寿禄会・傘寿記念雲仙同窓会(1)new

      2024/11/13

後列左から:八尋・野入・堺・冬至・岩切・岡田・黒川・山本・青柳・衛藤
前列左から:三宅・向野・加野・田中・宮本・杵島・中溝・田中夫人

報告:田中 功也
(2024.11.13)一部写真追加:向野 昌邦

(いつものように画像のクリックで、拡大画像を見ることが出来ます。)

 令和6年11月6日(水)午後12時50分、JR博多駅筑紫口を出発。奈良1名、大阪2(3)名、岡山1名の遠方組を含め総勢19(20)名が綜合観光の大型バスで一路長崎県雲仙の小浜温泉に向かう。
 神崎会長が直前にコロナに感染したのを始め、竹中、藤野の両副会長も家族の健康問題などで急遽出席を断念せざるを得なくなり寂しいスタートとなったが、久し振りの再会にたちまちバスは賑やかな会話に包まれる。

博多駅筑紫口前に集合

 九州道から長崎道に入り、2時40分大村湾に臨む「恋人の聖地」で小休止。晴れ上がった空に、陽光を受けて海がキラキラと輝く。3時8分諫早口で自動車道を下り、島原道路を経て国道57号線に入る。3時40分千々石湾展望台へ。雲一つない空に雲仙普賢岳(1,359m)がくっきりと聳えている。右手には千々石湾の紺青の海が続き、正に絶景。売店の流水槽の底にはムツゴロウが1匹のんびり流れに身を任せている。

◆大村湾、恋人の聖地

◆バス車内

◆雲仙普賢岳(左)と千々石湾

◆千々石湾

◆水槽のムツゴロウ

 島原半島の西、橘湾に面した小浜温泉で寛文9年(1669)から続く旅館「伊勢屋」に4時20分到着。宿前で集合写真を撮り、各部屋へ。すべての部屋が橘湾に面している。

伊勢屋旅館

◆小浜温泉伊勢屋前にて
後列左から:中溝・八尋・藤・岩切・宮本・萩野・青柳・堺・向野・杵島・岡田・黒川
前列左から:野入・三宅・田中夫人・加野・山本・冬至・田中・衛藤

 小浜温泉には、およそ30ヶ所の源泉から100℃を超える日本一の熱量を誇る豊富な湯が湧出している。

 同窓会総会までのひとときを部屋で休む人、早速温泉に浸かる人、街を散策する人とさまざまに過ごす。街に出た人は、目の前に広がる橘湾に沈むオレンジ色に染まった夕日を眺めながら全長105m日本一長い足湯を楽しんだり、藩命により温泉を管理した本多湯太夫家を改修、復元した小浜歴史資料館を見学。

◆橘湾に沈む夕日

◆日本一長い足湯

◆橘湾夕景

 6時、加野副会長が神崎会長挨拶を代読して始まった寿禄会総会。令和4年11月以降判明の6名の物故者に黙とうを捧げた後、校歌を斉唱。会計報告が全会一致で承認され、今後の行事予定が発表された。

 藤君の音頭で乾杯して6時20分懇親会が始まる。今回体調不良で参加でできなかった藤本茂君が苦労して作成した「傘寿雲仙総会 傘寿の歩み」のビデオを見る。福高入学以来60年の懐かしい写真が次々に現れ、歓声があがる。各所で思い出話に花が咲く。

◆総会、加野副会長挨拶

◆懇親会

 「秋うらら 伊勢屋物語」と題したこの日の料理がすばらしく、お酒が進むとともに満足度がさらに高まる。
 熟成有田鶏とりんごのコンフィ、秋鮭の裏巻きオレンジ風味、長崎地魚のお造り、雲仙秋の恵みのペンネ、地野菜秋の豊穣炊き合せ、山海の幸の宝楽焼き、島原そうめんフォー仕立てと海老おこわ、自家製スイーツ、コーヒーなど。

 青柳君の旗振りで応援歌「立花山の曙」や「高校3年生」に高校時代に戻って大声を張り上げる。

 最遠の奈良から参加の杵島君の音頭で万歳三唱し、8時半中締め。宿近くのスナック「カサブランカ」で有志14名が参加して二次会が開かれる。2時間たっぷり語り、歌って宿にもどれば、各部屋に源泉かけ流しの温泉がついている。2~3人はゆっくり浸かれる石造りの浴槽。手足が思い切り伸ばせて旅の疲れを癒すにはもってこい。

<出席者の近況報告>

岡田康彦(7組)

山本智子(5組)

萩野順司(7組)

田中夫人(特別参加)

野入保彦(1組)

岩切 勲(2組)

杵島良仁(1組)

藤 和義(4組)

中溝公次(6組)

黒川勝利(4組)

衛藤忠興(4組)

宮本 均(6組)

堺 泰基(6組)

八尋四郎(2組)

三宅明治(4組)

冬至嶺子(5組)

向野昌邦(1組)

青柳泰治(1組)

加野豊子(3組)

杵島君の音頭で万歳三唱

 7日(木)7時半朝食。雲仙清水で育った千々石棚田米のご飯と雲仙野菜の具たくさんの味噌汁が何とも美味しい。棚田米の糠を使い、長崎醤油で甘く煮込んだ鯖ぬか床炊き、橘湾のちりめん、朝採れ太陽卵のだし巻きなどに食が進む。

 8時54分、旅館を出発。日本初の国立公園雲仙。車窓を流れる景色が素晴らしい。9時18分雲仙温泉街を抜ける。普賢岳一帯は紅葉の名所として知られ、紅葉の季節には渋滞で身動きが取れなくなるという道路も、2~3分の色づきというこの日は通る車もほとんどなく、9時38分には標高1,080mの仁田峠へ。帽子が飛ばされそうな強風が吹いている。異常気象のせいか、5月下旬から6月中旬に花期を迎えるピンクのミヤマキリシマがあちこちに花を咲かせている。

ミヤマキリシマ

仁田峠ロープ
ウェイのりば

平成新山の石碑と後方に平成新山

仁田峠

仁田峠で

ミヤマキリシマ

 仁田峠駅からロープウェイで500m3分間の空中遊覧を楽しみ、10時妙見岳1,333mへ。登りロープウェイの右側から見える山頂近くは、所々真赤な紅葉や黄色、オレンジ色の黄葉が見事に色づいていて、息を呑む美しさ。七分の色づきという。

有明海、熊本県を望む

天草灘をはさんで
熊本県天草市を望む

雲仙温泉と雲仙ゴルフ場のコース

 妙見岳駅展望台からは、360度の展望が開け、快晴の空のもとどこまでも見渡すことができる。西に橘湾をはさんで野母半島や長崎市が、南に天草灘、島原湾をはさんで熊本県天草市が、東に有明海が陽光を浴びて輝いている。近くには雲仙温泉街や雲仙ゴルフ場のコースが見渡せる。気温10℃でかなりの寒さ。

妙見岳山頂付近の紅黄葉

妙見岳山頂付近の紅黄葉

妙見岳展望台

心臓弁膜症の手術をした
山本さんを助けて展望台へ

橘湾をはさんで野母半島を望む

妙見岳展望台

 東の間近に平成新山を望む。新山は平成2年から5年間続いた普賢岳の火山活動によりできた溶岩ドームで、日本で一番新しい山。噴火終息宣言が出された平成8年には1486mあったが、頂上部分の崩壊などで現在は1,483m。

 10時46分バスが出発。山道の両側にススキの穂が風に揺れ、所々にツワブキの黄色い花が咲いている。色づき始めた樹海を下ると気持ちが洗われるよう。

 11時25分、大野木場小学校被災校舎へ。普賢岳の噴火による火砕流、土石流で鉄筋コンクリートの建物が廃墟のようになっている。校庭には蘇ったイチョウの大木が天をついて葉を茂らせている。大野木場砂防未来館で、普賢岳の噴火、火砕流、土石流、未曾有の被害の15分間の記録映画を見て、被災した人たちの苦労を偲ぶ。屋上から手の届きそうなところに平成新山が聳える。

大野木場小学校被災校舎、
後方に平成新山

大野木場防災未来館
屋上から見る平成新山

平成新山山頂

 430万年前の海底火山の噴火によってできた島原半島は、平成21年全域が日本第1号の世界ジオパークに認定された。
 ジオパークは、地震や火山噴火、大陸移動といったダイナミックな地球の活動と人々とのかかわりを学び、体験することができる自然公園。島原半島は寛政4年(1792)に起きた大きな山崩れにともなう大災害「島原大変肥後迷惑」、平成2年から5年間続いた普賢岳噴火とその災害復興など、自然災害と対峙してきた人々の歴史とともに湧水や温泉、園地の土壌が育む農産物など、活火山雲仙の恵みを体感できることが認められた。

 1990年11月から1996年6月末まで続いた普賢岳の噴火活動では、死者41人、行方不明3人、負傷者12人をだした。建物の被害が2,511件、被害額は2300億円にのぼる。土石流や火砕流など自然の脅威を疑似体験することができる。

 12時25分、道の駅ひまわりへ。地元の名物料理海の幸、山の幸の集大成「具足煮」の昼食。近くにある「土石流被災家屋保存公園」を見学。土石流に埋まった民家数軒が当時のままの姿で残されている。駐車場の真正面に平成新山がくっきり。

具足煮の昼食

土石流被災家屋

道の駅から見る平成新山

 1時54分、築城400年を迎えた島原城へ。江戸初期に松倉重政が当時の築城技術の粋を集め、7年の歳月を費やして築いた。現在の天守閣は昭和39年(1964)に復元。天守閣内にキリシタン資料館がある。時間がなく外観を眺めただけで帰途に着く。

島原城天守閣

島原城天守閣

 3時、カステラランドで買い物小休止。

 少し渋滞したが6時12分、博多駅筑紫口帰着。途中離脱した3名を除く17名が、「みんなで健康。楽しく長生き」を誓い、またの再会を約して解散。
 好天に恵まれ、事故もなく素晴らしい傘寿同窓会であった。

 すべての段取りをして、膨大な資料を用意された神崎会長、2日間の同窓会の運営に一人奮闘された加野副会長、「傘寿の歩み」のビデオを作製された藤本茂君に感謝!!

ー 以上 ー

 

2024.11.13 <向野君撮影の写真を追加>

 

 

 

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