」と私が言った時、
「あの頃の私はクソ真面目で面白味のない子だったから、
あなたが付き合う訳ないよ」とカンラカラと笑い飛ばされました。
博多に行っても元気一杯の満面の笑顔で迎えてくれる倭子さんに
もう会えないと思うと寂しいです。
倭子さん、本当にありがとう。そしてさようなら。
<想い出写真>