旧満州国帰国子女・中村(旧姓安藤)陽子さんのことが、読売新聞に紹介されました。

      2021/08/19

寿禄会の皆さま、ご無沙汰しています。

 皆さまこんにちは。山本智子さんから、終戦時に満州からご両親とともに引き揚げてきた同級生がたくさんいらっしゃることを聞きびっくりしました。
 寿禄会ホームぺージに掲載された皆さんの『聞き書き[満州国]の思い出』を読ませていただき、よく似た境遇の方々が投稿された引き揚げの記録に胸がいっぱいになりました。私たちが満州から引き揚げてきたのは、昭和二十一年~二十二年のことですから、幼すぎて記憶はありませんが、それでも苦い思いは膚で感じ、皆さん内地に帰って来られたんですね。

 辛かった思い出について、両親は多くを語ろうとはしませんでしたし、若かった私も積極的に聞こうとしませんでしたので、聞き逃したことが多く、この年になって後悔しています。悲惨な目に遭いながら、乳飲み子の私を守って親子三人一緒に帰って来られたことを、両親に感謝します。ありがとう。

 今年は戦後七十六年、私達の年令です。

令和三年六月十六日 中村(旧姓安藤)陽子

 

 写真が趣味だった陽子さんのお父上・安藤清さんは、満州にいたころドイツ製のカメラを愛用。自宅に暗室を作り、すべての作業を自分でやっておられたとのことです。(陽子さん談)
 昭和10年代から撮りため、日本へ持ち帰った写真は約70枚。「現地の風景が写っている写真は持ち帰り禁止」という中国側の厳しいルールのため、引き揚げ者の一家がこれほど多くの写真を保存しているのはきわめて稀なケースだそうです。

 

中村さんより提供頂いた写真を、スライドショーで、ちょこっとだけ紹介。

(1)原色のまま:退色修正なし

(2)退色修正

 

夕刊読売新聞 令和三年五月十七日

 

中村陽子さんへの一問一答をまとめた、『聞き書き[満州国]の思い出』をコラムの広場に掲載しています。

 

 

 

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