小田原城
2021/04/25
◆小田原城・天守閣
◆隅櫓と濠:横スライドショー4枚
◆天守閣
◆銅門
◆常盤木門:横スライドショー4枚
◆天守閣:横スライドショー3枚
◆城案内図
◆馬出門
◆イヌマキの巨木
(天然記念物)
◆梅の花蜜を吸うメジロ
19日、東京の空は今日もきれいに晴れ上がっている。
密を避けて小田原経由で帰阪することにして、小田原城見学へ。
JR、小田急の小田原駅から徒歩10分で城に着く。
三の丸から二の丸に通ずる馬出門をくぐり、枡形形式の銅門(あかがねもん)から、小田原城が永久不変に繁栄することを願って名付けられた常盤木門(ときわぎもん)を経て天守閣へ。
ところが、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため天守閣は閉鎖。御城印は販売が中止されていた。
満開の八重の紅梅にはメジロが群れで訪れ、盛んに花蜜を吸っている。
小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張された。
秀吉の小田原攻めに備えて築造された城下町を囲む総延長9㎞におよぶ総構の出現により、城の規模は最大に達した。
北条氏滅亡後、徳川家康の家臣大久保氏が城主になると、石垣を築くなど北条氏の城郭に改修の手を加える。しかし、大久保氏が改易されると城は破却される。
その後、寛永9年(1632)に稲葉氏が城主になると、大規模な改修工事が実施され、城の姿は一新する。
稲葉氏三代の後は、再び大久保氏が城主となり、大地震や富士山の噴火による被害を乗り越えて、関東防御の要衝として幕末まで存続した
明治3年(1870)に廃城となり、売却された後、次々と解体された。
城址は御用邸時代を経て、地元自治体に払い下げられ、現在にいたっている。
現在の小田原城跡は、本丸、二の丸の大部分と三の丸土塁、総構、八幡山古郭の一部が、国の史跡に指定されている。
今日も富士山が裾野から頂上までくっきり。南アルプスの白い峰々や木曽御嶽山もきれいに見えている。