思いがけない交流-寿禄短歌の会の効用new

   

東京・上野の杜 韻松亭/桜満開の頃はこんなふう

 大学で同じクラスだった友人たちが定例で集まっていることは以前のコラムでもお話しましたが、集まると一人5分の近況報告、ただし3か月に一度の顔合わせで、だんだん種もなくなるので、ぼくは寿禄会短歌欄に投稿した作品紹介をするようになりました。俳句の得意な高知高校出身者がいて、彼はいくつも賞をもらったセミプロですが、それとならんで、広渡の短歌という扱いになりました。

 直近は4月14日、場所はいつも同じで、上野公園の韻松亭です。1月に予約する際、桜満開の時にしようよと狙いましたがすでに満室で、葉桜でもいいじゃない、ということでこの日程になりました。ここで「発表」したのは、寿禄短歌の会/春霞の候2024年3月27日掲載の歌です。つけたしは

 「ジェーワン」というのは、法学部1組の略称で、1964年入学なので「僕たちはジェーワン」と言ってからもう60年というわけです。

 この会合が終わって、N君からぼくの短歌が楽しかった、よかったというメールが来ました。かれは、霞が関の役所でトップを務め終わっていまはひたすら音楽鑑賞と古典の読書という毎日のようです。褒めてくれるだけならよかったのですが、「ところで、和歌に造詣の深い貴君に一つご意見をうかがいたいことがあります」と難しい問題が出されました。

 その問題とは、新古今和歌集時代の歌人、藤原良経の歌

「見ぬ世まで 思い残さぬながめより 昔に霞む春の曙」

 の解釈です。

彼によれば、

●この歌はそれほど有名でなく、解説も少ない。現代歌人塚本邦雄のものがあるが、
 「見ぬ世」は「未世以前」、上の句は散文に置き換え不能、「残さぬ」の「ぬ」は
 打消しの助動詞といい、結局よく分からない。

●20年間くらい放っていたが、数年前「思い残さぬ」を意志や希望を示す「思い残さん」
 とする注釈を見つけた。岩波文庫の『六百番歌合・六百番陳状』にある。

●そこで、こう解釈できると考えた。「見ぬ世」は来世のこと、あまりに美しい景色を見て
 来世まで思い出として残したい、そこからいろいろと自分の過去に見た景色などが
 思い出される曙だなあ。

●このような解釈はいままで見たこともなく、恥ずかしくてだれにでも聞けることで
 ないので、あなたの感想を聞かせて。

 さて、困りました。この歌も初見だし、歌人のこともよく知りません。彼はよく調べているわけなので、ぼくがにわか勉強して答えるという筋でもない。すぐに返事もできないのでちょっと一晩考えてみることにしましたが、我ながらうまい答えを思いつきました。

●まず、「入試問題にこの和歌の解釈如何、と出たらどう答えるかと考えてみました」と
 前置きです。これだとあれこれ調べたのではなく、頭のなかにあるものだけで答えを
 作りましたというエクスキューズになります。以下が答えの中身です。

●この歌のポイントは、下の句の「春の曙」、これに対応して上の句の「思い残さぬ
 ながめより」が比較の対象になっている。

●この「ながめ」は有名な三夕の歌、つまり「秋の夕暮」ではないかと推測できる。

「寂しさに 宿を立ち出で眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮」

「心なき 身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮」

「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」

清少納言も「春は曙」、「秋は夕暮」と言っている通り。

●「残さぬ」は、「見ぬ」と並んでいるので、やはり否定形と解釈すると、「あの世までの
 思いをもたないほど、そんなに感慨深いながめとして他の歌人は秋の夕暮を詠んで
 いるけれど、自分は昔のよしなしごとをあれこれとぼんやり、物思いにふける春の曙が
 いちばんだ」と解釈できる。

●「残さん」をN君のように解釈すると、「あの世までもっていきたいながめ」となるが、
 この感覚は平凡な感情表現の気がする。

 N君は、この答えに「春の曙」と「秋の夕暮」の対比を思いつくのが短歌を創作するひとの発想だ、まったく想像できなかった、「随分すっきりしました」と言ってくれて、なんとか恰好がつきました。ただし、彼が本当にすっきりしたかは、ぼくに少し?でした。

 ここまでで「思いがけない交流」は終わりなのですが、2か月以上前のタネで今回の原稿を作るに際して、やはり気になり(N君がすっきりしていなかったという印象が作用して)はじめて藤原良経を検索しました。『新古今の天才歌人 藤原良経-歌に漂うペーソスは何処から来たのか』(太田光一著、2017年、233頁)をアマゾンで入手しました。

 これを斜めに読んでみて、ぼくの推論が架空の前提に立っていたと思いました。ぼくの架空の前提というのは、良経が、当代きっての歌人、定家と西行(三夕の歌の作者)に張り合い、「秋の夕暮」に対して「春の曙」を強調した、というものです。この書物によると、良経は、世俗では太政大臣にまで登り、新古今和歌集では西行、慈円に次いで多くの歌が入集しており、また

「物思わで かかる露やは袖におく 詠めてけりな 秋の夕暮」

とも詠んでいます。良経は、およそ、ちまちました張り合いなどと無縁の歌人であったようです。彼を「天才」と呼ぶ著者は、良経の歌が「ひとり」、「ひとつ」を多用、モノクロームの美しさ、動物への共感に特徴を示し、人間世界の煩わしさからの逃避の願いが生涯にわたってペーソスを漂わせる基礎にあると書いています。定家が編んだ百人一首には良経の

「きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかもねん」

が採られていますが、まさに良経の特長を示していますね。「見ぬ世まで・・」の歌は収録されていますが、残念ながら解説がありませんでした。次の集まりでは、この後日談を近況報告にするか、などと思っています。 

 

 

 

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